「テクノロジーの力でフェンシングを加速させてほしい」 オリンピアンとして西藤俊哉選手が語る、フェンシングの未来。

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チーム・協会

【公益社団法人 日本フェンシング協会】

2018年からフェンシングの見える化やプロモーションに注力し、数々の大会来場者数を伸ばしてきた日本フェンシング協会。その起爆剤となったのが、モーションキャプチャーとAR(拡張視覚)技術を使って、人間の視覚では追いきれない高速に動く剣先を検出し、軌跡を可視化するテクノロジーのフェンシング・ビジュアライズドである。太田雄貴前会長から始まったこの変革の動きは、今なお受け継がれている。

そしてこの度、日本フェンシング協会の新しいチャレンジとして「INNOVATION LEAGUE アクセラレーション」にコラボレーションパートナーとして参画することが発表された。「INNOVATION LEAGUE」とは、スポーツ庁が目指すスポーツオープンイノベーションプラットフォーム構築の推進を目的としたプログラムであり、アクセラレーションを通じて、日本フェンシング協会の課題やアセットと採択企業のテクノロジーや事業アイデアを掛け合わせることで、新たな事業やソリューションを創出することを目指している。

テクノロジーを駆使して変革を続ける日本フェンシング協会の動きについて、主役である選手たちはどのように感じているのだろうか。

2017年に世界選手権(ドイツ)個人2位、同年に行われた全日本選手権個人戦では優勝した実績を持ち、記憶に新しい東京2020オリンピックに男子フルーレ日本代表として出場した西藤俊哉選手にインタビューを行い、変化し続けているフェンシング界を間近で見た選手の感覚と、「INNOVATION LEAGUE」を通して加速するテクノロジーへの期待を聞いた。

【公益社団法人 日本フェンシング協会】

苦悩と情熱を持って挑んだ、東京の舞台

まずは、オリンピックお疲れ様でした。大会が終わってからはどのような生活を送っていましたか?
オリンピックが終わってからは長期のオフもなく、すぐにフェンシングの活動に戻り、9月には全日本選手権がありました。11月からフェンシングのシーズンが本格的に始まる予定だったのですが、フルーレ種目だけ海外の大会が中止になってしまい、12月に東京で行われるはずだったワールドカップも残念ながら中止となってしまいました。ですが、先日、来年1月にワールドカップ(パリ)が行われることが確定したので、次の試合に向けて今は準備をしている段階です。

改めて、東京オリンピックの期間は西藤選手にとってどんな時間でしたか?
本当に短く、濃い時間でした。オリンピックの大会期間よりもオリンピックに内定してから当日を迎えるまでの期間が、今までの競技人生で一番ハードでしたね。自分の人生で一番の目標がオリンピックで金メダルを獲得することなのですが、いざ内定して出場することになると、自分の理想の金メダリスト像に勝手に縛られてしまって。。。

自分がふと休んでいる瞬間に「金メダリストは休まないんじゃないか」と考えたり、生活の中でも「金メダリストはこうするんじゃないか」と考えてしまい寝れない時もありました。毎回満足のいく練習ができるわけではないので、理想と現実のギャップに苦しんだ時期もありました。

オリンピックは始まってみれば本当にあっという間で、試合前日は程よい緊張感があり、楽しみで仕方ない感覚でした。アスリートの中では「オリンピック中毒」と言われていますが、オリンピックの舞台を1度経験したことで、またオリンピックの舞台に戻りたいという思いが込み上がってきています。試合に負けた瞬間は悔しさがありましたが、同時に「絶対またこの舞台に戻ってきてやる」と強く決心しました。

フェンシング界としては男子エペの金メダル獲得で注目してもらうことができたので、フェンシングが大好きな僕としてはもちろんとても嬉しかったです。逆に、僕を含めた他の種目の選手たちは「次は自分たちが金メダルを取ってやるぞ」と男子エペからモチベーションを貰いました。

また、自分が試合で結果が残せず誹謗中傷が日本中から届いた時に、僕自身が落ち込んだというよりもむしろ、僕やチームや応援してくださったりサポートしてくださっている方々に対して申し訳なさを感じていました。フェンシングという競技にこれだけ様々な人が注目してくれたことに対しては、オリンピックはすごい舞台だなと改めて感じました。オリンピックに出場してから、改めて自分は日本を代表してプレーしているんだという自覚を持って競技に取り組めています。

