思い返すFC東京時代のインパクト 長友佑都×城福浩 初の師弟対談<前編>
FC東京時代に師弟関係だった城福(左)と長友に、当時を振り返ってもらった 【スポーツナビ】
それから月日は経ち、城福はヴァンフォーレ甲府の監督を経て現在に至り、長友はチェゼーナを経てセリエAの名門インテルでしのぎを削っている。本人が「プロ1年目で出会ったというのは、本当に大きな財産」と話すほど、今の長友の活躍は城福なくして語れない。長友が世界で通用する選手になるために、細部にわたって技術の指導をしたのも、日本人選手としての責任感を植えつけたのも城福だった。
そんな二人による対談前編では、出会った当初であるFC東京時代を中心に、当時の思い出や、裏話を語ってもらった。かつて濃密な日々を共に過ごした二人は、環境が変わった今も深い関わりを持っている様子。当時どのような会話を交わし、どのような思いを抱いて接し合っていたのか。二人の目は、常に日本の将来を見据えていた。
イタリアで久しぶりの再会
二人は先日イタリアで再会した時の様子を楽しそうに振り返っていた 【スポーツナビ】
城福 仕事でイタリアへ行く用事があり、「お前その日どうなの?」って聞いたら「います」って言うから、「じゃあ飯食おうか」と。僕から見ていてもこの1年半ぐらい、ブラジルのワールドカップ(W杯)からアジアカップを含めて代表という点で見てもかなり苦しい時間を過ごしていたと思うし、佑都にとっても納得のいかない時間だったんじゃないかと。なので会って話したいという思いがありました。内容はなかなかちょっと言えないですが(笑)。
長友 そうですね。かなり深いことを話しました。
城福 直接じゃないとなかなか話せないこともあるし、僕は伝えたかったことがあった。彼といろいろな会話をすることは日本にとってプラスになることだと思うので。濃い時間を過ごしました。
長友 イタリアンレストランでね。
城福 4年前に佑都がインテルに行ったばかりの時にもイタリアンレストランで食事をしたんだけれど、その時は佑都が道に迷ったんです(笑)。でも今回は、すごい流暢にイタリア語をしゃべってお店の人とかお客さんとコミュニケーションをとっていて、「佑都イタリアでしっかりとやっていたんだな」というのをつくづく感じましたね(笑)。
長友 もう5年いますから(笑)。4年ぶりに城福さんと会いましたが、変わらず本当に熱い。4年前に城福さんにお会いした時も、僕が悩んでいた時期というかうまくいかない時期だったんです。インテルに移籍して伸び悩んでいるというか、自分のプレーが出せないという時で、城福さんのアドバイスで生き生きやれるようになって、変わることができたのを覚えています。今回もけがをしていて難しい時期でしたけれど、あらためて新しいモチベーションを与えてもらったなという感じがしますね。個人だけではなくて、代表がどうあるべきかというところも含めて、かなり熱く詳しくアドバイスをいただきました。
城福 佑都、その場で代表のチームメートに電話しそうになっていたよね(笑)。
長友 中身は聞きたいでしょうけれど絶対に言わないです(笑)。
城福 でもどうやったら代表が次のランクにいけるのか、彼らが生き生きできるのかは重要。僕もこれだけは言ったんだけれど、日本代表の成果がわれわれ指導者の成果だと。例えばW杯で3大会、4大会連続でベスト16とかになったら日本人指導者だって海外で働けるようになるんです。だから僕らも当事者意識を持ってやっている。今回ブラジルW杯で佑都たちが中心になって勝てなかったというのは、彼らにとっても悔しいけれど僕にとってもすごく悔しくて。佑都たちが苦しんでいるのを見て、僕は当事者意識を持って彼と話がしたいと思ったし、そういう時間を持ててすごく良かったと思います。
長友が苦しい時に連絡を取り合う距離感
当時プロ1年目だった長友(左)は、城福監督(右)にかなり細かな指導を受けていたと振り返った 【写真:アフロスポーツ】
長友 たまにですね。僕にとって大事な時期とか、城福さんがイタリアに来るタイミングとかです。
城福 基本的に彼にはメディアも含めて多くの注目が集まっているからたくさんの人が寄って来ると思うんです。なので、一番苦しそうな時期以外は僕は連絡しないようにしている。頑張れっていう時に僕が1000分の1で「頑張れ」って言ってもしょうがない。
