バルサの戴冠で考えたこと=宇都宮徹壱のアブダビ日記2009

宇都宮徹壱

弱者の戦いに徹したエストゥディアンテス

バルセロナはエストゥディアンテスを下し、クラブ史上初の世界一に輝いた 【Photo:ロイター/アフロ】

 後半のバルセロナは、いい意味で強引なサッカーを見せるようになる。丁寧にパスをつなぐよりも、とにかく前へ前へという姿勢を強め、貪欲(どんよく)にゴールを目指していく。メッシ、アンリ、イブラヒモビッチ、そして後半から投入されたペドロが、次々とゴールに向かっていくシーンはまさに圧巻であった。だが、この日はイブラヒモビッチが大ブレーキ。チーム最多の5本のシュートを放ちながら、いずれも枠をとらえることができず、サイドからのクロスに伸ばした足が届かないシーンも再三見られた。
 あくまで結果論だが、もしイニエスタという才長けたコンダクターがいたなら、イブラヒモビッチを自在に操りながら彼のゴールを演出していた可能性が高い。試合に出ているときには気付かないが、不在になるとその重要性を痛いほど認識させられる。イニエスタとは、まるで座敷わらしのようなプレーヤーである。

 対するエストゥディアンテスは、後半以降は攻められっぱなしの状況が続く。延長戦を含めたシュート数は3:16。戦力差は圧倒的である。南米王者が勝つためには、1−0というスコアしかあり得ない。現に05年のサンパウロも、06年のインテルナシオナルも、それぞれリバプールとバルセロナに1−0で勝利してきた。エストゥディアンテスもまた、弱者の戦いに徹するしかない。ただし、彼らは誇りある弱者であり続けた。ディフェンスラインに9人並べて立てこもるのではなく、ボールが自陣にあっても常に攻めの姿勢を放棄せずに戦い続けた。その中心にいたのが、キャプテンのベロンである。
 今年34歳のベテランは、もちろん攻撃において最も持ち味を発揮する選手であるが、この試合では守備でも多大な貢献を果たしていた。というよりも、チームメートの誰よりも走り、誰よりも球際で激しくプレーし、そして誰よりも勝利への執念をあらわにしていた。このベロンの獅子奮迅のプレーがあればこそ、エストゥディアンテスは後半43分まで1点のリードを守り続けることができたのだと思う。

 後半44分、ロングフィードにピケがDFと競って、こぼれたボールをペドロが頭で押し込み、土壇場でバルセロナが同点に追いつく。これでようやく1−1。だが実質的には「均衡が破れた」と見るべきだろう。ここから一気にバルセロナが勢いづき、エストゥディアンテスは絶望的な戦いを強いられることとなる。
 やがて試合は延長戦に突入。エストゥディアンテスとしては、もはやPK戦に持ち込むことに勝機を見いだすしかない状況だった。しかしそのはかない夢は、アルゼンチン人のメッシによって打ち砕かれる。延長後半5分、右サイドからのアウベスのクロスに、中央でフリーになったメッシが何と胸でボールを押し込み、これが決勝点となる。終了間際には、魂のこもったベロンのFKがバルセロナのゴールを脅かすが、反撃もそこまで。直後にタイムアップのホイッスルが鳴り、バルセロナが初の世界制覇を果たすこととなった。

アジアはいつまでも3位に満足すべきではない

笑顔でトロフィーをアンリに渡すイブラヒモビッチ。残念ながら決勝戦は彼の日ではなかった 【宇都宮徹壱】

 試合の興奮が冷めやらぬまま、会場では引き続き表彰式が行われた。フェアプレー賞にはアトランテ。個人賞は、ブロンズボールにシャビ、シルバーボールにベロン、そしてゴールデンボールとTOYOTAアワードにはメッシが選ばれた。いずれも納得の受賞であるが、決勝にイニエスタが出場していたら、この並びは変わっていたようにも思う。

 やがて、今大会で3位になった浦項スティーラーズの選手たちが壇上に上がり、メダルを授与された。準決勝では、3人が退場する見苦しい試合を見せた浦項。だがこの日の3位決定戦では、冷静なゲーム運びでアトランテと互角に戦い、PK戦の末に勝利を収めた。この試合で、キャプテンマークを付けてスタメン出場を果たした岡山一成が、実に晴れがましい表情で手を振っていたのは、何ともうれしい限りである。
 続いて2位のエストゥディアンテスが登壇。こちらは皆が無念の表情で、さりげなくメダルを首から外していた。今年のナビスコカップ決勝では、川崎フロンターレの選手が準優勝メダルを外したことが大問題となったが、この激闘を目の当たりにした者であれば、エストゥディアンテスの選手たちの気持ちは多少なりとも理解できるはずだ。視察に訪れていた犬飼基昭会長は、果たしてどのような感想を持たれたのであろうか。

 そしていよいよ、優勝したバルセロナの選手たちにメダルとトロフィーが授与される。この09年、バルセロナは昨シーズンの3冠に加え、スペインスーパーカップ、UEFAスーパーカップ、そしてこのクラブW杯と、あっぱれ6冠を達成することとなった。普段から泣き顔のグアルディオラ監督が、試合後に本当に男泣きしていたことからも、いかにクラブが偉大な歴史を作ったかが容易に理解できよう。そもそも、バルセロナというクラブにとって「世界一」の称号は、初めてトヨタカップに出場した1992年以来の悲願であり、3度目のチャレンジにしてようやく手にした栄冠でもあった。ほかの大陸王者と同様、欧州王者も必勝態勢で今大会に臨み、結果としてタイトルを得るに至ったのである。その意味でも、クラブW杯のステータスは今大会で格段に上がったと見ていいだろう。

 かくして、中東で初めて開催されたクラブW杯は、めでたく大団円を迎えることとなった。滞在中は何かと苦労することもあったが、終わってみれば現地で取材を続けて、本当に良かったと思っている。何より最後の最後で、これほど素晴らしいファイナルを拝むことができたのだ。それだけでも、アブダビにやってきた価値は十分にあったと言える。

 と同時に痛感したのが、常にファイナルに名乗りを挙げる2大大陸と、アジアとの彼我の差である。確かにアジア勢が、3大会連続で3位になったのは喜ぶべきことではある。しかしながら、バルセロナはもちろん「弱者」であったエストゥディアンテスと比べても、そこに絶望的な乖離(かいり)があることは認めざるを得ない。そろそろアジアは、3位に満足するところから脱却すべき時期に来ているのだと思う。もちろん、決して容易なことでないことは重々承知している。20年、30年、いやもっと時間がかかるかもしれない。ただ幸いなことに、このクラブW杯という大会が今後も存続するのであれば、アジアのクラブは何度でも世界にチャレンジし続けることができる。だからこそ、この大会には末永く続けてほしい。もっとも、その舞台がずっと日本であり続ける保証がないのが、いささか寂しいところではあるが。

 20日、帰国の途に就きます。最後までご愛読いただき、ありがとうございました。

<了>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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