【公益社団法人 日本フェンシング協会】

スーパーヒーローに憧れて始めたフェンシング競技

西藤選手の競技人生についてお聞かせください。
長野県箕輪町という田舎町で生まれ育ちました。父が元々フェンシングをしていて、好きが高じて地元にフェンシングクラブを作り、半強制的に姉が先にフェンシングを始めさせられていました。ある日、姉の練習を母と見に行った時、当時5歳だった僕はスーパー戦隊にハマっていたので、面を被っていることや剣を振るう姿がカッコよく見え、「フェンシングをやれば、スーパーヒーローになれる!」と思ったことがフェンシングを始めたきっかけです(笑)。

5歳から中学1年生までは地元である長野県を拠点にしていましたが、中学2年生の春にJOCエリートアカデミーに参加するため東京に上京しました。中学2年生から高校3年生までの5年間、JOCエリートアカデミーでかなり競技成績も伸び、高校1年生の時に初めてナショナルチームに入ることができました。その後は大学生活とフェンシングを両立しながら、大学2年生の時に初出場した世界選手権で銀メダルを獲得、その年の全日本選手権も優勝して一気に注目していただけるようになりました。その後、ライバルからのマークも厳しくなり、なかなか結果が出せない日々が続きました。

現在は株式会社セプテーニ・ホールディングスというインターネット広告の会社にアスリート社員として所属しながら、この夏に東京オリンピックに出場しました。多くのアスリートがコロナの影響を競技面で受けている中、周りの方の支えもあって環境を大きく変えずに競技に打ち込めたことについてとても感謝しています。

【公益社団法人 日本フェンシング協会】

フェンシング・ビジュアライズドはフェンシングをより面白くした

西藤選手から見て、日本フェンシング協会のこれまでのチャレンジはどのように映っていますか?
まず認知度が格段に上がったと思います。かつてはどうやって競技成績を出すかに重点を置いて協会は取り組んできたと思いますが、フェンシング協会の改革後は競技で結果を出すことはもちろん、フェンシングを様々な人に知ってもらうプロモーション活動に取り組むようになった点が大きく変わりました。

プロモーション活動の部分で特に印象的な出来事や取り組みはありましたか?
やはり全日本選手権の決勝戦を別日で開催したことです。集客の部分とフェンシング・ビジュアライズドの取り組みが非常に印象的でした。

幸運なことにフェンシング協会が改革を行った全日本選手権の男子フルーレで初優勝したのが僕でした。フルーレは15本取ったら勝ちなのですが、決勝戦の舞台では9対1で負けていて絶体絶命でした。しかし、そこから観客の皆さんや大学の先輩後輩の声援を受けて、歓声が僕を支持してくれているような感覚になり、連続点数を獲得して優勝することができました。

フェンシング・ビジュアライズドを通して分かりやすく観客に伝える取り組みを選手としてどう思っていますか?
率直にすごく良い取り組みだと感じています。フェンシングは「速い、見えない、わからないこと」が普及していきづらい理由でもあると思っています。その課題に対して、フェンシング・ビジュアライズドが世の中に競技を面白く伝えてくれることで観客席からではわからない剣の動きが見え、より試合が理解できるようになったり、選手としても振り返りや日々の研究に使うことができるようになりました。フェンシング・ビジュアライズドの取り組みは、上手くフェンシングの面白さを見える化してくれていると思いました。

【フェンシング・ビジュアライズドの様子】

テクノロジーを使ってフェンシングという競技を今までの縛りから解き放ってほしい

次にイノベーションリーグについてお話を伺おうと思いますが、まずイノベーションリーグについてはご存知でしたか?
Webの記事からイノベーションリーグという名前を知りました。日本フェンシング協会がコンテストで何か受賞してるぞ、と(笑)。自分の競技が注目されたり、評価されることはいつも嬉しいですね。今回のアクセラレーションの取り組みも非常に楽しみにしています。

フェンシング・ビジュアライズドも含めて、競技の中にセンサーなどのテクノロジーが入ってきてると思います。選手視点でテクノロジーが競技に入ってくることに対しては、どのように考えていますか?
僕はどんどん発展していってほしいと思っています。フェンシング協会はフェンシング・ビジュアライズドの前から試合をわかりやすくするために選手の頭を無線で光らせようと試みたり、プロジェクションマッピングにもチャレンジしていました。また世界選手権では派手な演出をして、フェンシングを知らない人にも競技の面白さを伝える試みをしています。エンターテイメント性が高くなると認知度も上がりますし、競技の面白さもより伝わると感じています。

