バルサの戴冠で考えたこと=宇都宮徹壱のアブダビ日記2009

宇都宮徹壱

あらためて、クラブW杯の開催国UAEについて

スタジアムにて、メッカの方角に祈りをささげるボランティアスタッフ。中東ならではの光景 【宇都宮徹壱】

 アブダビ滞在12日目。FIFAクラブワールドカップ(W杯)2009は、19日の3位決定戦と決勝をもって閉幕する。いやはや、本当に長かった。これまで中東には何度も取材に訪れたが、2週間近くも滞在するのは今回が初めてのこと。翌日の夜には帰国するのかと思うと、ことのほか感慨無量である。あらためて今大会のホスト国、UAE(アラブ首長国連邦)について、この機会に思うところを記しておきたい。

 アブダビ、ドバイを含む6つの首長国が連合し、UAEとして独立したのは1971年12月のこと(翌年にラスルハイマ首長国が参加して7首長国に)。FCバルセロナのグアルディオラ監督(71年1月生まれ)と、実は同じ年ということになる。この国の人たちが、ヤシの葉と泥でできた家で暮らしていたのは、実はそれほど昔の話ではない。建国以来、UAEの政治と経済を引っ張ってきたアブダビとて、50年代後半に石油が発見されるまでの主な産業といえば、漁業と真珠くらいしかなかった。何もなかった砂漠に、舗装道路が走り、巨大なビルディングが建ち並び、そしてモノがあふれるようになったのは、ここ四半世紀の話である。

 サッカーの世界におけるUAEの歴史も、それほど輝かしいものではない。W杯には90年に一度だけ出場しているものの、グループリーグを3戦全敗、2得点11失点で早々にイタリアを後にしている。唯一と言えるタイトルは、自国開催だったガルフカップ優勝1回(07年)のみ。アジアカップでは、やはり自国開催だった96年大会で準優勝になるのが精いっぱいであった。むしろFIFA(国際サッカー連盟)に対するアピールとなったのは、03年に開催したワールドユース(現U−20W杯)であろう。自国のU−20代表は、残念ながら準々決勝で敗退したが、中心選手のイスマイル・マタルは大会最優秀選手に輝いている。

 以上、急ぎ足ながらUAEの歴史を振り返ってみると、この国が今回のクラブW杯開催国となったことについて、やはり何とも唐突な印象を受けてしまう。われわれ日本人からすると「オイルマネーにモノを言わせて」と、ついネガティブな感情が先立つのも無理からぬことだろう。だが考えてみれば、80年代初頭に前身となるトヨタカップを招致した当時の日本もまた、79年にワールドユースを開催しただけの、サッカーの世界ではほとんどインパクトを残していない「ただの経済大国」でしかなかったのである。サッカーの世界での実績はないけれど、それでも世界一を決める大会を自国で見たい――こうした欲求を、80年代の日本と00年代のUAEが等しく抱いていたという事実は、実に興味深い。してみると、トヨタカップが24年にわたって日本で開催されたように、UAEでのクラブW杯開催が定着していく可能性も、十分にあり得るように思えてならない。

バルセロナの苦戦を招いた3つのポイント

閉会イベントの出番を待つ少女たち。10日間にわたって開催された大会も間もなく終わる 【宇都宮徹壱】

 さて、ファイナルである。南米王者エストゥディアンテス(アルゼンチン)対欧州王者バルセロナ(スペイン)の一戦は、おそらく今後も長く語り継がれるであろう名勝負となった。おそらく多くの方がこの試合をライブ中継でご覧になっているであろうから、ここではポイントを絞りながらゲームを振り返ってみることにしたい。
 戦前はバルサの圧倒的有利が予想されたこの試合。しかしフタを開けてみたら、欧州王者はかつてない苦戦を強いられることとなった。苦戦のポイントは、イニエスタの不在、主審のジャッジへの不信感、そしてイブラヒモビッチの空回り、この3点である。

 まずイニエスタの不在。準決勝のアトランテ戦で左大腿(だいたい)部を負傷したイニエスタは、この試合をベンチで見守ることとなった。代わりにメッシはスタメン出場を果たしたものの、中盤に絶大な安定感を与えるイニエスタを欠いたことは大きな痛手となった。結果、攻め急いでは攻めあぐむ悪循環が生じ、これに自分たちへの辛いジャッジが加わって、バルサは一気にリズムを崩していく。この日、主審を務めたメキシコ人のアルチュンディア氏は、前半はファウルを流す傾向が強かったが、後半途中から急激にカードを出す回数を増やしている。いささかバランスを欠いたジャッジだったと言わざるを得ない。

 エストゥディアンテスの先制ゴールにも、ジャッジによる伏線があった。32分、イブラヒモビッチがヘッドで流したボールをシャビが拾い、GKと交錯して倒れる。だが主審は、PKはおろかファウルも取らずに流してしまう。バルセロナはベンチ全員が座席から飛び上がって抗議するが、もちろん主審は意に介さない。この時、バルセロナの選手たちに集中力が途切れる「魔の時間帯」が生じたのは間違いない。その5分後の37分、カウンターに転じたエストゥディアンテスは、左サイドバックのディアスが絶妙なクロスを供給。ボールはプジョルの頭上を越え、アビダルと競り合ったボセッリの頭にジャストミートして、豪快にバルセロナゴールを揺さぶる。南米王者が待望の先制点を挙げた。

 準決勝に続いて、またも相手の先制を許してしまったバルセロナ。だが今回の1点は、まるで重みが違った。ポゼッションでは、完全に相手を凌駕(りょうが)していたものの(62:38)、実はゲームを支配していたのはエストゥディアンテスの方であった。相手に持たせるだけ持たせて、肝心な場面ではシュートを打たせる前に対処する。ポゼッションで勝りながら、攻めあぐむ状況が続けば、おのずと焦燥感は募る。戦力的に大きく劣る南米王者は、心理戦で大きなアドバンテージを得て、1点リードのまま前半を終えた。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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