長友 もう連絡いただけるタイミングが絶妙なんですよ。本当に一番響く時にちょこっとメールでアドバイスを送ってくれたりするんです。それこそ今回はけがをしているタイミングでしたし。
城福 ちょうどアジアカップも終わったので。
長友 W杯が終わって、アジアカップが終わって代表で結果が出ず、僕もけがをして一番苦しんでいる時の連絡だったのでうれしかったですよね。調子が良いときは皆から連絡が来るんです。でも本当に大事な人というのは、苦しんでいる時に連絡が来る人かなと自分では思っています。
城福 僕は佑都に成功してほしいし、日本人がこれだけできるというのを証明できる数少ない選手だし、1年でも長く海外でやってほしいという思いがあるだけです。応援しながらもさっき言った当事者意識も持っているし、僕が佑都を育てた人間の一人とかは全然思っていないんです。ただただ「1年でも長く良い選手であってほしい」という思いで、必要だなという時にメールをします。
ただ、逆に佑都から「なるほどな」という意見をもらうこともあるんです。これはこの前イタリアで会ったとき共感し合った話だったんだけれど、佑都が「自分のピークパフォーマンスを示すためには時間がない」と言うんです。僕は僕で指導者としての時間がない。だから何をしなければいけないのか、というのをすごく話しました。僕はもう54歳だから時間がないのはあたりまえだけれども、20代にして「自分がピークでいられる時間は少ないんだ」と思える選手はそうそういない。こういうメンタリティーは、今の若い日本人の選手に伝えていかないといけない。でもそれを持てるかというと、持てること自体が能力。佑都とそういうやり取りをすると、すごく刺激になります。
長友 でも、本当に懐かしいですよね。僕も08年にプロになった時にたまたま城福さんの指導をFC東京で2年半受けることになった。当時は左サイドバックなんかやったことがなくて。大学ではずっと右をやっていたんですけれど、あの時は(徳永)悠平君がいたから、城福さんに僕は左で使ってもらった。それまではテクニック面も戦術面でも学んだことが全然なかったんですけれど、城福さんが細かい指導をしてくれたんです。
今でもすごく覚えていますけれど、南アフリカW杯が終わってチェゼーナに行く前に城福さんが僕に「Jリーガーでも世界でできるんだっていうことを世界に証明してほしい」と僕に直接言ってくれたんですよね。日本人でもこれだけできるっていうことをお前が証明してこいと。それはずっと覚えてますし、「証明してやる!」って強い気持ちになりました。僕もFC東京を途中で出たので複雑な思いだったのですが、絶対に成功しないと日本に帰って来られないなっていう気持ちでした。あの当時を思い出しますね。あの言葉で責任感が生まれました。
城福 あの時は、W杯の後に佑都が海外に行くことは分かっていたんです。どこに行くかは分からなかったけれど、外に公表する前からいなくなることはお互いに分かっていた。そんな時、チームは勝ち点が取れない状況だった。その時、僕には彼が「このチームで試合するのはあと何試合」っていうカウントダウンをしていたのがよく分かった。
後から聞いたけれど、このチームの力になってから出て行きたいというのがあったみたいで、腸炎みたいな形で腹を下したりもしていたらしいし。でもお互いに出て行くことに関しては一切言わなかった。タイムリミットやカウントダウンというのを分かった上で、お互いがすごい厳しい状況でやっていた。佑都が勝敗を気にしながら、責任感を持ってやっていたというのは僕もすごく印象に残っている。そういう思いで彼は日本を出て行った。だからこそ強い気持ちが持てたと思う。あと、僕は詳しくは分からないけれど、もっと大きなクラブというか日本人にも有名なクラブにも行けたんだよね?
長友 そうですね。
城福 それなのに佑都がチェゼーナを選んだというのは、試合に出ることを最優先したんだと思います。そういうメンタリティーを持って海外に出て行ったというのは、覚悟という意味で相当大きなものだったと思う。お互いに最後の最後に出て行く時にしか会話をしていないけれど、それをずっと感じながらやっていました。
長友 城福さんにはすぐ心の中を読まれちゃうんですよ。全部ばれているんですよ、隠しても(笑)。本当にその通りで、自分の中で背負い込んでいましたね。