自分のプレーに納得し、杉山は現役引退を決めた=全米オープンテニス

秋山英宏/WOWOW

杉山は、全米1回戦で第15シードのストーサーと1−2(4−6、6−4、4−6)の互角の戦いを見せた 【Getty Images】

 杉山愛(フリー)が9月27日に開幕する東レ・パン・パシフィック・オープンを最後に現役を引退すると発表した。グランドスラムの女子ダブルスで通算3勝。シングルス最高ランク8位、ダブルス最高ランク1位。グランドスラム62大会連続出場と、杉山の残した記録は日本のテニス史に燦然(さんぜん)と輝く。また、1996年の伊達公子(当時)の引退後、日本女子のリーダー格として、世界を目指す後進を先導した役割も高く評価されていい。

「練習ではよくても、試合で力を出せない」

 ここ数年、杉山は、シーズンオフが近づくと必ず、次のシーズンに向けての意欲を自分に問いかけた。シーズンが終わらないうちからモチベーションが高まった年もあれば、なかなか展望が見えてこない年もあったという。だが、どちらにしてもシーズン開幕時には気持ちを整理し、この1年が最後のつもりでやる、と自分に言い聞かせた。
 プロ17年目となる2009年シーズンも、そうして迎えた。しかし、今年は苦闘のシーズンとなった。年頭の全豪オープンは3回戦に進出したが、その後、ツアー8大会連続で1回戦負けを喫した。「練習ではよくても、試合で力を出せない」。そんな言葉を何度か聞いた。いつも元気いっぱいの杉山が、憔悴(しょうすい)した表情で試合後の会見に臨む姿も見た。

 一番苦しかったのは、明かりの見えない戦いを続けた春のヨーロッパのサーキットだったと思う。おそらく、引退の2文字もちらつき始めただろう。だが、杉山は不振に陥ったままフェードアウトしていくことを嫌ったのだと思う。ウィンブルドンの前には、9年間も二人三脚でやってきた母親の芙沙子コーチと離れ、元全日本王者の寺地貴弘氏をコーチに迎えた。常に研究を怠らず、新しいものを積極的に取り入れてきた杉山らしい、アグレッシブで大胆な“てこ入れ”だった。 
 そうして臨んだウィンブルドンで、個人戦では約5カ月ぶりの勝利を味わった。ゲームセットのコールを聞くと、うれし涙が溢れた。いつも笑顔の杉山が、コート上で涙を見せるのは珍しいことだった。 

引退と向き合いながら戦った全米

 今回の北米遠征は「勝負」と位置づけていた。杉山は遠征に出発する前、味の素ナショナルトレーニングセンターに集まった記者の前でこう語った。
「トップ選手としっかり戦える自信がある限り、チャレンジし続けたい。その手応えが得られなくなったときが引退なのだろうな、と思う。(米国遠征では)手応えが得られるかどうか、自分自身と向き合いながら戦いたい」。

 今から思えば、杉山の勝負とは、納得のいく形で引退を決めるための「勝負」でもあったのだと思う。自分自身と向き合うとは、引退という現実と向き合う、という意味でもあったのだろう。全米の1回戦では第15シードのサマンサ・ストーサー(オーストラリア)と互角の試合を見せた。前哨戦では、ランキング30位台のイベタ・ベネソバ(チェコ)を破っていた。大舞台で勝ち星はつかめなかったが、トップクラスの選手としっかり戦えたという手応えはあっただろう。だからこそ杉山は、納得のいく形で現役生活に終止符を打てる、と判断したのだと思う。 
 やるべきことをやって、また、やれるだけのことをやって、納得して引退を決めた。杉山は、最後まで自分らしさを貫いた。 

<了>

「全米オープンテニス2009」
2009年8月31日(月)〜9月14日(月)WOWOWにて連日生中継!
14日間にわたり再び世界中を熱気と感動で包みこむこの全米の模様を生中継中心に合計約150時間という圧倒的ボリュームで連日放送!(※デジタル193ch含む)
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