昭和プロレス旗揚げ戦に1650人 坂口、初代タイガーら豪華レスラー集結

高木裕美

1650人を集めて旗揚げされた昭和プロレス。参戦した選手も試合後は笑顔 【スポーツナビ】

 昭和の魂を平成に伝える“ノスタルジック・メジャー”昭和プロレスが12日、後楽園ホールで旗揚げされ、満員となる1650人を集めた。

 今大会は昭和プロレスの仕掛け人ともいうべき永島勝司氏を中心に「昭和プロレス実行委員会」が結成され、昭和を支えた戦士たちが多数参加。現役レスラーばかりでなく、坂口征二、ザ・グレート・カブキなど引退した後もそのDNAを次代に受け継ぐスター選手たちが“同窓会”に来場した。

 全試合修了後、リング上から挨拶した永島氏は「まだ日にちは未定だが、次回大会には外国人選手も呼びたい。アントニオ猪木も引っ張り出したい」とさらなる野望を激白。今大会について「80点以上」とまずまずの高評価を与え、この熱を冷まさないうちに第2、第3弾と継続開催を宣言した。

昭和プロレスが聖地で旗揚げ

歌対決は黄色のジャケットがまぶしいキラー・カーン(後ろ)に軍配 【スポーツナビ】

 日本のプロレスの歴史は昭和26(1951)年9月に両国メモリアルホールで外国人のみによるプロレス興行が行われたことから始まり、翌月に同所で力道山がデビュー。昭和28(1953)年7月に力道山を中心とした日本プロレス協会が発足され、国民的スポーツとして人気が爆発した。
 昭和35(1960)年にはジャイアント馬場、アントニオ猪木が入門した。しかし、昭和39(1963)年に力道山が急死。その後、昭和42(1967)年に国際プロレスが旗揚げされ、昭和47(1972)年3月に猪木が新日本プロレスを、同年10月に馬場が全日本プロレスを旗揚げし、この2団体を中心に数々の激闘が誕生した。

 試合の合間には様々なイベントも催され、昭和の貴重なプロレスグッズを集めた「プロレスお宝鑑定団」では、日本初のプロレス大会のパンフレット(推定価格20〜30万円)や力道山のサイン(5万円)、アントニオ猪木vs.モハメド・アリ戦の勝利者賞(100万円)など、めったにお目にかかれないようなマニア垂涎のお宝が登場した。

 また、木村健悟vs.キラー・カーンによる歌対決では、河島英吾の「酒と泪と男と女」をしっとりと歌い上げた木村に対し、“現役歌手”のカーンは自らがリリースした「新宿三百六十五夜」と「夕月子守唄」の2曲もフルコーラスで熱唱し、CD販売や有線リクエストまでちゃっかりアピール。21年前に現役を引退し、すでに61歳とは思えない体つきと若々しさを見せたカーンが観客の支持を集め、判定勝利を得た。

初代タイガーが自らのDNAに勝利

初代タイガー(手前)が自らのDNAに勝利 【スポーツナビ】

 メーンイベントでは昭和を代表するスーパースターの初代タイガーマスクが“小さな巨人”グラン浜田と組んで、佐山サトルDNA(サミー・リーJr.)、藤原喜明DNA(石川雄規)組と対戦。これまでタッグを組んだのは1回か2回ぐらいしかないというジュニアの英雄の揃い踏みに、客席が大いに沸き上がった。

 佐山は初代タイガーに変身する前のイギリス遠征時代に「サミー・リー」を名乗っており、サミーJr.はその遺伝子を引き継ぐ若手の有望選手。それだけに、“過去の自分”と対峙したタイガーはいつも以上にハツラツとしたファイトを見せた。

 浜田が石川に強烈なフランケンシュタイナーを見舞いベテランの意地を見せれば、タイガーはサミーJr.に高速ブレーンバスター。浜田がラリアット、スイングDDTとたたみかけ、再びタイガーが強烈なハイキックでサミーJr.をダウンさせると、さらにツームストンからダイビングヘッドバットを狙うが、これはサミーによけられ、逆にジャーマンスープレックスのエジキに。サミーはムーンサルト・ムーンサルトからフェニックススプラッシュを狙おうとするも、これをタイガーがブロックすると、瞬時に逆さ押さえ込みで3カウントを奪い取った。

