存在価値を確実に高めた山口蛍 周りを動かせるボランチの絶対軸へ

元川悦子

デュエルの強さを見せつける

デュエルの強さを見せたアフガニスタン戦。山口の存在がチームに安定感をもたらしたのは間違いない 【写真は共同】

 標高1200メートルの高地にあるテヘランはこの時期、気温30度をゆうに超え、湿度は20%程度という乾燥した気候。これまで彼が五輪予選を戦ったクウェートやバーレーン、ヨルダンとは全く異なる環境だ。中田英寿、中村俊輔らを擁した日本代表が05年3月にイランに敗れている(1−2)因縁の地・アザディスタジアムもピッチの芝が長く、ボールが非常に転がりにくい。指揮官が改善を求めても当然受け入れられるはずがない。五輪代表時代に2次予選でクウェートに敗れ(1−2)、最終予選でも中立地・ヨルダンでのシリア戦に苦杯を喫した(1−2)山口は、中東の怖さを誰よりもよく理解しているはずだった。

「ホームとアウェーじゃ全然違うので、勝ち癖をつけたいのはありますね。ホームで圧倒していてもアウェーに行って負けることが五輪の時にあったので、そういうのはなくしていかないといけない」と気を引き締めた。

 香川とのポジションバランスも多少の見直しを図って、山口が攻めに行ける状況が増えるのではないかと期待されたアフガニスタン戦。しかし、予想に反して相手は長谷部と彼のところにマンツーマンで守備をつけてきた。カンボジア戦ではフリーでボールをさばける状態だったから、彼自身もやりにくさを感じたという。この膠着(こうちゃく)状態を打ち破ったのが、前半10分の香川のテクニカルなミドルシュートだった。カンボジア戦でイージーなシュートをミスした背番号10のリベンジ弾にチーム全体が安堵(あんど)感に包まれた。

 ここから日本は相手を圧倒。前半のうちに森重真人が追加点を奪い、後半開始早々には香川が3点目をゲット。勝利を確実にした。山口自身は前半から後半にかけてボールタッチの回数自体は少なかったが、長友佑都とのコンビで相手を挟んでボールを奪ったり、鋭い寄せでミスパスを誘ったりと、デュエルの強さは相変わらずだった。彼が中盤にいるだけでチームの安定感が増したのは間違いない。

試金石となるシリア戦

岡崎のゴールをアシストしたシーン。香川のスルーパスに対する反応も見事だった 【写真は共同】

 そのうえで、再び要所要所で攻撃センスを発揮する。前半40分に本田に出したスルーパス、後半12分に鋭いゴール前への飛び出しから岡崎慎司に流したラストパスなどは、まさに山口蛍の真骨頂だろう。前者の方は本田がボールを持ち替えているうちにDFにさらわれて得点には至らなかったが、後者は岡崎が無人のゴールに流し込んで4点目につながった。香川のスルーパスに対する山口自身の緩急をつけながらの反応も素晴らしかった。

「オカさんの点につながった時もそうですけれど、真司君はああいうところが見えている。自分もサポートしていこうと思ってましたけれど、良い形で点につながりましたね」と山口は香川との連係から効果的な崩しを見せられたことを素直に喜んだ。2人がより良い関係を構築していけば、彼自身が攻めに関わる回数ももっと増やせる。そんな希望を本人も感じたことだろう。

 この後、岡崎と本田がゴールし、6−0になった後、ハリルホジッチ監督は長谷部と遠藤航を交代。東アジアカップの中国戦(1−1)で先発したフレッシュなボランチコンビをテストした。わずか10分程度のプレーで評価を下すのは難しかったが、指揮官が今後、この2人をボランチの軸に据えていこうとしている考えが明らかになった。長谷部を下げても山口がいればある程度は大丈夫……。そんな信頼感をハリルホジッチ監督に抱かせたのは大きな前進だ。この2連戦で山口蛍の存在価値は確実に高まったと言っていい。

「ベスト布陣の中で完全に機能できることを証明した? こういう相手だったので、そこまでは全然行ってないし、僕自身も納得していない。もう少し違った相手にどれだけできるかというのもあるし、自分たちが押し込まれる展開の試合で何をできるかってことも試してみたいんで。次のシリア戦もそうですけれど、アウェーはやっぱり厳しいし、自分たちが押し込まれる時間もあると想像できる。その中で自分をどれだけ出していけるか。それをしっかりやっていきたいと思います」

 足踏み状態と揶揄(やゆ)されたロンドン世代のリーダーが新たな活力を示したことで、酒井宏樹や永井謙佑、宇佐美貴史らも良い刺激を受けるはず。山口には自ら周りを動かせる絶対的ボランチへ大きな飛躍を遂げてほしい。さしあたって次の10月8日のシリアとの直接対決が大きな試金石になるだろう。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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