「未体験ゾーン」に挑む指揮官の想い J2・J3漫遊記 愛媛FC

宇都宮徹壱

愛媛が本気でプレーオフ進出を目指す理由

今季から愛媛FCを指揮する木山監督。J1昇格プレーオフ出場には密かに期するものがあった 【宇都宮徹壱】

 それはまさに、大げさでなく「未体験ゾーン」と呼べるものであった。

 シルバーウイーク最終日の9月23日、愛媛県のニンジニアスタジアム(ニンスタ)にて、愛媛FCとカマタマーレ讃岐によるJ2リーグ第33節が開催された。ホームの愛媛は、前半17分にCKから玉林睦実のゴールで先制。その後はオープンな攻撃を仕掛けるも、なかなか讃岐のゴールをこじ開けることができない。すると愛媛ベンチは、後半29分に内田健太、43分に西岡大輝とDFの選手を相次いで投入し、逃げ切りの態勢を明確にする。対する讃岐は、木島良輔、アラン、我那覇和樹といったアタッカー陣を相次いでピッチに送り込むも、愛媛は何とかこれをしのいで1−0で四国対決を制した。

「今年の愛媛は、やっぱり違いますねえ。去年だったら2点リードしていてもぜんぜん安心できませんでしたが、今日の試合も安心して見ていられました」

 ある愛媛サポーターのコメントである。彼が興奮するのも無理もない。7月22日にホームでツエーゲン金沢と1−1で引き分けて以降、実に2カ月にわたって9試合負け知らず。その間、クラブ新記録となる5連勝も達成しており、しかもセレッソ大阪や大宮アルディージャなど、いずれもJ1経験を持つビッグクラブに勝利している。この結果、第33節終了時での愛媛の順位は、J1昇格プレーオフ圏内の6位。この状況に、愛媛の選手やスタッフ、そしてサポーターの誰もが、ざわつく思いを隠し切れずにいる。ただひとり、今季からチームを指揮する木山隆之を除いては。

「負けないというのは、負けたくないメンタリティー(の表れ)だと思う。それは勝ちたい(という気持ち)でもある。ようやくプレーオフのチャンスが見えるところに立てたことで、選手たちのさらなる欲求につながっている。チャンスがあるんだったら、それをつかみに行くべき。残り9試合、より高いところを目指して、今のサッカーをやり続けていきたい」

 讃岐戦後の会見で、そう語る木山。その力強い言葉から感じられるのは、愛媛をプレーオフの舞台に導きたいという明確な意思である。その理由は2つ。愛媛の選手たちに「これまでと違う風景を見せる」ために。そして、かつてジェフユナイテッド千葉を率いて敗れた舞台に「もう一度トライする」ために。「未体験ゾーン」を戦い続ける愛媛FC。その指揮官、木山隆之に今回はフォーカスすることにしたい。

「大変な仕事を引き受けてしまった」

試合翌日のトレーニングに励む愛媛の選手たち。環境面では恵まれていると言いがたい 【宇都宮徹壱】

 松山市の中心街から伊予鉄道高浜線に揺られて、およそ20分。テレビドラマ『東京ラブストーリー』の最終回のロケ地として知られる梅津寺駅のすぐ近くに、クラブハウスを併設した愛媛FCの練習グラウンド『愛フィールド梅津寺』がある。遠景に瀬戸内の海を臨む、素晴らしいロケーション。だが、ここの練習グラウンドは人工芝であり、クラブハウスも手狭感は否めない。「雑然としていてすみませんね。ウチは貧乏クラブですから」と木山が苦笑いしながら会議室に案内してくれた。J2のクラブを訪ねると、「ウチは貧乏」という言葉をよく耳にするが、愛媛に関しては決して謙遜ではないように思う。

 公開されたクラブ決算一覧によれば、愛媛の昨年の営業収益は5億7600万円で、J2平均(11億1700万円)の半分。22クラブの中で下から3番目である。加えて今季の開幕前には、過去2年間に粉飾決算があったことが明らかになり、さらに財政面で窮地に立たされることとなった。成績面でも毎年のように順位を下げ、昨シーズンは下から4番目の19位。予算、戦力、そして環境、いずれもないない尽くしの中、なぜ木山はこのクラブを率いることになったのか。まずはクラブ側の思惑から確認してみることにしたい。答えてくれたのは、強化部長の児玉雄一である。

「われわれが求めていた人材は、まず年齡が若くて育成の経験があること。ウチは若い選手がいるので、彼らの伸びしろを生かしてくれるような指導者を求めていました。次に、Jクラブでの監督経験があること。指揮を執るのが初めてだと、当人にとってもクラブにとってもリスクがありますから。木山さんの場合、これらの条件を満たすだけでなく、水戸(ホーリーホック)や千葉のようにバジェットが小さいクラブと大きいクラブ、両方を経験しているので引き出しも多い。本当に良い人に来ていただきました」

 一方、ヴィッセル神戸のコーチという前職を捨てて愛媛にやって来た木山の心情はどのようなものだったのか。「大変な仕事を引き受けてしまった」というのが、愛媛に到着した当時の率直な気持ちだったそうだ。

「経営上の問題があり、予算的に厳しいという話はオファーをいただいた時に聞いていました。そこは水戸での経験から何とかなると思っていたんです。ただ、就任後にあらためて粉飾決算の実情を知ることにより、これは想像していた以上に逆境だぞ、と(苦笑)。結局、開幕前のキャンプも断念せざるを得なかった。とはいえ、もう後戻りはできない。ここは現場が良い結果を出すことで、信頼を勝ち取るしかないと腹をくくりました」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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