フェンシングの面白さは、競技者としてプレーするからこそわかる部分もあれば、観客として演出やフェンシング・ビジュアライズドの演出でわかりやすい解説を楽しめる部分もあります。テクノロジーを使ってフェンシングを制約から解き放ち、新しい競技の形を模索していくことができれば、フェンシングの発展はより加速すると思います。

【プロジェクションマッピング活用の様子】

フェンシングをより魅力的に伝えようと考える時、西藤選手であればどうしますか?
ファンとしてフェンシングを見た時には、選手のストーリーをより広く、深く伝えるような取り組みをしたいですね。感情移入できて見やすく、どういう経緯でこの試合に臨んでいるのかが理解できると面白い。僕は格闘技が好きで試合前の煽り映像やプロモーション映像にはいつも釘付けになってしまいます。フェンシングは1日で何十人という選手がトーナメントを行うので、全選手分の映像を作り込むのは難しいかもしれませんが、全日本選手権の決勝であればそれもできるんじゃないかとは思います。

また、フェンシングは構えやルールは決まっていますが、プレースタイルは選手それぞれで国によってもスタイルが全然違います。そのような違いを六角形のパワーゲージのようなデータで算出し、見える化するも面白いんじゃないでしょうか。「この選手は攻撃力がずば抜けている」「この選手はバランスタイプ」といった具合に、選手がどのようなスタイルでどう戦っていくのかを知ってもらった上で、ファンの皆さんが試合に一緒に参加しているような感覚になってもらえたらと思いました。

フェンシングはいつ、誰が始めても楽しいもの

どのような方にフェンシングに触れて欲しいと思いますか?
特に熱狂してくれるのはやっぱり子供だと思いますね。仮面ライダーになりたい、スーパー戦隊になりたいという夢に、フェンシングは一番近いものなんじゃないかなと。遊びの延長線上でフェンシングが始められる環境が良いですよね。フェンシングは大人の方でも童心に戻れる楽しみがあると思っていて、実際にベテランの選手権では80、90歳以上でのカテゴリーで競技が行われていたり、ヨーロッパでは生涯スポーツとしてもフェンシングは普及しています。また、車いすフェンシングもパラ競技として人気があり、健常者もハンディキャップがある方も一緒に楽しめるスポーツだと感じています。日本ではまだまだメジャースポーツには程遠いですが、フェンシングはいつ、誰が始めても楽しいものだと僕は思っています。

【公益社団法人 日本フェンシング協会】

最後に社会人として今後取り組んでいきたいこと、そして選手としての今後の目標をお聞かせください。
選手としては3年後のパリオリンピックで個人・団体ともに金メダルを獲得し、東京大会のリベンジを果たしたいです。

社会人としてはフェンシングだけではなくスポーツの楽しさや価値を拡げて、誰もがいつでもスポーツを始められる環境を将来的には作ってみたいと思っています。僕は元々運動音痴で球技は全くできず、今でも二重跳びなんか1回しかできないんです(笑)。そんな僕でもフェンシングという競技に出会い、オリンピックの舞台まで辿り着くことができた。「オリンピックで金メダルを獲得する」という夢を叶えるスタートラインに立つことはできたので、これから先もチャレンジを続けながら自分の実体験を子供たちに還元していけたらと思っています。

【公益社団法人 日本フェンシング協会】

インタビュー・執筆協力:五勝出拳一
『アスリートと社会を紡ぐ』をミッションとしたNPO法人izm 代表理事。スポーツおよびアスリートの価値向上を目的に、コンテンツ・マーケティング支援および教育・キャリア支援の事業を展開している。2019年末に『アスリートのためのソーシャルメディア活用術』を出版。
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著者プロフィール

スポーツテックをテーマにした世界規模のアクセラレーション・プログラム。2019年に実施した第1回には世界33カ国からスタートアップ約300社が応募。スタートアップ以外にも国内企業、スポーツチーム・競技団体、スポーツビジネス関連組織、メディアなど約200の個人・団体が参画している。事業開発のためのオープンイノベーション・プラットフォームでもある。現在、スポーツ庁と共同で「INNOVATION LEAGUE」も開催している。

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