ハッスル退団KUSHIDA激白「世界を目指して旅立ちます」
師匠・TAJIRIとの運命的な出会い
ハッスルデビュー戦は師匠TAJIRIとのタッグで白星スタート 【t.SAKUMA】
高田道場にいたのでハッスルの旗揚げ戦も観てましたけど、そのときは、正直言って、特に出たいとは思いませんでしたね。でも、ちょうどメキシコにいた05年の10月に和泉元彌さんとHGがデビューした「ハッスル・マニア」があって、それがメキシコでも話題になっていたんです。日本人コミュニティでテレビを見たんですけど「HG、誰それ?」って。ハードゲイの存在をメキシコで知ったんですよ(笑)。それで、これはおもしろそうだなと。「ハッスル・マニア」を見るまでは、メキシコで頑張ることしか考えてなったんですが、日本でやってみたいと思ってオーディションに申し込んだんですよ。昔から山口社長や、島田(裕二)さんも野口(大輔)さんも知っていたので、ハッスルには運命を感じますね。
――オーディションは表向き不合格ということですが、ハッスル初の練習生になるんですね。
安生(洋二)さんがOKと言ってくれたので。それで後楽園ホールに本戦のオーディションを見に行ったらTAJIRIさんが出てきたんですよ。ちょうどアメリカから日本に帰ってきていて。全然知らなかったので「ウワッ」ってビックリ。それで、オーディションのあとに道場で初めて会って、一緒に練習するようになったんです。そこから師弟関係が始まりました。
――TAJIRIさんのことは前から知ってましたよね?
メキシコでよく行くチャーハンが食べられる屋台があって、そこに毎日のように通っていたら、「昔、いまはスーパースターになった男もお前のようにこうやって食べてたんだよ」って。それがTAJIRIさんだったんです。
――かなり深イイ話じゃないですか!
WWE時代のTAJIRIさんの“日本語しかしゃべらないスキット”を見ると、ほんっとカッコイイですから。男のロマンを感じます。
――やっぱりTAJIRIさんはすごい人ですか?
すごい人というか、やっぱりTAJIRIさんと安生さんはボクの師匠ですね。日本のプロレスラーはあまり言葉でプロレスを説明してくれないんですが、あの2人は頭がいいから納得がいくように説明してくれるんです。黙って背中を見て学べじゃなくて、丁寧に教えてくれる。自分もそうなりたいです。
――その2人にプロレスを教えてもらったのは大きい?
そうですね。たぶん、いままでプロレス界でこれほど丁寧に言葉で説明を受けたプロレスラーはいないと思います。逆に、ボクの頭がついていかないことも多くて(苦笑)。微妙な部分で、お2人のプロレス観は対極ですから。そのUWFとWWEの遺伝子を受け継いだんだからボクは最強ですよ!
天龍の竹刀とシンの凶器攻撃の洗礼
タイガー・ジェット・シンの凶器攻撃で血だるまにされたことも 【スポーツナビ】
はい。4月にチエが引退しますが、引退試合の相手をできなかったのが心残りですね。
――そして06年9月の「ハッスル・ハウスvol.20」でいよいよハッスルデビューします。
当時はTAJIRIさんと一緒でしたけど、試合をやることだけで必死でしたね。
――当時は小川直也さんもいたし、すごいメンバーが揃ってましたね。
ボクはデビュー3カ月くらいで\(^o^)/チエとタッグで天龍(源一郎)&川田(利明)組とやってますから。そのときに天龍さんに竹刀でボコボコにされた傷がまだ残ってるんです。スッゲー痛かったす。川田さんともシングルでやってるし。
――普通では考えられない経験をしてますが、一番思い出に残っている試合は?
やっぱりタイガー・ジェット・シンですね。血だるまにされて……頑張ったのに地上波テレビ放送では顔にモザイクがかかって(笑)。でも、時間が経って、よくよく考えてみると、天龍さんの竹刀とシンの凶器攻撃でプロレスラーになった気がしましたね。当時はたまんねーなと思いましたが、今考えると非常に光栄ですよね。あと、全日本プロレスに出たのも大きかったです。
――巡業も一緒に行ったんですね。
しゃべる相手も最初はいないし、ハッスルだから当然風当たりも強いし(笑)。道場でちゃんこを食って合同練習にも出て。やっぱり全日本はT28、KAI、大和ヒロシと、同世代の選手がいて、試合して……刺激にはなりましたよね。大阪プロレスにも半年出ましたけど、やっぱり試合をやるのは楽しいですね。正直言って、自分が成長しているって感じられたのは全日本で巡業に出たときと、大阪で毎週試合をしていたときなので。定期的に試合をやっていないと気づけないところがあるんです。
ムタのように姿・形を変えるかも!?
【スポーツナビ】
それを目指さないとプロレスラーになった意味はないんで。小さい頃から憧れていた職業になったので、世界を目指さないと、と考えています。やっぱりプロレスで、チビッ子、同世代、おじいちゃん、おばあちゃんまで夢を与えたいですね。プロレス見たことない人にも、プロレスっておもしろいねって言ってもらいたいし。
――それじゃ、スターになるまで帰ってこない?
もしかしたら、そのまま帰ってこないです。いづれはハッスルに恩返しもしたい気持ちもありますけど、いまは考えてないです。
――“世界のKUSHIDA”になって、TAJIRIさんやフナキさんのようにWWEの日本公演で帰ってくると。
自分で言ってプレッシャーがかかってきましたけど(苦笑)。生まれ変わった姿で凱旋帰国したいですね。もしかしたら、そのときは姿・形を変えているかもしれない。
――最後にファンにメッセージをお願いします。
映像を持っている人は見てもらっても構わないのですが。実は、3.25後楽園ではエレベーターの下のボタンを押すつもりが、無意識に上を押しちゃった(苦笑)。まぁこれは、下に下がらず、上に向かって生きていけ。という、ボクの人差し指に降臨した、神さまからのおぼし召しかなと。
これからも、生え抜き選手としてハッスラーという言葉は一生ついてくると思いますが、その看板は捨てるつもりはないので、どこのリングに上がってもハッスラーとして戦って来ます。大きな広い世界を目指して旅立ちます。ハッスルの精神を忘れずに、いつか大きくなってみなさんの前に姿を現します。これまでありがとうございました。そして、これからも応援、心よりお願いいたします!