【優勝/準優勝監督インタビュー】青山学院大・安藤監督が振り返る神宮大会(後編)

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【©氏原英明】

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「自主性」の難しさ

(※本記事は前後編の後編)


寝耳に水の話だった。2018年の夏に20年勤めた高校野球の監督に終止符を打ち、家業を引き継ぐために地元へ帰る準備を進めていた安藤寧則監督に白羽の矢が立ったのは、2018年冬のことだった。

「当時の学長から依頼を受けたのですが、もっと実績をお持ちの候補者がたくさんいたと思います。でも、当時は色々と野球部内で問題があった時期なので、外部から監督を招聘するのは難しかったのでしょう」

2014年の秋季リーグの入れ替え戦で敗れて2部に降格して以降、長く不遇の日々が続いた。安藤監督が就任した2019年の時点では4年間2部にいたので、チーム状態はあまり良くなかった。

ただ、安藤監督が何より問題に感じたのは野球そのものではなかった。

「とにかく寮生活が酷かったです。生活リズムは不規則で、寮の食事は残食だらけ、寮内の風呂場や洗濯場も汚く、ロビーや廊下などの共有場所の整理整頓もできていない状態でした。野球以外の部分をしっかりしないとチームは絶対に良くならないと思いました」

前編で紹介したように、青学は伝統として学生の『自主性の文化』を基本としている。

選手を大人扱いして、全体練習以外の時間は選手自身に選択させている。それは当然、寮生活も同じで選手に一任されていることが多かった。

低迷期に一時的に復帰した河原井監督も、基本的にグラウンド以外のことには口を挟まない人だったから、私生活の乱れは指導者の知らないところでどんどん悪化の一途を辿っていた。

自主性があらぬ方向へと向いていた。指導者が口を挟まないと言っても、秩序や暗黙の了解というルールは存在する。それらは先輩から後輩へと伝わっていくものだが、長く2部に低迷していたことから次第に薄れていったのだろう。

「僕が監督に就任して、河原井監督が想像以上にご苦労されていたことを知りました。監督は全体練習が終了すると、選手たちの自主性に任せて帰られるというのは僕らが現役のときと同じでした。
でも当時と違うのは、学生のモラルが欠けていたということです。僕らの時は暗黙の了解とか、超えてはいけない一線とかがあって、自分たちで秩序を保ちながら寮生活を送っていましたが、そういう意識がなくて無法地帯になっていました」

そうした秩序のなさは野球にも現れた。何かと理由をつけて選手が練習に全員揃わないし、ノックを打っていても見過ごしてはいけないプレーに対して選手同士で注意をしあうような様子もなかった。それぞれが好き勝手に都合の良い練習をする履き違えた自由がそこにはあった。

【©氏原英明】

「青学プライド」の注入

ただ、監督に就任して寮に入った安藤監督がそれを頭ごなしに否定することはなかった。「言いたい」、「言わなくてはいけない」という葛藤が胸の中で、何度も行き来した。
しかし、自分たちの学生時代とは価値観の違う今の学生たちに、上から意見をしても素直に受け入れられないことは想像がついた。彼らが耳を傾けられる伝え方を探した。『感謝の心』を教えたかった。寮費はどこから捻出されているかなどを話して、選手たちに周りの人に対して、どういう行動・言動をすべきかの理解を求めた。

「みんな色々な事柄の善悪は、大抵わかっています。でも、その正解を僕からは言わない。『どう思う?』、『どっちが正解?』と聞いて、選手たちから『こう思います』や『こちらが正しいです』という言葉を引き出して、自分たちで判断、決断をさせ浸透させていくという形をとりました。

まずキャプテン、副キャプテンから始まって4年生全体。そこで話がまとまったら3年生、そして下の学年に伝えていくという形でした。とにかく、そのプロセスに関しては、いくら時間がかかっても、その労力を惜しみませんでした」

選手たちの意思を尊重するという意味では、そこはブレることはなかった。あくまでも選手たちの自主自律の中での自由。それでも強制するようなことはなくチームは変われた。

同時に、安藤監督が力を入れたのが『青学プライド』の理解と継承だった。選手たちが今、どんな野球部の歴史の中にいてプレーしているのかをわからせるようにした。

安藤監督は当時を回想する。

「『うちの優勝回数を知っているか』という話からしました。最初は誰も答えられませんでした。それを選手たちに教え、共有しました。
野球部は強化指定部にも位置づけられているので、そのご縁があって今、ここにいる。青学に来た意義と意図を改めて考えるというところから『青学プライド』を植え付けるようにしました」

練習中の監督の口から出たのは「お前ら青学やぞ、それでいいのか」というブランド価値を意識させる言葉掛けが多かった。それがやがてはプレー一つ一つにも繋がっていった。

青学には、全国から能力の高い選手たちが入部してくる。安藤監督は「君たちが今までやってきた野球に上書きをする必要はない。一人一人が培ってきたものをお互いに出し合って、チームの財産にしてほしい」と個性を尊重しながら、チーム愛を育ませていった。

【©氏原英明】

時代に合わせて

そして今や「負けてたまるか」という気持ちが芽生え、選手たちは泥臭くプレーするようになっている。

面白いことに、青学の指揮官は昭和時代が近藤正雄、平成は河原井正雄、そして令和になって安藤寧則が務めている。指揮官にはそれぞれ色はあるが、青学の伝統として、特に根付いているのは、河原井が作り上げた『自主性の文化』だ。

ただ、時代と共に、その自主性のあり方は変化していく。それが一時期、自主性のあり方を間違えチームは低迷した。そこで安藤監督が取り組んだのは、自主性を「令和版」に改めたということだ。

「河原井監督や諸先輩方も含めて培って継承してきたものを、もっと良いものにするということです。『自主性の文化』はうちの伝統として、もっと良いものにしたい。『自主練』ってよく言いますけど、自主性がある選手にしか成立しない言葉です。

うちには推薦枠が8枠あります。この制度の中でチームのイズムを保ちつつ、技術だけでなく人間性も含めたスカウティングが大事になります」

過去に作り上げた『自主性の文化』を令和版にアップデートして、昭和、平成と一時代を築いた青学が大学の王者に返り咲いた。令和の大学野球も青学が牽引する。その狼煙を見せた2024年、圧巻の4冠達成だった。


(取材/文/写真:氏原英明)
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