裸足で世界デビューした五輪金メダリスト、デファル=Quest for Gold in Osaka
アテネ五輪の女王デファルは、世界デビュー戦は裸足で臨んだという逸話の持ち主だ(写真は06年のワールドアスレティックファイナル) 【写真/陸上競技マガジン】
メセレト・デファルは、そんなエチオピア女子長距離界の“顔”ともいえる存在だ。1999年の世界ユース3000mで銀メダルを獲得。翌00年の世界ジュニア5000mでも2位に食い込むと、02年の世界ジュニアでは3000mと5000mで2冠を達成するなど、着実にキャリアを重ねて育ってきた選手。03年シーズンはケガに苦しんだが、04年アテネ五輪5000mを制し、若干20歳でオリンピックチャンピオンに輝いている。05年以降は、同じエチオピアのティルネッシュ・ディババと常にし烈な勝負を繰り広げながらも、シニアのトップアスリートとして、その名を不動のものにした。
06年シーズンも世界室内3000mで優勝したのを皮切りに、6月には5000mで14分24秒53の世界記録を樹立したほか、ロードでも3キロ・5キロで世界最高をマークするなどの快進撃を見せ、国際陸上競技連盟が選ぶ2006年パフォーマンス・オブ・ザ・イヤーにも輝いている。その勢いは、07年に入っても衰える様子はなく、2月3日には3000mで8分23分72の室内世界新を樹立。大阪世界選手権での活躍がいっそう楽しみになってきた。
『陸上競技マガジン』(ベースボール・マガジン社)では、2005年3月号において、デファルの生い立ち、そして五輪金メダリストに輝くまでの鮮やかな軌跡を紹介している。
〜以下、『陸上競技マガジン』2005年3月号より転載〜
定説覆す、“都会っ子”
グリーンのランニングと赤いパンツ。長距離で旋風を巻き起こすエチオピア勢は、07年大阪世界陸上でも注目だ 【写真/陸上競技マガジン】
1999年の1万m世界チャンピオンのゲテ・ワミがこう語るように、エチオピアでは最近、特に女子の長距離種目で新しい選手の台頭が著しい。2003年のパリ世界選手権5000mでエチオピアのティーンエージャー、ティルネッシュ・ディババが金メダルを獲得したかと思えば、翌04年には同国の弱冠20歳のメセレト・デファルが五輪5000m、世界室内選手権3000m、そして陸上最終戦3000mと、すべてのビッグタイトルを総なめにした。
02年に世界ジュニア選手権で3000mと5000mの両種目を制したデファルは、昨年の11月に21歳になったばかりである。そのデファルは、03年世界チャンピオンであり五輪5000mでも3位に入った19歳のディババ、04年世界ジュニア選手権5000mと04年世界クロカン選手権ジュニアの部を制した同じく19歳のメセレック・メルカムなどとともに、今後の成長が最も期待される選手である。彼女たちの活躍により女子長距離界、特に5000mは黄金時代を迎えようとしている。
ハイレ・ゲブレセラシエの自伝的映画『エンデュランス』では、幼いハイレが走って学校に通うシーンが映し出されている。これはほんの一例だが、00年五輪5000mチャンピオンのミリオン・ウォルデを除いて、エチオピアのトップ選手のほとんどは田舎あるいは農村の出身であり、多くが学校までの長い距離を毎日歩くか、走って通っていたと推測される。これらの例は、アフリカの選手が長距離で強い理由の仮説として唱えられ、最近では定説へと変ぼうしつつある。しかし、メセレト・デファルにはこの定説は当てはまらない。
「私はエチオピアの首都、アディスアベバ出身なの」
83年11月19日に生まれたデファルは、アディスアベバで自動車修理工の父と母そして3人の姉妹、2人の兄弟と暮らしていた。子供の頃に憧れていた選手はという問いに、「五輪マラソン2連覇(60年と64年)を成し遂げたアベベ・ビキラです。裸足で走って優勝したことは大変な驚きだったわ」と即答したデファル。彼女は走る才能を学校で見出された。「競技を始めたきっかけは、学校内で行われた試合からです。練習もせずに参加した大会で優勝し、才能が認められたのです」
このような経緯で陸上競技の世界に足を踏み入れたデファルには、早くから成功が続いた。97年にはアディスアベバ学区の大会で1500m、3000mの両種目に優勝した。翌98年に高校へ進学したデファルは、再び首都学区の大会で1500m、3000mの両種目に優勝したのである。2年連続で2冠を達成したデファルには、シドニー五輪1万m銅メダリストのアセファ・メゼゲブや、同じくシドニー五輪5000mチャンピオンであるミリオン・ウォルデが所属し、銀行がスポンサーについている陸上クラブからさっそく誘いがあったという。