「日米を代表する親子選手」
「父親超え」を果たした黒田
父親もプロ野球選手として活躍した、ドジャースの黒田博樹 【写真は共同】
黒田親子の場合、一博氏は全盛期の南海でレギュラーの外野手としてリーグ優勝にも貢献したが、8年間の現役生活で個人タイトルとは縁がなかった。これに対し、息子の博樹は優勝にこそ恵まれなかったものの、通算103勝をマークし、最多勝、防御率1位、ベストナインなど数多くのタイトルを獲得している。このように息子が「父親超え」を果たしたケースは、日本のプロ野球では、黒田のほか、坪井智哉(北海道日本ハム)、金城龍彦(横浜ベイスターズ)の2人ぐらいしか見当たらない。
坪井の父・新三郎氏(元中日ドラゴンズほか)は、中日に入団した1970年にウエスタン・リーグの首位打者に輝いたものの、通算打率1割6分9厘、2本塁打で77年に現役を引退した。それに対し、息子の智哉は98年に阪神タイガースに入団し、昨年までの10シーズンで通算906安打、打率2割9分5厘を残している。金城の父・晃世氏も67年に近鉄バファローズ(現・オリックス・バファローズ)に入団したが、無安打のまま2年で退団。三男の龍彦は99年に横浜に入団して以降、9年間で通算1112安打、打率2割9分1厘をマークしている。
あまりに有名なボンズ、グリフィー親子
また、将来上位に名を連ねる可能性があるのは、息子のプリンス(ブルワーズ)が昨年50本塁打を放って、父セシル(319本、元タイガースほか)と合計399本を記録しているフィルダー親子だ。史上初めて親子での年間50本塁打も記録したが、現在この2人の関係は多額の負債で家庭崩壊を招いた父セシルが原因で断絶状態にある。
息子が監督として大成するケースも
<了>
※次回は4月8日に掲載予定です。
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