ハッスル退団KUSHIDA激白「世界を目指して旅立ちます」
師匠TAJIRIのように「世界のKUSHIDA」を目指す!
ハッスルを退団したKUSHIDAに独占インタビュー
ハッスルを退団したKUSHIDAに独占インタビュー【スポーツナビ】

 ハッスルを追放されたKUSHIDAが22日、無期限の海外武者修行に出発した。3月25日の後楽園ホール大会でハッスル追放とベルトを賭けレイ大原と対戦したKUSHIDAだが、あと一歩まで追い詰めながらも惜敗。試合後、約束通り「きっぱりハッスル辞めます」と涙ながらに訴え、コスチューム姿のまま後楽園ホールのエレベーターに乗り込み姿を消していた。


 謎の失踪に「別キャラクター、マスクマンでの復帰?」「高田モンスター軍入り?」と様々な憶測が呼んだが、KUSHIDAが選んだのはハッスル退団。「もっと試合がしたい、海外のリングで試合がしたい」。KUSHIDAは「小さい頃から憧れていた職業になったので、やっぱり世界に行かないと意味がない」と、大きな夢を叶えるために海外挑戦を決意した。

 まずはプロレスデビューした原点のメキシコへ渡り、その後は米国・カナダでTNA、WWE出場を目指すという。師匠TAJIRIのようなスーパースターを目指し世界に飛び出したKUSHIDAに意気込みを聞いた。

日本から世界へ 目標はWWE出場

無期限の海外武者修行に旅立ったKUSHIDA
無期限の海外武者修行に旅立ったKUSHIDA【スポーツナビ】

――ハッスルを退団されたということですが。


 はい。3月31日付で退団しました。ハッスルに残ってやるよりも、海外に行って修行することを決意しました。もっと試合がしたい、海外のリングで試合がしたいから、というのが主な理由です。今年の5月で26歳になるんですが、それも理由のひとつです。歴史上の重要な人物は26歳で行動を起こしているから。ボクは坂本龍馬が好きなんですが、龍馬が脱藩したのが26歳のときなんです。土佐から江戸へ旅立つことなら、現在なら日本から世界に出ることかな。あと、愛読している『深夜特急』で沢木耕太郎さんが旅に出るのが26歳で、TAJIRIさんがアメリカに挑戦したのも26歳らしい。


――以前から海外挑戦への思いはあったんですか?


 それはもう、デビュー直後から既に心の中にありました。デビューしたときからTAJIRIさんには「いずれは行かないとね」とは言われていましたし、公私ともにTAJIRIの弟子だったボクとしては「いつかは!」とハッスルでの3年間、常に考えていました。


――師匠のTAJIRIさんに相談は?


 TAJIRIさんに「行け」と言われたわけではなかったんですが、報告したら「よかったね」と喜んでくれました。やっぱり、TAJIRIさんの場合はアメリカに行かなきゃ始まらないという考え方の人だから。そういう話をずっと聞かされていたから、自然と影響されていたのかもしれないですね。


――今後の予定で決まっていることは?


 メキシコへ行って5月9日に開催されるウルティモ・ドラゴン主催の「ドラゴマニア」へ出場する予定で、そのあとはアメリカ、カナダに行くつもりです。たくさん試合して、TNAやWWEへ出るのが目標です。今後、進展があればブログ「KUSHIDAのレスリング浪漫飛行」(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/hustle_kushida/)の中で報告していきます。

高校時代は高田道場で桜庭と猛練習

【スポーツナビ】

――最初はZSTに出てましたよね。


 元々は高田道場で総合格闘技をやっていました。


――総合格闘家を目指していたんですか?


 いえ、プロレスをやるために高田道場に入ったんです。中学3年生のときに実家の近くに高田道場が出来たので、これは運命だと。設立と同時に入門しました。やっぱりUインターを見て高田(延彦)さんや桜庭(和志)さんに憧れていたので。佐野巧真(現ノア)さんもいましたね。


――高田道場の1期生ですか!


 プロレスをやるために高田道場に入ったけど、実際には総合格闘技の練習の毎日で。だから、高校の時は“ライバルは高校時代の桜庭さん”と想定してメチャクチャに練習しました。当時の桜庭さんはPRIDEで連戦連勝してすごかったんですよ。一気に会員が増えましたから(笑)。


――すごいときに一緒に練習してたんですね。それでZSTに出ることに。


 ZSTは強制的に出させられたんです(苦笑)。総合はイヤだったんですけど、まあ、同じリングだし、レスリングの技術と寝技はそこそこ自信もあったので。(本名の櫛田雄二郎で8戦6勝2分)。所英男さんとは、やりたかったですね。絶対おもしろくなったと思います。


――でも、メキシコのプロレス学校に行くんですよね。


 ずっとプロレスをやりたかったんですけど、当時、大学生でなかなか学校に行きながら練習ができるところがなかったので。それに、そのときは日本のプロレスはあまりおもしろく思えなかったから。ZSTのジェネシストーナメントで優勝して、その賞金20万円でメキシコに行ったんです。グレート・サスケさん、スペル・デルフィンさん、ウルティモ・ドラゴンさんも好きだったから、ルチャが大好きだったしメキシコに行こうと。大学1年のときに夏休みに1人で行きました。


――メキシコはいかがでした?


 ボロボロなんですけど街中にリング・道場があって、小さな子供が普通に遊んでいて、まさに“草プロレス”ですね。いい時間帯にテレビでプロレスをやってるし、プロレスラーがスターだから。そこで、本気でメキシコでプロレスをやりたいと思って、05年に今度は大学を休学して8カ月くらいメキシコに行きました。そこでライセンスを獲るためにCMLLのアレナ・メヒコという会場の中にあるプロレスの学校に入りました。メキシコでは大きな団体に上がるためにはライセンスが必要なので。


――プロレスデビューはメキシコですね。どうして日本に帰って来たんですか?


 ちょうどメキシコにいたときに、CMLLに新日本プロレスの棚橋(弘至)さんと中邑(真輔)さんが来ていて、中邑さんは格闘技時代から顔見知りだったので「あれ、高田道場の櫛田クン、何やってるの? 帰ってきたら新日本においでよ」って言われて。


――新日本プロレスとハッスルの分かれ道があったんですか?


 分かれ道だったのかなぁ?? でも、未だに会ったら冗談で「裏切り者!」って言われますよ(笑)。

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