【PLAYBACK PARIS】車いすマラソン土田和歌子、誰よりもパラリンピックを走った“30年選手”の最後のラン
【photo by Takamitsu Mifune】
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レース後の疲労感と充実感
疲労感は隠せない。けれどもそれを上回る充実感が浮かんでいた。
パラアスリートにとっては、きわめて過酷な石畳の難コースを激走した。スタートはパリ北東部にあるジョルジュ・ヴァルボン公園。陸上競技のトラックとは逆の時計回りの周回コースをまわって、市街コースへ。
終盤にある凱旋門へ向かう長い上り坂は、石畳に揺すられ続けた体にむち打つような鬼のセクションだ。バンクやでこぼこに備えて路面を見つめながらのラン。歴史的建造物に視線を送る余裕はもちろんない。
ゴール後、土田の表情から充実感が伝わってきた 【photo by Takamitsu Mifune】
そう振り返ったように、トップグループには差をつけられていたが、「前へ前という、その一心」(土田)で車輪をこぎ続けた。前方の集団からこぼれ落ちた選手が視界に入ると「見えた瞬間は追いかけるという動物的本能を見せていたかな」と笑った。
タイムは1時間52分39秒。今、持てる力をすべてこの時間に注ぎ込んだことに胸を張った。
30年の大ベテランにも効く声援の力
陸上競技に転向した後も、2000年のシドニー大会から今回のパリ大会まで、夏季パラリンピックに日本歴代最多タイの7大会連続出場。2004年のアテネ大会では、女子5000mで金メダルを獲得し、日本人で初めて夏冬両方のパラリンピック金メダリストとなり、東京大会ではトライアスロンにも出場した。
沿道から多くの観客が声援を送った 【photo by Takamitsu Mifune】
「沿道から大きな声で『ブラボー』って声をかけられるんです。『ワコ、がんばれ!』って聞こえるんです。すごく後押しされた気がします。本当にありがたかった。力をいただいた」
一人のランナーとして
「スタッフの力添えもそう。多くのアスリート仲間や所属会社の力もそう。多くの力が合わさってこの場に立てたことを感じている。メダルを目指してきたので、食い込めなかった悔しさはあるけど、(東京大会からの)3年間のプロセスには本当に満足している。喜びを持ってこのパラリンピックを走り切れた」
感無量の土田は「無事にゴールできたのはうれしい。最後まで走り切るということを誓ってスタートラインに立ったので、それは1つ達成できたかなと思う」とも言った。
土田は、さまざまなストーリーをつくってきた 【photo by Takamitsu Mifune】
「日本代表選手として戦わせていただいた30年間は、良くも悪くもいい形で自分自身が成長できた期間だった。日本代表としての挑戦はここまでと思っていますが、土田和歌子、ランナーとしての挑戦はこれからも続けていきたい。走ることで車いすマラソンの魅力を感じていただきたい」
パラリンピックを愛し、パラリンピックに愛された。30年間、挑戦を止めなかったアスリートが、パリで次章のスタートを切った 。
edited by TEAM A
text by Yumiko Yanai
photo by Takamitsu Mifune
※本記事はパラサポWEBに2024年9月に掲載されたものです。
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