タフネス福留、山本昌200勝達成に思わぬ珍言=小グマのつぶやき

阿部太郎

タフな20連戦で「貯金」を増やしたカブス

 カブスの、そして福留孝介の長い長〜い20連戦が6日(現地時間)、ようやく終わった。その間に大一番の宿敵ブルワーズ4連戦あり、竜巻警報が出され、約6時間におよんだ試合あり。今ごろ、「いやあ、へこたれた〜」とソファに寝転がってまどろみそうな選手は1人や2人ではないだろう。福留自身はこの日の試合後「休ませてもらってるんで疲れはほとんどない」と語ったが、疲れても「疲れた」とは口にしないタイプだけに、自宅でひっそりと「へこたれた〜」と漏らしているかもしれない。それでも、カブスはこの20連戦を12勝8敗の成績で乗り切り、ナ・リーグ中地区で、2位ブルワーズに5ゲーム差をつけて首位の座をがっちりキープしている。

 「メジャーリーグはタフだ」とよく言うが、取材していると、そのタフさが身に染みて分かる。たとえば、4日に行われた試合。前述したように、竜巻が起こるわ、雷は鳴ってリグレー・フィールド付近に落ちるわ、もう大荒れの天候だったのだが、それでも雨がやむのを待って再開しようと粘りに粘った。最後の最後まで待っても激しい雨が降りやまず、ようやくコールドゲームの運びとなったが、18時すぎに始まった試合は、結局深夜0時直前に終了。その約6時間で、半分以上は中断していたのだから、取材者としては「早くやめときゃよかったのに」と疑問に思ってしまう。カブスの首脳陣は、チームが0−2で負けていたからやりたかったのだろうけど。

 さらに、翌日がナイトゲームだったら、まだ選手も救われたのだが、これが翌日はカブス特有のデーゲーム。深夜0時近くに終わって、次の日は昼の13時20分には「プレーボール」と、なんとも酷なスケジュールをこなさなければならなかった。もちろん、福留はスケジュールに文句をつけることはないし、「これがメジャーのスタイルですから」と言ってのけそうだが、内心「おいおい」と思っているかもしれない。

山本昌200勝達成に刺激を受けた福留

4日の巨人戦で200勝を達成した中日・山本昌 【写真は共同】

 さて、そんな福留の疲れを吹き飛ばす活力源になるのは、日本でかつて一緒に戦った仲間の活躍だろう。クラブハウスで日本の新聞を読んでいるのをよく目にするし、インターネットでもチェックしている。そして、ここ最近、福留に刺激を与えたのは、元チームメートで“まささん”と慕う中日・山本昌投手の200勝達成である。

 渡米後も山本昌とは連絡を取り合っているという福留。いつもは、ほかの選手のことに関してあまり多くを語らないが、山本昌の200勝の話題になると冗舌になった。

「200勝というのは、今ではそう簡単にできる数字ではないでしょう。それを完投でね、投げ切ってとったというのも、まささんらしい。(しかも)それが巨人戦だったというのも、よっぽど(巨人が)好きなのかなと思いますけどね」

 そして、「満足したことは1度もない」というストイックな福留らしい言葉も送っている。

「200勝してここから気を緩めないで。けがせずに、200勝ったから次はなしというわけではないんでね。その次を、少しでも上を目指してもらえたらいいなと思う。まささんもそれはよく分かっていると思う」

山本昌と福留 20年の時を経て

 福留は200勝を達成した山本昌に祝福の電話を掛けたが、「留守番電話がいっぱいだった」ために直接話せなかったという。逆に山本昌から「僕のほうに留守番電話が入ってました」と、うれしそうに話した。

 ところで、山本昌は1988年に渡米し、ドジャースの下で野球留学を経験している。その当時は携帯電話もない、インターネットも発達していない時代。山本昌はひどいホームシックにかかってしまった時期があるらしい。それから20年の時を経て2008年、福留は米国にやってきた。ある記者が山本昌のエピソードを福留に話し、「ホームシックはないか」と尋ねると、「僕はないですね、ホームシックは」。

 そして、にやりと笑い一言。

「まささんもなかったんじゃないですか? ラジコンがあればいい(大丈夫)でしょう」

 無類のラジコン好きである先輩について語る福留の顔は、いつにもまして晴れやかだった。

<了>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1978年1月9日生まれ、大分県杵築市出身。上智大卒業後、シアトルの日本語情報誌インターンを経て、スポーツナビ編集部でメジャーリーグを担当。2008年1月より渡米し、メジャーリーグの取材を行う

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント