小野伸二が「日常」となる幸福 J2札幌で華麗に舞う“希代の天才”
北海道のサッカー界にとって特別な1日に
札幌デビューを果たした小野伸二。試合には2万人を超える観衆が詰め掛けた 【宇都宮徹壱】
スタジアムDJが声を発し、オーロラビジョンにその姿が映し出されると札幌ドームのスタンドは大きく沸いた。ワールドカップ(W杯)出場3回、UEFAカップ(現在の名称はUEFAヨーロッパリーグ)制覇の経験も持つ、日本サッカーが生んだ“希代の天才”小野伸二が7月20日のJ2第22節・大分トリニータ戦でついにコンサドーレ札幌でのデビューを果たした。
この小野のデビュー戦に合わせて札幌は大々的な宣伝を展開。各スポーツ紙に全面広告を出したり、街中に巨大垂れ幕を出すなど積極的に告知をしていった。もちろん、クラブ側から働きかけるまでもなく小野の登場は、地元メディアでは大きな報じ方をされていた。前日練習の模様を生中継する情報番組もあったほどである。
6月9日に札幌市中心部で公開加入会見を行ってから約1カ月半。待ちに待った小野の登場。試合は終了間際の失点により1−1のドローに終わったものの、J2ながら2万人を超える観衆を集めた試合は熱気に溢れていた。
「そうしたお客さんにまた来てもらうためにも、勝ち点3が必要な試合だった」
試合の重要度を認識していた小野は試合後のミックスゾーンでそう発したが、ミスのない、リズミカルな彼のパスワークとその存在感に多くの観衆が熱視線を注いだし、またスタジアムに足を運ぼうと考えたファンも少なくないのではないだろうか。ワールドクラスとも言えるテクニックを持つ実力派スター選手が地元チームのシャツに袖を通し、地域とともに戦った7月20日は、北海道のサッカー界にとって特別な1日になったと言っていいだろう。
小野を獲得した理由
札幌の野々村社長が目指す「クリエーティブなサッカー」。小野はそれを体現するキーパーソンとして期待されている 【宇都宮徹壱】
昨年12月に札幌が小野の獲得に動いていることが報じられると、小野に移籍の意思があることを知った他のJクラブも複数乗じてきたという。そのため野々村芳和社長が12月31日、小野が当時住んでいたオーストラリアへと飛び、1月1日に仮契約書にサインを取り付けた。「試合を観たあとに一緒に食事に出掛けたんだけど、元日だからあまり飲食店が開いてなくて、焼肉屋のテーブルでサインしてもらったよ(笑)」とビッグトランスファーを成立させた同社長は振り返る。
今回のこの小野の獲得は、あらためて野々村社長の志を象徴するトピックスだと言っていいだろう。
昨年3月に札幌を運営する北海道フットボールクラブの代表取締役に就任した42歳の若きトップは、現役時代に札幌、ジェフユナイテッド市原(現千葉)などで活躍。卓越したテクニックでチームを動かすゲームメーカーだった。引退後はストレートな物言いをする解説者、コメンテーターとして人気を博した人材である。その野々村社長は就任当初から「オレが小さい頃からやってきたサッカーというのは、世界のナンバーワンスポーツだと思っている。でも、日本ではまだまだその価値というのが理解されておらず、悔しい気持ちがある。それをオレが変える、とまでは言わないけど、とにかくこの国でのサッカーの価値を高めたい」と発し、東南アジア人初のJリーガーとなった“ベトナムの英雄”レ・コン・ビンの獲得をはじめ、積極的に周囲の視線を集める動きをしてきた。サッカー人としての強い気概がその意欲的なアクションからビンビンと感じ取れる。
そんな野心溢れる社長が日々、口にしているのが「クリエーティブなサッカー」というフレーズだ。
「やるからには、見ている人がワクワクするようなサッカーを見せたいじゃない? テンポよくパスをつないで、相手守備を自分たちで崩して点を取る。そういうクリエーティブなスタイルを『これが札幌のサッカーだ』って言えるようにしたい」
そして、それを体現し得るキーパーソンが日本人離れしたテクニック、パスセンスを持つ小野だったのだ。言うまでもなく日本全国のサッカーファンが知る有名選手だけに、周囲からの関心も引きつけながらハイレベルな試合も演じることができる。