裸足で世界デビューした五輪金メダリスト、デファル=Quest for Gold in Osaka

K Ken 中村

不本意な03年を超えて

05年の年ヘルシンキ世界選手権では、ディババ(右)とのマッチレースに敗れたが、驚異のラストスパートは必見だ 【写真/陸上競技マガジン】

「トラックを走るのはとても好きです。室内のレースも屋外のレースと同じくらい好きです」と言うデファルは、03年3月に初めてシニアの世界大会を経験した。英国バーミングハムで行われた世界室内選手権だ。この大会の3000mでは、700mを残してペースアップしたベヌハーヌ・アデレ(エチオピア)とマータ・ドミンゲス(スペイン)にはついていけなかったが、最後に猛烈な追い込みを見せて2位のドミンゲスを猛追、銅メダルを獲得した。しかし、8月の世界選手権5000mでは、ケガのため予選を通過することさえできないありさまだった。
「パリに着き、予選3日前から右脚が痛くてたまらなかったの」
 デファールにとって無念の残る大会であった。
 03年は、その年の最終戦となる3000mで自己記録を8分38秒31まで伸ばした年だったが、5000mでも自己記録を大幅に更新した。5月にオレゴンの大会で初めて5000m14分台に突入したデファルは、6月のビスレット・ゲームズ、7月のゴールデン・ガラと自己新を連発。特にローマではザボー、ディババ姉妹、アデレなどの強豪を破り、14分40秒34の好記録で優勝を飾った。
「特に理由はありません。成長して、より激しい練習ができるようになり、その成果が表れたのではないでしょうか」

 デファルはこの年の大幅な記録の伸びをこう説明する。翌04年には弱冠20歳の若さにして、シニアの部で頂点に達したのである。それは3月にブダペストで行われた世界室内選手権だった。予選の様子から、決勝ではエチオピアの2選手、デファルと前回覇者アデレとの争いになると推測された。それは持久力とスピードの争いという典型的なパターンではなく、スピードとスピードとのぶつかり合いだった。どちらのラストスパートが優れているか? それが問題だったのだ。
 決勝はスペインのマータ・ドミンゲスを先頭に、最初の1200mまでは400mあたり約80秒の超スローペースで始まった。7周目(1周200mのトラック)を過ぎたところで、2位につけていたロシアのガリナ・ボゴモロバがつまずいたのをきっかけにペースが上がった。1600mまでの400mを74秒83、次の400mは72秒42と、ペースはさらに上がった。

 長距離の歴史を振り返れば、ラストに弱いランナーが徐々にペースを上げていってキッカーたちのラストスパートを封じる作戦は、ときどき用いられる。最も有名な例は、76年五輪5000mでフィンランドのラッセ・ビレンが最後の4周で徐々にペースを上げ、ディック・クアックス、ロッド・ディクソン、ブレンダン・フォスターなど、名だたる1500mランナーたちのラストスパートを封じた不朽の名レースである。
 その歴史的作戦を知っているかのように、ドミンゲスはさらにペースを上げていった。2400mからピタリとついたデファルとアデレを引きつれて2800mまでの400mではついに60秒台、65秒12までペースを引き上げた。そして最終ラップを知らせる鐘が鳴るのとほとんど同時に、デファルはトップに躍り出た。時を同じくして、3位につけていたアデレはドミンゲスを抜いて若きチームメートを追っただけでなく、勢いに乗ってトップに出たのだった。最後のバックストレート、アデレはデファルを1歩リード。続く最後のカーブで、デファルはアデレに並んだ。大歓声のなか、2人は並んでホームストレートを駆け抜けた。最後の数m、わずかに前に出たデファルは、100分の21秒の小差でディフェンディング・チャンピオンを抑え、彼女にとってシニア世界大会最初の金メダルを獲得したのである。

04年を完全制覇

 世界室内チャンピオンに輝いたデファルだったが、五輪の5000m予選第2組を素晴らしいラストスパートで制するまで、優勝候補に挙げる人は少なかった。現にデファルは8月初旬の段階では、エチオピア代表の補欠にすぎなかった。決勝は最初の半周が43秒という超スローペースで始まり、その後中国の2選手がペースを上げた。6周目に入ると世界記録保持者のエルバン・アベイレゲッセがトップを奪い、次の2周を66秒17、65秒25で走り、逃げ切りを図った。

 しかし、そのハイペースにより世界記録保持者は墓穴を掘ることになった。アベイレゲッセは失速、代わりにケニアのイザベラ・オチチが先頭に立ち、「アテネに来たとき、勝つチャンスはあると思っていた」というデファルが続いた。レースが進むにつれ、2人は後続を置き去りにしていく。エチオピア対ケニア、伝統の争いに。最後の1周、オチチはバックストレートでもトップの座を守っていた。しかし、残り200mでデファルがラストスパートを放ったとき、オチチはなす術もなかった。残り200mを32秒4で走り、14分45秒65で優勝したデファルは「最後、スプリントに入ったとき、優勝できると確信していた」と、20歳にしてすでに長距離選手としての貫禄を見せ始めた。

 その後、モンテカルロで行われたワールド・アスレティック・ファイナル3000mでもデファルは残り200mでスパート、ラスト200mを29秒51で走って優勝した。こうしてデファルは04年のメジャータイトルをすべて、制したのである。
「ヘルシンキでは5000mでメダルを目指します。当分の間、1万mを走る気はありません」
 脂が乗ったデファルは、ディフェンディング世界チャンピオンのディババとともに5000mの黄金時代の立役者、と果たしてなるか?

<了>

最新3月号では、室伏のライバル候補を特集!

『陸上競技マガジン』
※K Ken 中村の連載「Quest for the Gold in Osaka」は、陸上競技マガジンで好評連載中。最新号(2月13日発売3月号)では、男子ハンマー投のV・デビャトフスキー(ベラルーシ)とO・P・カルヤライネン(フィンランド)の若手2選手を紹介しています。世界選手権大阪大会で名勝負が期待できる種目を紹介する“世界選手権大阪 夢の対決!”で取り上げているのは男子ハンマー投。日本の誇る“鉄人”室伏広治(ミズノ)が軸となるであろう大阪大会を展望しています。また、過去の世界選手権を振り返る“世界選手権の歴史”は、1995年に行われた第5回イエテボリ大会の模様が紹介されています。

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著者プロフィール

三重県生まれ。カリフォルニア大学大学院物理学部博士課程修了。ATFS(世界陸上競技統計者協会)会員。IAAF(国際陸上競技連盟)出版物、Osaka2007、「陸上競技マガジン」「月刊陸上競技」などの媒体において日英両語で精力的な執筆活動の傍ら「Track and Field News」「Athletics International」「Running Stats」など欧米雑誌の通信員も務める。06年世界クロカン福岡大会報道部を経て、07年大阪世界陸上プレス・チーフ代理を務める。15回の世界陸上、8回の欧州選手権などメジャー大会に神出鬼没。

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