補強を行わないヴェンゲルの“確信”=東本貢司の「プレミアム・コラム」

東本貢司

首尾一貫した「王道のコンセプト」

ウィルシャー(写真)ら「国産」組にアーセナルの将来は委ねられている 【Getty Images】

 正直、頭が下がる思いの「王道のコンセプト」で、個人的にもかくあるべしと敬服するところだが、しばらくタイトル獲得の喜びから遠ざかっているファンにとっては、やきもきするばかりで決して穏やかではなかろう。「ざっと十年前までならともかく……」。ましてや、昨シーズンはアストン・ヴィラの終盤の大スランプがなかったら、チャンピオンズ出場権さえ失うところだったのだ。“幸運”はそうそう続くものではない……!?

 しかし、ヴェンゲルともあろう者が強がりでお茶を濁すはずがない。少々の誤算も想定済み、確信があっての“底上げ”方針……そう考えてみればどうなるだろうか。
 かねてより、ヴェンゲルは国産(UK、アイルランド共和国)の若い逸材獲得に苦労してきた。主に、彼らの高額な移籍金に手が出せなかったのがその理由である。そこでやむなく(?)、勝手知ったる故国フランス(語圏)を中心に、海外からじっくり選び抜いた“金の卵”を召し抱えるしかなかったというわけだ。だとしても、彼はロンドンに来たころから一貫して「これからの素材、育てがいのある若さ」にこだわってきた。

 思い出していただきたい。アーセナル入団当時のオーフェルマルスは“過去の人”扱い同然だった。アネルカ、アンリ、エブエ、トゥーレ、センデロス、クリシーらは、ヴェンゲルが引っ張ってくるまでは、どこかの時点で将来を嘱望されたことはあっても、無名、ないしは無名に等しかった。当然、ファブレガスもしかり。いや、ピレスやアデバヨールとて、ある程度は同じ範疇(はんちゅう)に入ると見ていいだろう。それまで名前さえ耳にしたことがなかったディアビーを初めて見たときは、さすがはヴェンゲルと舌を巻いたほどだった。

 すでにそれなりに出来上がっていたフレブ、ロシツキー、ナスリ、アーシャヴィンを獲ったのは、つい最近になってからである。それに、彼らとてまだ若い部類に入るだろうし、ロシツキーを除けば、名声が確立されていたレベルに到達していたとは言えない。言うまでもなく、イングランドという舞台装置を考えればなおさらだろう。

「国産」の芽が果実へ……

 つまり、ヴェンゲルに限って、どこかの国の政界におなじみの“ブレ”は、就任当時から一切見られないということなのだ。むろん、アーセナル経営陣の厚い信頼とバックアップを勝ち取って、長期政権を委ねられているという“特権”あってのことではあるだろう。それでも、彼が頑として信念を貫いてきた事実は揺るがない。
 アップソン、ヒューズ、ペナントらを手放したことに疑義を差し挟む向きもあるかもしれない。だがそれも、ヴェンゲル自身がプレミアの水に慣れるまでの、長い、入念な、試行錯誤の過程で起こり得るちょっとした誤算だと考えれば、納得がいくというものだ。

 そして今、ついに最大の命題だった「国産」の芽が、限りなく果実に近い形になろうとしている。これと見込んで“奮発”したテオ・ウォルコットはほぼ一本立ちした。アーロン・ラムジーはもう間もなくファブレガスの域に達しようとしている。
 そこにまた、全アーセナルファンが小躍りして身震いするような超新星が! ジャック・ウィルシャー。ヴェンゲルが「ルーニーがエヴァートンでデビューしたころを彷彿(ほうふつ)とさせる輝き」と自慢し、イングランド代表監督のカペッロが「この1年間、アーセナルでレギュラーを確保することを条件に、南アフリカ行きのメンバー入りも十分あり得る」と激賞するアタッキングミッドフィールダー、17歳。

 そう、ヴェンゲルは確実に手ごたえを感じ取っているのだ。ヒントを少々。獲得したヴェルメレンはDF、獲得に動いたターナーもDF、そしてシャマクはFW。そこにはMF獲得の意志が見えないのだ(ヴィエラはあくまでも“押さえ”)。つまり、こう考えたい。ラムジーとウィルシャーは、すでに近い将来のプランの主役として“固定”されている。あるいは、ヴェンゲルは確実にウォルコット、ラムジー、ウィルシャーを軸としたチームを思い描いているのだ、と。

 思えば、そんなヴェンゲル・アーセナルに、過去数年間は不幸な流れに傾いてきたとも言える。アブラモヴィッチ、グレイザー、ジレット&ヒックス。事情や実際の台所勘定はどうあれ、ライバルたちは潤沢な外資をバックに即戦力中心の補強にいそしんできた。そこに“超ド級”のシティーが殴り込んできては、ヴェンゲル流チーム作りは一見して後手を踏まざるを得ないだろう。だが、あえて補強にあくせくしない今となっては、あのスタイリッシュなドイツ系フランス人の泰然としたオーラから、無言のメッセージが聞こえてくるような気さえするのだ。「あと、もう少しだ」。その“確信”の行方を、まずはこの1年間、じっくりと楽しみに見守っていきたいと思う。

<了>

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著者プロフィール

1953年生まれ。イングランドの古都バース在パブリックスクールで青春時代を送る。ジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、ケヴィン・キーガンらの全盛期を目の当たりにしてイングランド・フットボールの虜に。Jリーグ発足時からフットボール・ジャーナリズムにかかわり、関連翻訳・執筆を通して一貫してフットボールの“ハート”にこだわる。近刊に『マンチェスター・ユナイテッド・クロニクル』(カンゼン)、 『マンU〜世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ』(NHK出版)、『ヴェンゲル・コード』(カンゼン)。

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