「ワシ、優勝しか考えていません」=J2山形・石崎信弘監督インタビュー
指導者としての原点である山形に帰ってきた石崎信弘監督 【杉山孝】
昨年は岡田武史監督が指揮していた中国の杭州緑城でU−18チームの指導に当たり、これまでにない経験を積んだ。中国から帰還して選んだのは、今季J2を戦うモンテディオ山形。1995年に当時JFL(ジャパンフットボールリーグ)で指導者として歩み始めた、思い出深いクラブだ。今年が指導歴20年目となる歴戦の指揮官に、昨季の中国での経験と、今季の山形での抱負を聞いた。
かつて指揮していた頃とは、別世界の山形
「(2012シーズン限りで)札幌を離れた後、監督候補に入れてくれたクラブはあったけれどもう一人の候補が監督になったり、Jリーグでの仕事はありませんでした。そこに大事な大会(4年に一度開催される中国最大のスポーツの祭典『全国運動大会』)に出る杭州緑城のU−18チームの指導者を探していた岡田さんが声をかけてくれました。
契約は、その全国運動大会が行われる9月までのものでした。それが終わって日本に帰ってきたところ、中井川(茂敏・モンテディオ山形GM)さんから話をもらいました。
中井川さんとのつながりは、東芝で選手を引退してサラリーマンをしていた頃にさかのぼります。東芝で1年会社の仕事をしているとき、監督の話をくれて、サッカー界に戻してくれたんです。あの頃はNEC山形というチーム名でしたが、ワシの恩人です。
その中井川さんから帰国して一番に話を頂きました。帰国したときに、どこのリーグでも一番に話をもらったところに行こうと思っていました。その時に話を下さったのが大恩人の中井川さん。山形といえば監督を始めた思い出の場所だし、快くすぐに(就任を)決めました」
――それ以外に就任を快諾する要素はありましたか?
「環境面のことは、まったく知りませんでした。山形に来てから、すごいことになってると思いましたね。ワシがいた頃の時代とは、まったく別世界。練習場があったり、クラブハウスがあったりね。山形駅を降りたらモンテディオの旗があったり、すれ違う車にはクラブのステッカーが貼ってある。街中にもモンテディオの旗があったり……。県と山形の県民の方々が大事にモンテディオを育ててきたんだな、ということがひしひしと伝わってきましたね」
労力は倍かかったけれど、やれば伝わる
「やはり、リーグの体制がしっかりしていると思いました。中国では、本当に試合が始まる直前まで組み合わせも決まってなかったんじゃないかと思います。岡田さんもよく嘆いていました。日本はそういうところや、育成システムもしっかりしています。中国は行き当たりばったりというか……。日本は指針が出され、年齢ごとに『こう育てよう』というものがある。
中国は想定外なことばかりでした(笑)。最初は選手たちも時間を守らなかった。トレーニングの目的を話しても、違うことをやり始めたり……。嫌いなフィジカルトレーニングになると、『腹が痛い』と言い出してトイレに行ったりしていなくなる。もちろん彼らが日本に学びたいと思っていてワシらが呼ばれたんですけど、一番に望むのはそのチームを勝たせてほしいということなんですね。とにかく、勝てば出世するということがあるようでした。
それでも、全国(運動大会)で2位になることができました。技術は習得に時間がかかるものだし、最初はなかなか言うことを聞かなかったけれど、真摯(しんし)に対応して教えれば最後は変わってくる。2位という結果が出たというのもあるけれど、最後はとても喜んでくれて、日本に帰るときには選手全員に加えて親御さんも出てきて見送ってくれました。
日本人相手より倍くらい労力はかかったかもしれないけれど、ちゃんとやれば伝わるんだな、ちゃんと伝われば結果が出るというのはすごく勉強になりましたね。だから今は、言葉も通じるし、練習が楽しくて仕方がない(笑)」
一度も口にしたことがなかった「優勝したい」
「やはりジュビロ(磐田)でしょう。メインの選手はあまり抜けていないし、松井(大輔)が入ったりしている」
――昇格に必要な勝ち点の目標ラインは設定していますか?
「分かりません。ワシ、優勝しか考えていませんから。優勝の想定ラインは聞いているけれど、プレーオフに入るためのラインは分からない。目標はJ2優勝。今まで、どのチームでもJ2優勝を目標として口にしたことはありません。昇格とは言ってきましたが、J2で優勝したいとは一回も言ったことがない」
――その理由は?
「過去に2位でも3位でも上がったし、去年も中国で2位でしょう。レイソルの時も天皇杯で2位。1位がないんですよね。(選手時代)東芝の時に1位で上がったんですけどね。だから、優勝したいなと思っています」