ネドベド、かなわなかったCL決勝への思い

木村かや子

チェルシーとの第2戦はわずか13分で負傷交代。ネドベドのCL決勝への夢はついえた 【Photo:PanoramiC/アフロ】

「試合後のロッカールームで僕らは皆、失望で沈み、誰も口を開こうとはしなかった。でも、中でも最も悲しみに打ちひしがれていたのは、間違いなくネドベドだった。自分の中に閉じこもってしまっていた。彼は、もっといい状態でこの試合に臨み、チャンピオンズリーグ(CL)でもっと輝かしい終えんを迎えるに値する選手だった……。もし彼が、故障で交代せずにピッチに残っていたら、試合の結果はまったく違ったものになっていたはずだ」

 2−2で第2戦が終わり、2試合合計2−3でユベントスの敗退が決まったCLの対チェルシー戦の後、チアゴはひっそりとこう明かした。
 2月末に今シーズン限りでの現役引退を表明したパベル・ネドベドは3月10日、彼にとって最後となるCLの試合を戦った。彼がこれまで何度も引退を口にしながら踏みとどまっていたのは、子供時代からの夢だった“CL決勝”行きのため、最後の挑戦をしたいという思いからだったのだ。ところがネドベドはこの試合で、故障のためにわずか13分でピッチを後にすることになる。それはまさしく、2003年の悪夢の再現だった。

CLへの長年の夢、失意の03年決勝

 02−03シーズンのレアル・マドリーとの準決勝第2戦、ネドベドは自らのゴールと並外れたパフォーマンスによって、CL決勝行きの切符をもぎ取った。しかし、3−1でリードしていたこの試合の終了間際、彼はまったく不必要だったファウルを犯し、累積警告のため決勝の出場資格を失ってしまう。

「チェコに住んでいたころ、テレビでCLを見て、いつの日かそこでプレーしたいと思った。子供のときから、僕はあの“ビッグイヤー(優勝トロフィー)”を勝ち取ることを、ずっと夢見ていたんだよ」
 いつもこう語っていたネドベドは、レアル・マドリー戦が終わると勝利を喜ぶ仲間の間を縫って、涙にくれながらピッチを去った。そしてマンチェスターでの決勝で、ユベントスはネドベドの不在を痛感させられることになる。攻撃面での牙を失ったユベントスは、スコアレスで120分を終えた後、結局PK戦の末、ミランに敗れた。

 その年の終わりに受賞したバロンドール(欧州最優秀選手賞/当時)も、ネドベドのトラウマを癒すことはなかった。受賞に先立ち、彼は「個人的な賞に興味はない。僕は、チームとともに勝ちたいんだ。驚かれるかもしれないけど、僕の夢はCLであって、バロンドールではないんだ」と漏らしていた。
 バロンドールを主催する『フランス・フットボール』誌の関係者たちが聞いたら気分を害しそうだが、受賞した後でさえ、ネドベドは「僕はこの賞を、喜んでCLのタイトルと取り替える」とはばかりなく言っている。あの優勝カップはもはや、彼の執念の権化となっていた。だからこそ、その6年後にチェルシー戦を前にして、また同じ言葉を繰り返したのだ。「この大会に優勝するためだったら、僕はすべてを投げ出す」と。

 運命の女神がいるとしたら、彼女はかなり気まぐれで、意地悪な性格に違いない。大石を山の頂上に運び上げてはそれが転がり落ちるさまを眺め、また一からやり直すシーシュポスのように、ネドベドはどん底に落ちるたびに、並外れた意志の力と努力で再び這い上がってきた。実際、彼ほどの器量の選手がこうも多くの苦難に見舞われたのも、その高潔さのためでもあったのだ。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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