神への手紙 野茂とジョーダン=小グマのつぶやき
青春期に刻み込まれた鮮やかな野茂の記憶
個人的に、野茂が活躍した1995年は青春真っ盛りの高校生。にきびと、テンパーの髪質と女の子の視線ばかりを気にするごくごく平凡な学生にも、野茂はかなりのインパクトを残した。まだ幼かったからか、ヒルマン監督が言った「裏切り者に見なされた」という印象を抱いた記憶はない。こういう仕事をしてから、メジャーリーグに行く過程でいろいろとあったことは知ったが、その当時、野茂英雄は自分の中ではもうヒーロー以外の何者でもなかった。
あの当時を思い出すと、ひとつの映像が繰り返し、繰り返し再生テープのように浮かんでくる。野茂が打者と対峙して、あのトルネード投法からキャッチャーミットめがけて思いきり投げ込む。伝家の宝刀フォークにメジャーリーグの一流打者はまるで三流打者のようなぶざまな空振りをする。そして、現地実況のアナウンサーが少し間の抜けた発音で、こう叫ぶ。
「サァーン・スィン」
今でもこの発音はうまくできる。本当に現地アナウンサー並に。普段の英語の発音はひどいものだが、アメリカ人と同じぐらいうまく発音できるのは、「サァーン・スィン」と「イッチィルォー」と「フックドォメー」ぐらいである(自己評価だが……)。
もしジョーダンと対戦していたら……
1995年、ドジャースに入団した野茂は全米に“トルネード旋風”を巻き起こした 【Getty Images/AFLO】
さて、この1995年はもう一人の神が再び慣れ親しんだコートに舞い降りた。マイケル・ジョーダンである。野球好きのかたわら、バスケットボールも大好きという中途半端な学生であった私は、それこそ野茂の快進撃に心を躍らせ、ジョーダン復帰に胸を熱くさせた。ただ、神同士は交わらなかった。
その前年、ジョーダンはメジャーリーグを目指してホワイトソックス傘下のマイナーチームでプレーしているのである。もし、ジョーダンが野球で成功を収めて、野茂と対戦していたらどうなったであろうか? ドジャースとホワイトソックスだったら、あまり当たる確率はないし、インターリーグは1997年から始まったから、対戦するとすればワールドシリーズ。うーん、想像するだけでも難しいけど。ジョーダンは俊足だったから、野茂のフォークをかろうじてバットに当て、サード内野安打とか……夢がないですね。では、「サァーン・スィン」か「ホォームラン」で。
色あせない情熱
だが、変わらずに持ち続けているであろう野球への情熱は圧倒的だった。バントの守備練習では、ポジショニングに関してコーチとしきりに相談していた。若い選手には、笑顔で球の握りを教えていた。そして、インタビューはあの当時と変わらず、朴訥として、言葉少なだった。メディアとしてはもちろん残念ということになるが、個人的には何かうれしさを感じた。あの時と同じ、「返事はグラウンドで」という雰囲気が心地良かった。
野茂は引退に際して「後悔している」と話したらしい。ジョーダンは2度の引退撤回で、コートに舞い降りた。もう一人の神だって、その権利はある。
手紙の返事を、もう一度グラウンドで返してほしい。
<了>
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