岡崎慎司とレスターの“相思相愛な関係” 快挙を支えた精力的なプレーと人間性
1年前は残留争いをしていたチームが初の快挙
オールド・トラフォードでの決定はかなわなかったが、翌日、トッテナムが引き分けたことでレスターのリーグ制覇が決まった 【Getty Images】
1884年創設のレスターにとって、トップリーグでの優勝は初の快挙。思い返せば、ちょうど1年前の今ごろは残留争いを演じていたが、わずか12カ月後に猛者ぞろいのプレミアリーグで頂点に立った──。
そして、イングランド挑戦1年目の岡崎慎司にとっても、まさかの国内制覇となった。日本人選手としては、2001−02シーズンにアーセナルで優勝した稲本潤一(リーグ戦の出場はなかった)、12−13シーズンにマンチェスター・ユナイテッドに在籍していた香川真司に次いで3人目の偉業達成だ。
5月1日、「夢の劇場」オールド・トラフォードでの優勝決定はかなわなかったが、翌日に2位のトッテナムがチェルシーと引き分けたことから、レスターのリーグ制覇が自動的に決まった。
レスター市内のバーと中継を結んだ国営放送『BBCニュース』はトップニュースでレスターの優勝決定を伝え、「個人競技ではあり得るが、団体競技のリーグ戦ではまれに見る世紀の大番狂わせ」と報じた。まさに、奇跡のリーグ優勝である。
「FWの4番手」から欠かせない存在に
同様のことは、岡崎にも当てはまる。入団当初の序列は「FWの4番手」。開幕当初にレギュラーの座をつかみかけたが、秋ごろになると控え要員となり、先発とベンチスタートを繰り返した。しかし、年が明けると定位置を確保し、1月13日のトッテナム戦からは、不動のレギュラーとして16試合連続の先発出場。今や、レスターにとって欠くことのできない存在になった。
では、なぜ岡崎はここまでレスターにフィットできたのか――たたでさえ、外国人選手には適応が難しいとされるプレミアリーグが舞台である。さまざまな要因が考えられるが、2つのテーマからその理由を探ってみたい。
岡崎によってレスターが手にした最適なバランス
ラニエリ監督(中央)は秋口まで試行錯誤を続けたが、やがてバーディーと岡崎を2トップに据えた4−4−2が不動の布陣となった 【写真:ロイター/アフロ】
しかしサンダーランドとの開幕戦で、ラニエリは現在の基本陣形である4−4−2を採用する。この策が見事にハマり、バーディーと岡崎が前線から敵を追いかけるプレッシングサッカーが威力を発揮した。しかし、イタリア人指揮官はこれだけに満足せず、シーズン序盤は4−1−4−1を併用。人選を含めたラニエリの試行錯誤は秋口まで続き、今季MVP級の活躍を見せたセントラルMFのエンゴロ・カンテでさえ、当初はサイドMFで起用され、岡崎はベンチを温める試合が増えていった。
だが結論から言えば、バーディーと岡崎を2トップに据えた4−4−2以外は機能しなかった。岡崎が2トップの一角に入った4−4−2でスタートし、ハーフタイムにその日本代表FWを途中交代させた上、4−1−4−1に変更して2−5と大敗を喫した第7節のアーセナル戦がその最たる例である。
中盤まで下がって守備をこなしながら、前線まで突っ走ってゴールを狙う──。こうした岡崎の精力的なプレースタイルが、レスターのプレッシングサッカー、堅守速攻のスタイルの肝になっていたのはあらためて言うまでもないだろう。守備一辺倒にならず、かつ前傾姿勢にもなりすぎない。岡崎がピッチを何度も上下動することで、レスターは最適な陣形バランスを手にしたのだ。人よりも1.5倍近く走っている岡崎の脚力により、レスターは絶妙な攻守のバランスを生み出すことに成功した。