裸足で世界デビューした五輪金メダリスト、デファル=Quest for Gold in Osaka

K Ken 中村

初めての世界は、裸足で

裸足の世界デビューから5年目、アテネの地でデファルは金メダルを獲得した 【写真/陸上競技マガジン】

 クラブに入る前は十分な練習を積んでいなかったデファルだったが、その後の躍進は目覚ましかった。翌99年には早くも18歳以下の世界大会、世界ユース選手権のエチオピア代表に選ばれている。ポーランドのビドゴシチで開催された第1回世界ユース選手権で、デファルは3000mに出場した。
「それは私にとって初めての海外遠征だったの。スパイクを持っていなかったので裸足で走りました」
 デファルのヒーロー、アベベ・ビキラが最初の世界大会となったローマ五輪マラソンを裸足で完走したように、デファルも最初の世界大会を裸足で走ったのだ。

 世界ユース2日目に行われたのは、女子選手にとって最も長い距離である3000m。レースは最後の1周に入って、初めての海外遠征となった2選手、ケニアのアリス・ティンビリルとエチオピアのデファルが先頭集団から飛び出した。最後のホームストレートにデファルがトップで入ってきた。ティンビリルもすぐあとに続いた。残り20mでスプリントに入ったティンビリルは、最後の数mでデファルをかわして、9分01秒99で優勝。デファルはわずか100分の9秒差で銀メダルに終わった。
「大会前にいい練習を積み重ねたので本当は金メダルが欲しかったのですが、銀メダルでもとてもうれしかったわ」

 翌00年、チリのサンティアゴで第8回世界ジュニア選手権が行われた。
「気候は暑く、トラックが熱くなっていたので、裸足では走れませんでした。スパイクを履いてのレースになってしまったの」
 スパイクを履いて挑んだデファルは、初日に行われた5000mに出場した。福士加代子(ワコール)がたびたび先頭に出て引っ張ったそのレースでは、先頭集団が4000mを13分26秒04のスローペースで通過した直後、福士が飛び出して逃げ切りを図った。しかし、集団は完全には崩れず、4人の先頭集団が最後の1周を迎えた。そこで“絶対に勝ちたいと思っていた”デファルが、会心のラストスパートを放ったかのように見えた。しかし、デファルにピタリとついたウガンダのインジクルが、ホームストレートに入ると、ラストスパートでみるみるうちに置き去りにした。デファルは、追い込むケニアのシャロン・チェロップの追撃を辛うじてかわし、世界大会で2年連続の銀メダルを獲得したのである。

 02年、デファルは3月の世界クロカン選手権のジュニアの部に出場し、無念を味わった。
「クロカンはあまり好きではありません。理由を聞かれても困るのですが、あのときは走っている最中に足が痛くなって、結局13位に終わってしまいました。以来、クロカンを走る気にはなれないんです」
 デファルはこのときの失敗がよほどこたえたのか、その後、世界クロカン選手権には出場していない。
 そんなデファルだったが、大好きなトラックでは1段階上の選手に成長したのである。02年には、ジャマイカの首都キングストンで第9回世界ジュニア選手権が開かれた。
「3000mと5000mの両種目でいい記録を出していたので、陸連から両種目に出場するように言われました」
 デファルは、まず1日目に行われた女子3000mに出場。レースは序盤から、田中真知(名城大)が積極的にレースを引っ張った。前回のジュニア世界選手権では残り400mからスパートし、最後に失速したデファルは、今回は残り1周で飛び出したモロッコのマリエム・アリ・アオウイ・セルソウリにピタリとついて、スパートの機会を待った。レース中から勝つ自信はあったというデファルは残り200mでスパート、9分12秒61で圧勝した。意外にも、それはエチオピアの選手が世界ジュニア女子3000mで初めて手にした記念すべき金メダルであった。
「まだ5000mのレースが残っているので、今夜はお祝いできません」と言ったデファルは、5日後の5000m決勝に出場した。そのレース序盤、ロシアのガリナ・イグナテエバがペースメーカーを自ら買って出て、3000mを9分42秒17で通過。その後、4400mで東アフリカの選手たちがついにトップに躍り出た。最終ラップの鐘が鳴るや、ケニアのビビアン・チェルイヨットがラストスパートに入り、デファルはチームメートのティルニッシュ・ディババとともに、チェルイヨットについた。そのままチェルイヨットが先頭でホームストレートに入り、そこでエチオピアの2人がスパートしてトップに進出。最後は、デファルがじりじりとディババを引き離して優勝を果たした。

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著者プロフィール

三重県生まれ。カリフォルニア大学大学院物理学部博士課程修了。ATFS(世界陸上競技統計者協会)会員。IAAF(国際陸上競技連盟)出版物、Osaka2007、「陸上競技マガジン」「月刊陸上競技」などの媒体において日英両語で精力的な執筆活動の傍ら「Track and Field News」「Athletics International」「Running Stats」など欧米雑誌の通信員も務める。06年世界クロカン福岡大会報道部を経て、07年大阪世界陸上プレス・チーフ代理を務める。15回の世界陸上、8回の欧州選手権などメジャー大会に神出鬼没。

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