レーカーズの363日、優勝までの長い旅=NBA

宮地陽子

09年1月30日〜2月8日 @ミネソタ、メンフィス、ニューヨーク、トロント、ボストン、クリーブランド

現地時間17日、レーカーズの優勝パレードがロサンゼルスで行われた。コービーら選手とともに15万人近くのファンが優勝を喜んだ 【Photo:NBAE/Getty Images】

 シーズンの山場となる遠征。コーチ陣は1カ月も前から準備をしていたという。
 しかしそんな大事な遠征に出て2試合目となる1月31日、メンフィスでの試合で、先発センターのアンドリュー・バイナムが膝を故障、2〜3カ月欠場との診断が下った。1年前の同じ時期に膝を故障したバイナムが、結局シーズン最後まで復帰できなかった悪夢がよみがえってきた。
 その直後、2月2日のニューヨークでの試合ではコービー・ブライアント(ガード)が61点を入れる活躍でニューヨーク・ニックス相手に勝利をあげた。
 一見、何のつながりもないこの2つの出来事だが、実は深い関連性があった。バイナムの故障で気落ちしているチームメートたちに向かって、コービーがチームリーダーとして戦い続ける姿勢を見せた結果が61点だったのだ。この直後にリーグ首位争いのライバルであるボストン(セルティックス)とクリーブランド(キャバリアーズ)での連戦が控えていただけに、長いレギュラーシーズンの中でも、大事な局面だった。
 レーカーズはこの後、ライバル2チーム相手にも連勝。キャバリアーズ(キャブス)戦ではコービーがインフルエンザのような症状で点滴を打つような体調だったが、それでも勝利を勝ち取り、6試合の遠征を全勝で終えた。

09年5月27日 @ロサンゼルス

 プレイオフ。カンファレンス・ファイナル第5戦で強豪デンバー・ナゲッツ相手にシリーズ3勝目を上げ、NBAファイナル進出に王手をかけた。これは単なる1勝というだけでなく、レーカーズが自分たちの戦い方を見つけた重要な試合でもあった。
 カンファレンス・セミファイナルでは本来の力を出し切れず、ヒューストン・ロケッツ相手に最終戦までもつれる争いを強いられたレーカーズ。それまで自分たちの戦い方を頭では理解していても、チームとして体現できていなかった。その勝利のリズムをこの試合でつかんだ。その意味では、クリスマスにセルティックスに勝った試合、そして2月の遠征でセルティックスとキャブスに連勝した試合に匹敵するくらい、シーズンの鍵を握った重要な試合だった。

09年6月11日 @オーランド

 NBAファイナル第4戦。ほとんど負けていた試合を、ベテランのフィッシャーが4Q(クオーター)で同点シュート、さらにオーバータイムで決勝シュートを決めて奪い取り、優勝に王手をかけた。
 フィッシャーはコービーとともに、ベテラン選手としてシーズンを通してその時々のチームの空気を読み、長いシーズンの間、チームのかじ取りをしてきた。この試合後のロッカールームでも「次の試合ではマジックも必死になって戦ってくる。勝ちをもらえるなんて思っていてはいけない。自分たちで優勝を勝ち取らなくてはいけない」とスピーチ、優勝を前に浮かれがちな若手選手たちの気を引き締めていた。コート上でもロッカールームでもチームに欠かせないいぶし銀の活躍だった。

09年6月14日 @オーランド

 シーズン最後の試合は、今季も敵地でやってきた。といっても、立場は1年前とは逆転。試合が進むごとに自分たちのリズムを崩していったマジックに対し、レーカーズは最後まで戦う姿勢を崩さず、王者にふさわしい戦いぶりで優勝を決めた。
 優勝後、コービーは満面笑顔で言った。
「今、あらためてシーズンを振り返り、その間に経験したことをすべて思い出すと、とても感慨深い。これ以上ないほどいい気分だ」
 ボストンで始まりオーランドに至る363日に渡る長いレーカーズの旅が終わった。

 <了>

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著者プロフィール

東京都出身。国際基督教大学教養学部卒。出版社勤務後にアメリカに居を移し、バスケットボール・ライターとしての活動を始める。NBAや国際大会(2002年・2006年の世界選手権、1996年のオリンピックなど)を取材するほか、アメリカで活動する日本人選手の取材も続けている。『Number』『HOOP』『月刊バスケットボール』に連載を持ち、雑誌を中心に執筆活動中。著書に『The Man 〜 マイケル・ジョーダン・ストーリー完結編』(日本文化出版)、編書に田臥勇太著『Never Too Late 今からでも遅くない』(日本文化出版)がある。現在、ロサンゼルス近郊在住。

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