春夏連覇の大阪桐蔭4番が野球界に復帰 藤浪の同期・田端良基が語る新たな夢
創部10年目の新興チームで復帰
阪神・藤浪とともに大阪桐蔭の主力として春夏連覇に貢献した田端。3年の空白を経て、今春から社会人の日本ウェルネス大学北九州に選手として復帰した 【写真=高木遊】
しかし、彼の名前は亜細亜大の推薦合格者発表以後、見なくなり3年の月日が経った。だが、今春、日本ウェルネス大学北九州(社会人チーム登録)に加入。電撃復帰までの経緯と現在の目標を明かした。
(制作協力:高木遊)
高校卒業で「もう野球はええや」
3年春のセンバツでは大谷からも一発を放つなど大阪桐蔭の4番として春夏連覇に貢献。高校卒業後は亜細亜大に進学する予定も、3日も経たず入学を辞退した 【写真は共同】
「キツいから辞めたとかではなく、高校卒業してプロに入るという目標がなくなり、もう野球はええやと思ってしまったんです」と話すように、野球への未練はまったくなく、水道関連の仕事を半年、鉄工所の仕事を1年半こなし、正社員として月収約30万円と不自由ない生活をしていた。しかし、どこか満たされない思いがあった。
野球から離れ、約1年半が経った夏。
「なんか違うわ。俺ずっとこのまま生きていくんかな?これじゃ胸張れへんな」
そう思い立った田端は、すぐに友達の叔父が監督を務める関西の強豪社会人チームに連絡。すると「冬までに体を作ってきて欲しい」と連絡があり、ジムで体を動かし始めた。
大阪偕星学園の弟・拓海の活躍に刺激
それでも再び灯った野球への思いが消えることはなかった。その裏には昨夏、大阪偕星学園高で甲子園出場を果たした弟・拓海の存在も大きかったという。
「(大阪大会準々決勝の)大阪桐蔭戦を僕は大阪偕星学園側のスタンドで、複雑な気持ちで観ていました。そしたら勝つと思ってなかった弟のチームが勝って…。僕は弟が高校に入るまで大変だったことを知っていたから、感動しました。一方で、大阪桐蔭の後輩たちが泣いていた姿を観て、僕らの2年夏(大阪大会決勝で東大阪大柏原にサヨナラ負け)を思い出したんです」
また知人の紹介で指導していた大阪のリトルシニア(中学硬式野球)のチームでも「甲子園ってどんなところですか?」と、子供たちが目を輝かさせながら聞いてくる。「俺もこんな気持ちで野球しとったなあ」と原点を思い出させてくれた。