ネドベド、かなわなかったCL決勝への思い
新天地ラツィオでの栄光
カップウィナーズカップを制し、トロフィーに口づけするネドベド。ラツィオで数々のタイトルを獲得した 【Photo:Getty Images/AFLO】
ラツィオでの3シーズン目には故障に苦しめられたが、出場試合は少なくとも、大事な試合で自分の印を刻んでいる。まず自らのゴールでユベントスを倒してイタリア・スーパーカップを制し、マジョルカとのカップウィナーズカップ決勝でも、81分の勝ち越しゴールでチームを勝利に導いた。これにより、99年のUEFAスーパーカップへの出場権を得たラツィオは、そこで3冠を達成したばかりのマンチェスター・ユナイテッドを撃破するという快挙をやってのけた。
国内リーグでは、98−99シーズンのセリエAで最後の瞬間にミランに追い抜かれ、タイトルを逃していたラツィオは99−2000シーズン、ついに74年以来、2度目の歴史的スクデット――イタリア・チャンピオンの栄冠を勝ち取った。スベン・ゴラン・エリクソン率いるこの時期のラツィオが、ネスタ、ベロン、マンチーニ、アルメイダら多くの名選手を擁していたのは事実だとしても、クラブの黄金期とネドベドの所属期間が重なっているのは、偶然のたまものではないだろう。またこのシーズンの終わりに、マンチェスター・ユナイテッドから巨額のオファーを受けたことも、ネドベドが世界に与えた強い印象を物語っている。
ユベントスへの移籍
ユベントスに渡ったネドベドは、瞬く間にファンの心をとらえた。その理由は、彼の技術、疲れ知らずの並外れた身体能力のみではない。戦略への順応性、何よりどんな努力もいとわず、喜んでチームのために奉仕する姿勢も、彼がクラブの皆にとって非常に貴重な存在となった要因だった。チームを助けるためなら、ネドベドはいかなる労力も惜しまない。ウイングからトップ下、ボランチの役まで、リッピ監督が命じたすべての役割を喜んで引き受けた。彼の天性のポジションは左ウイングだと言われているが、ユベントスでの初年度は「トレクアルティスタ」、つまりトップ下のポジションで成功を収めている。それは左右前後に自由に動くことを許された、言ってみれば“ジダン風”のポジションだった。
もともとユベントスは、ジダンの抜けた穴を埋めるべくネドベドを獲得した。来た当初は、芸術家肌のジダンと、気迫と運動量で秀でるネドベドはタイプが違うと言って、疑心暗鬼な目を向ける者もいた。ネドベドは90分を通してピッチを絶え間なく上下する恐るべきスタミナを誇り、自らボールを奪っては素早く攻撃のアクションに転じる才覚を備えた、万能なMFだ。確かにタイプは違ったが、ネドベドは重要な試合で違いを生むその精力的なプレーでチームを駆り立てた。おかげで驚異的な挽回(ばんかい)を見せたユベントスは、最終節にインテルを追い抜いて優勝。ネドベドはトリノでの初シーズンに、早くもジダンの不在を忘れさせることに成功したのである。