存在価値を確実に高めた山口蛍 周りを動かせるボランチの絶対軸へ

元川悦子

過去になかった苦境

2試合連続フル出場を果たした山口。存在価値を確実に高めた 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 2014年ワールドカップ(W杯)ブラジル大会以降、武藤嘉紀や柴崎岳ら90年代生まれの若手台頭が進み始めた日本代表。しかし、今年1月のアジアカップでは、ベテラン・遠藤保仁を筆頭にブラジル大会の主力がピッチに立ち続け、8強止まりという屈辱的結果に終わった。

 この大会で問題視されたのが、12年ロンドン五輪でベスト4入りしたメンバーが頭打ち状況に陥っていたこと。ロンドン組は清武弘嗣と酒井高徳の2人だけ。日本を破ったUAEはエースFWオマル・アブドゥルラフマンらロンドン世代が中心で、日本の高齢化は誰の目から見ても明らかだった。

 本来なら、ブラジルで3試合全てのピッチに立った中盤のダイナモ・山口蛍は、日本の軸の1人としてチームをけん引すべき立場にいた。だが、彼は昨年8月の右ひざ半月板損傷で長期離脱を強いられ、ハビエル・アギーレ監督率いる前体制では一度も代表に招集されなかった。この時期は代表のことなど一切、考えられなかったという。

 過去にない苦境を乗り越え、山口は今季開幕からようやく戦線復帰。3月に就任したヴァイッド・ハリルホジッチ監督にもコンスタントに招集されるようになった。が、6月の18年W杯ロシア大会アジア2次予選・シンガポール戦では、2つ年下の柴崎にスタメンボランチの座を奪われてしまう。J2でプレーしているマイナス面も影響したのか、この時点の山口はボスニア人指揮官の信頼を勝ち得るには至っていなかったのだ。

「手応えがあった」東アジアカップ

 その風向きがガラリと変わったのが、8月の東アジアカップ。ハリルホジッチ監督から全試合先発でピッチに送り出された彼は、持ち前の球際の強さ、寄せの激しさ、豊富な運動量で中盤を圧倒。韓国戦ではチームを窮地から救う豪快なミドルシュートも決めている。日本の初優勝に伴ってMVPに選ばれた13年韓国大会よりも、山口自身は輝いていた。本人も「プレー内容的には前回より自分らしさを出せたのかなと。個人的な手応えはあります」と自信をのぞかせた。日本サッカー協会の霜田正浩技術委員長も「デュエル(局面)で戦える蛍のような選手でないと、これからのボランチは厳しい」と発言。指揮官の評価も一気にアップした。

 こうした流れの中、迎えた今回の9月代表2連戦。ロシアへの第一歩でいきなりつまずいた日本には、カンボジア戦とアフガニスタン戦で連勝が求められた。アジア相手に4戦勝利なし、しかも深刻な得点力不足に直面したハリルホジッチ監督はミドルシュートの重要性を繰り返し強調。11年アジアカップ(カタール)のシリア戦から4年半も代表ゴールから遠ざかっているキャプテン・長谷部誠には「目をつぶっても打て」と指示したほどだ。

 東アジアカップで巧みなミドル弾を決めている山口にはより大きな期待が寄せられた。
「今まで以上にそういうところに対しては貪欲になっていかなくちゃいけない。FWだけじゃなくて中盤からも点を取れればチームとしてすごく幅が広がるので、より意識高くやっていきたいと思います」と本人も試合前日に意気込みを新たにしていた。

 トップ下に入ると見られた香川真司との連係についても「代表はドルトムントほどボールを持つのはなかなか難しいけれど、1タッチ2タッチではたけるところにうまくサポートしたり、来たボールを簡単に返すことで、真司君もリズムが出てくると思う」とセレッソ大阪の先輩アタッカーを援護射撃しようと虎視眈々(たんたん)と狙っていた。

精度を欠いたミドルシュート

黒子に徹したカンボジア戦。時おりミドルシュートを放ったが、精度を欠いた 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 カンボジア戦のボランチの並びは長谷部が右で山口が左。2人が反対に陣取って、ボルシア・ドルトムントのイルカイ・ギュンドアンのように山口がより攻撃的に行くと見られたが、ふたを開けてみるとバランスが逆になっていた。「真司君と話をしていて、『自分が左のスペースでやりたいから、俺がアンカー気味でハセさんに少し前へ行ってほしい』と言われた。スペースを消したくなかったし、真司君が一番イキイキできるようにやるのが一番良いかと思ったので、自分はそこまで前には行かなかった」と彼は香川の意を汲んで、あえてアンカー気味にプレーしたことを明かした。その分、3列目からのダイナミックな上がりやゴール前への飛び出しは減ってしまったが、山口はチームを第一に考えて献身的にプレー。守備面で確実に相手の出足をつぶしていた。

 こうやってディフェンス中心に動きながらも、本田圭佑の前半28分の先制点、後半5分の吉田麻也の2点目をアシストし、機を見て攻めに転じる戦術眼の高さを随所にアピールした。この非凡な攻撃能力を目の当たりにすると、長谷部との役割を逆にした方が良かったのではないかとも思われたが、それを自ら主張できないのが、完全にレギュラー定着していない若手の辛さなのだろう。この日の山口は黒子に徹した印象が強かった。

 結果的にカンボジア戦は3−0。引いて守る格下相手にこのスコアは不満以外の何物でもない。山口自身もそう実感していたようで「崩しのバリエーションはもっともっと増やしていかないと。最後のラストパスの精度も高めなくちゃいけないと思います」と反省の弁を口にした。

 とりわけ、ミドルシュートは精度向上の必要性を強く感じさせた。この日、彼は4本のシュートを打ったが、思うように枠に飛ばない。韓国戦の再現はかなわなかった。

「今まで入っていたのはたまたまかなって。ミドル、下手やなって思います(苦笑)。監督から言われるのがプレッシャーになるとかじゃなくて、試合が始まってからずっとミドルのことは頭にあるけれど、違うパスコースが見えてそこに出してしまったり、自分が打っちゃうと逆にもったいないかなという気もして、違う選択肢になっているのかなと。普段そこまで『ミドルをどんどん打て』とはチームでもあんまり言われないし、自分の意識をどれだけ変えていけるかだと思います」と本人も課題を明確に捉えていた。それを一足飛びに克服するのは難しいが、1日1日のトレーニングを通して、少しでも前進していくしかない。山口は気持ちを切り替えてテヘランへと向かった。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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