 勝利を収めてオリジナルレスラーの意地を見せ付けた佐山だが、「今日は気を遣ってもらったから」と平成を担う若手たちに敬意を払い、今後のプロレス界への希望を託すと、タイガーとの貴重なタッグ結成を経験した浜田は「まだまだ続けたい」と第2弾、第3弾興行での継続タッグをアピールした。

胃ガン克服の藤原組長は復帰戦ならず

藤原組長が伝家の宝刀を披露するも、試合ができずバックステージで涙 【スポーツナビ】

 昨年10月に胃ガンを患い、胃の摘出手術を行った“組長”こと藤原喜明は、木戸修とワキ固めで対決。当初は、この2人によるシングルマッチが予定されていたが、主催者サイドから藤原の復帰にストップがかかったことにより、藤原vs.木戸で直接戦うのではなく、互いに若手にワキ固めを仕掛ける技術を競う「ワキ固め対決」に変更された。

 まずは上半身裸で登場した木戸が若手相手に電光石火のワキ固めを披露。続いて藤原がリングに立つと、相手役に指名されたのはかつての藤原組の弟子であったアレクサンダー大塚。体格で上回る大塚に対し、藤原はまず両足でワキを極める腹固めを繰り出すと、次は正調のワキ固めへ。しかし、大塚にロープエスケープされたため、今度こそリング中央で完璧なワキ固め。ブランクや体調不良を感じさせない、流れるような職人技に客席からは歓喜の声が上がった。

 しかしバックステージに戻ると、「リングに上がるからには試合がしたかった」と語った藤原は、今回のようなエキシビション的な試合内容に終わったことに対し、「どうもすみません」と目に涙
を溜め、やりきれない思いを爆発。医師からは当然のようにドクターストップがかけられ、主催者からも「何かあったらまずいから」と試合を組んでもらえない状況ではありながらも、「もう1回鍛えてリングに上がりたい」と復帰に向けての意気込みをのぞかせ、かつて雪の札幌中島体育センターで入場する長州力を襲撃し、“テロリスト”と恐れられた男の戦う本能をムキ出しにした。

マシン軍団が復活! カブキ&小鹿も登場

懐かしの名脇役・将軍KY若松は場外から後藤にちょっかい 【スポーツナビ】

 かつて新日本プロレスマットを席巻したマシン軍団が復活。将軍KYワカマツこと若松市政率いるマシン6号が後藤達俊と対戦した。拡声器を片手にムチを振り回す若松の独特な攻撃&口撃にも冷静さを崩さなかった後藤が伝家の宝刀バックドロップで快勝。しかし、観客の「GO! マシンGO!」コールでさらに活気づいた若松は「マシン軍団は無限大だ」とさらなる増殖を予告した。

 また、第1試合では旧国際プロレスの高杉正彦、鶴見五郎組がグレート小鹿DNA(谷口裕一)、ザ・グレート・カブキDNA(ザ・グレート・サスケ)組と対戦。鶴見がカブキをチェーン絞首刑にするなど悪の限りを尽くすも、そこに本物の小鹿とカブキが乱入し、DNAたちを救出。見事サスケの勝利をアシストし、4人でガッチリと手を組んだ。

■“ノスタルジック・メジャー”昭和プロレス
5月12日(月) 東京・後楽園ホール 観衆1650人

<昭和の魂よ、平成に届け タッグマッチ 30分1本勝負>
○初代タイガーマスク、グラン浜田
(8分46秒 逆さ押さえ込み)
●佐山サトルDNA(サミー・リーJr.)、藤原喜明DNA(石川雄規)

<ワンポイント対決 15分1本勝負>
△藤原喜明
(引き分け)
△木戸 修
※エキシビションマッチ

<必見ワンポイント対決>
○キラー・カーン
(観客判定)
●木村健悟
※両者が持ち歌を唄い、観客の拍手で勝敗を決する。

<旧新日本プロレスが今、対決! シングルマッチ 30分1本勝負>
○後藤達俊
(5分37秒 バックドロップ→体固め)
●マシン6号with若松市政

<旧国際プロレス復活! タッグマッチ 30分1本勝負>
高杉正彦、●鶴見五郎
(11分55秒 ミサイルキック→片エビ固め)
○ザ・グレート・カブキDNA(ザ・グレート・サスケ)、グレート小鹿DNA(谷口裕一)
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント