永遠に語り継がれる背番号「42」と魔球=NYの守護神リベラは時を超える伝説に

杉浦大介

生きる伝説、史上最高のクローザー

“史上最高のクロ―ザー”ヤンキースのリベラが引退、その伝説は永遠に語り継がれるだろう 【Getty Images】

 まだメッツに所属していた頃、通算358本塁打の強打者、カルロス・ベルトラン(現カージナルス)が“打ち難い投手を5人挙げるとすれば?”という質問にこう答えていたのが忘れられない。
「マリアーノ、マリアーノ、マリアーノ、マリアーノ、マリアーノ……」
 まるでエルビスのように、ファミリーネームを付け加える必要もない。問答無用のスーパースターが少なくなった昨今のMLBでも、ヤンキースのマリアーノ・リベラは例外の中の1人。現役時代から殿堂入りを約束された史上最高のクローザーは、ほとんど“生きる伝説”と呼べる存在であり続けて来た。

 しかし、一つの時代には必ず終わりがやってくる。米国時間9月22日、そのリベラの引退セレモニーがヤンキースタジアムで盛大に行われた。
 当日はリベラの家族だけでなく、ヤンキースのオーナー一家、ジャッキー・ロビンソンのファミリーまでが出席。バーニー・ウィリアムス、ホルヘ・ポサダ、デビッド・コーン、さらには松井秀喜といった黄金期以降の同僚たちもフィールドに登場して華を添えた。満員のファンが見守る前で、メタリカの生演奏でリベラがフィールドを駆け抜けた映画のようなシーンは、フランチャイズの歴史の1ページとして語り継がれていくだろう。

「素晴らしい日だった。私の背番号が欠番となるのを見て、なんと言ったら良いか分からなかった。本当に引退するんだという気になったよ」

 19年間で通算652セーブを挙げ、今季も44セーブ、防御率2.11の好成績。まだ第一線でやれるだけの力を保っているが、開幕前に発表した「今季限りで引退」の公約をリベラが覆すことはなかった。
 どんな名選手でも、大抵は晩年に厳しい1、2年を経験してフィールドを去って行くもの。決して晩節を汚すことがないままの引退は、常にユニークかつ偉大な存在であり続けたリベラに相応しい引き際と言えたのだろう。

イチロー「最初の対戦でショックを受けた投手」

“勝負は正々堂々”といった一般的な大義名分とは裏腹に、実際にはベースボールは騙し合いのようなスポーツである。いかに打者の裏をかくか。相手が呼んでいない球種を、待っていないコースにどう投げ込んで行くか。しかし、そんな駆け引きや洞察を超越したところにいたのがリベラだった。
「最初の対戦でショックを受けた数少ないピッチャー。見たことのないボールを見せられた。それ(カット・ファーストボール)が来ると分かっていても全部やられるというのは屈辱だもんね、バッターとしては。どうやって打つかを毎年考えて来た」
 マリナーズ時代にはリベラと何度も対戦したイチローが残したそんなコメントは、実に分かり易く、実感がこもったものだった。

 強烈な切れ味のカッターだけを投げ込み続けたリベラを、20年近くが過ぎても誰もまともに捉えることができなかった。クローザーに就任した1997年以降、故障離脱した昨季を除くすべての年で28セーブ以上を挙げ、40セーブ以上のシーズンは9度、防御率3点以上の年は一度だけ。これだけの仕事を1つの球種だけでやり遂げるユニークさによって、リベラの名前は全米に轟いた。
 そして何より、プレーオフ通算141イニングを投げて防御率0.70という大舞台での驚異的な強さは燦然と輝く。終盤イニングの切り札は、1996年以降のヤンキースの5度の世界一に大きく貢献。デレック・ジーター、アンディ・ペティート、ポサダとのいわゆる“コアフォー”の一角として、リベラもニューヨークのシンボル的な存在となっていったのだった。

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著者プロフィール

東京都生まれ。日本で大学卒業と同時に渡米し、ニューヨークでフリーライターに。現在はボクシング、MLB、NBA、NFLなどを題材に執筆活動中。『スラッガー』『ダンクシュート』『アメリカンフットボール・マガジン』『ボクシングマガジン』『日本経済新聞・電子版』など、雑誌やホームページに寄稿している。2014年10月20日に「日本人投手黄金時代 メジャーリーグにおける真の評価」(KKベストセラーズ)を上梓。Twitterは(http://twitter.com/daisukesugiura)

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