悪夢の2年を経たヤクルト・村中恭兵 「一からつくった」フォームで自信あり

菊田康彦

「一度は死んだ」という気持ち

5月28日の中日戦で2年ぶりとなる白星をマークした村中。今季は中継ぎとしてチームを支える 【写真は共同】

 まばゆいばかりのカクテル光線に照らされ、神宮球場の一塁側ブルペンから小走りにマウンドに向かう背番号43──。その姿を感慨深く見つめるファンは、決して少なくないはずだ。

「『一度死んだ』という気持ちでやってるんで、今は1軍の試合で投げられる喜びを感じてます」

 その投手──東京ヤクルトの村中恭兵(28歳)は、昨年とは打って変わって明るい表情で話す。今シーズンはここまですべて救援で26試合に登板し、1勝1敗5ホールド、防御率2.97。かつては背番号15を背負い、先発としてまっさらなマウンドに上がるのが常だった左腕は、悪夢のような2シーズンを経て完全に生まれ変わった。
 
 村中が高校生ドラフト1巡目でヤクルトに入団したのは、2006年のこと。3年目の08年に6勝を挙げると、10、12年には2ケタ勝利をマーク。次代の左のエースとして大きな期待をかけられたが、14年の春先に腰を痛めて長期の離脱を強いられたのが悪夢の始まりだった。

「腰をケガしてからちょっとフォームを崩して、そこから前の投げ方では投げられないというか、踏ん張れなくなりました。その(腰を痛めた)後も上(1軍)で何試合か投げたんですけど、自分の投球ではなくて、その年はごまかしながらやるしかないって思ったんですけど……」

泥沼にはまった2015年

 夏場に戦列復帰した後も登録と抹消を繰り返し、わずか7試合の登板で2勝どまり。腰痛が完治しないまま臨んだ翌15年シーズンは、さらに深い泥沼にはまり込んでしまう。

「(春先は)結果は出ていたんですけど、自分の感覚はあまり良くなくて。ちょっと嫌な感じがあって、抑えてる気がしなかったんです」

 開幕ローテーション入りがかかっていたイースタン・リーグ、横浜DeNA戦。「嫌な感じ」を抱えたまま上がったマウンドで、先頭打者の外角を狙ったはずの球が背中を直撃すると、そこから大きく制球を乱した。4回途中までに8つの四死球を与える大乱調で、開幕ローテ入りは白紙。その後もファームで登板を重ねたものの「ストライクを投げられないというよりは、打者に当ててしまうんじゃないかっていう恐怖心で」四球を連発し、ついには2軍戦で投げることもままならない状態にまで陥っていた。

「本当に苦しかったですけど、逆にいい転機になったと思います。どこかしらでつくり直さなきゃいけない時期だと自分でも思ってたんで……。もう落ちるところまで落ちたんで、やるしかないなって」

 悩みながらも、そこからは新たなフォームづくりに取り組んだ。それは“修正”というよりは「一からつくり直す」作業だったという。

「試合で投げられない時期もブルペンで投げながら形をつくっていって、(10月の)フェニックス・リーグぐらいからそれができてきました。(11月の)秋のキャンプで土台というか基礎ができて、(1月の)自主トレで体をしっかりつくって(2月の)春のキャンプでちゃんと全体的な形になったかなと思います」

 今でこそ淡々と振り返ることができるが、昨年は07年以来の1軍登板ゼロに終わり、14年ぶりのリーグ優勝も自身は蚊帳の外。さまざまな葛藤もあった。

「正直、去年でクビになるかなと思ったんですけど、残してもらえたっていうのは球団にすごい感謝しています。背番号が(15から43に)変わったことは、ショックというか悲しい気持ちもあったんですけど、そこは自分の受け取り方ひとつだと思うんで。今は心機一転できたと、プラスにとらえています」

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著者プロフィール

静岡県出身。地方公務員、英会話講師などを経てライターに。メジャーリーグに精通し、2004〜08年はスカパー!MLB中継、16〜17年はスポナビライブMLBに出演。30年を超えるスワローズ・ウォッチャーでもある。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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