今だから告白する 鄭大世 ドイツ・ケルンでの苦悩の日々(1/3)
【©1FCKoeln】
北朝鮮代表としても活躍した「人民のルーニー」こと鄭大世(チョン・テセ)。川崎フロンターレで花咲いたストライカーはドイツ2部ボーフムで活躍し、2012年にはドイツ1部のケルンの移籍まで登り詰める。そんな彼の普通のメディアでは聞けないような当時のリアルな感情と体験を、1.FCケルンに打ち明かしてくれた。
2012年に1.FCケルンでプレーした元北朝鮮代表の鄭大世(チョン・テセ)。2010年には念願の北朝鮮代表としてW杯に出場し、ブラジル戦の国歌斉唱で流した彼の感涙を覚えている方も多いだろう。そんな彼ももう37歳。現在FC町田ゼルビアで活躍をするストライカーに1.FCケルンが独占取材を行った。
以下、鄭大世のインタビュー
プロローグ
ケルンにはボーフムから行きました。ボーフムで1年半やってから冬に移籍してそのシーズンで降格して、次のシーズンの冬に韓国に移籍しました。今思えば、このサッカー人生の中で一番最悪な時期にケルンにいました。だからこのインタビューのオファーにも濁してたんですよ。もうポジティブな話が一個もない。
ただ、自分のサッカーキャリアの中でのトップはケルンでしたからね。初めてブンデスリーガに足を踏み入れた北朝鮮代表って感じでメディアでも騒がれていましたし、最初のレヴァークーゼンとのブンデスリーガデビュー戦でも、「朝鮮からブンデスリーガへようこそ!」ってアナウンサーも言ってましたからね。まぁケルンのスタジアムでブンデスリーガ一でサッカーできたのは貴重ですよね。いい思い出といえばいい思い出ですね。
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自分の精神状況が未熟だったがゆえに、その時期が最悪だと思ってしまうのは当時の自分の課題でしたね。現在や、エスパルスに行ったときの5〜6年前ぐらいに壁にぶち当たったときにどう考えなくちゃいけないかってことがわかったんですよ。今、町田にいて実際自分のキャリアで考えたときに町田ってクラブ規模的には一番ではないじゃないですか。自分がJ2でプレイするなんてことはケルンのときは正直想像できませんでした。でも今、自分がどう考えるべきかといったら、サッカー選手としてプレイできることに感謝してこの幸せをかみしめることが一番大事だということをケルンの時代の経験から学びました。
ふと思いかえったときに、ケルンという素晴らしい環境で、誰もが憧れるヨーロッパの舞台、ブンデスリーガという貴重なところにいたのに、ネガティブな感情をもってずっとそこにいたというのが本当もったいないことだったなとすごく思っています。ブンデスリーガでポドルスキと一緒にやってましたからね。神戸で一緒にやったわけじゃないんですよ。ケルンでポドルスキとプレーしたということは価値があるし、それ以外にもレンジング、ノヴァコヴィッチ、アディル チヒ、ヨナス ヘクターといった代表までいくようなすごいメンバーがいたわけですよ。当時のセンターバックのペドロ ジェロメルとかはワールドカップでブラジル代表で出てましたからね。やっぱブンデスリーガってすごいんだなって改めて思いましたよ。(前所属の)ボーフムにいた選手とかでもドイツ代表になってワールドカップに出場したので、ホントにすごいところにいたんだなって思いますよね。
2.今だからこそ打ち明ける苦悩の日々
2部でプレーしてたときに、ケルンのチームメイトがイングランドに移籍したんですよ。そいつ試合にも出てなくて「あんなやつでもほんとにイングランド行けんのかよ」って思いました。でも、あの時なんともなかった彼が世界のトップに上がっていくのを実際に見て、自分がケルンから更に上にステップアップできなかった悔しさと、凄い環境にいたんだなという気持ちがしみじみ溢れますよね。
その時はただただ成功したくて、プレミア行きたくてチャンピオンズリーグ出たくて、のどが渇いて腹が減って超ハングリーで、現状に満足できなくて逃げたくて人のせいにしてってやってたけど、でもふと我に返ったときに、その環境が凄まじいなと今では痛感しています。
日本に戻ってきて再ブレイクしたときにもう一度挑戦したいとも思いました。でももう行けないんですよ。あそこから戻ってくるべきじゃなかったんですよ。だから、若手でヨーロッパに行った松原コウとか北川航也とか清水で一緒にやった選手がいるんですけど、彼らには「絶対戻ってくるなよ、宇佐美みたいに最初に行ったのが若くない限り、戻ってきたらもう行けないよ」って言ってます。
ヨーロッパにいる時っていろいろ考えるじゃないですか。試合出れなくなったときとか、ここでやってて意味あるのかなって思うようになるんですよ。寂しいし、日本語で会話ができないってことがどれだけきついことか気付くんです。僕は僕なりにドイツ語をすごく覚えて、ドイツ組の中では長谷部選手の次くらいにしゃべれるんじゃないかなと思います。今でもポポビッチ監督とはずっとドイツ語でしゃべってますし。だけど、言葉を覚えてもユーモアを覚えたわけじゃないから、やっぱ最後のところで通じ合えないし、ドイツ時代を腹のそこから笑えないって言うのは結構きつかった。だからヨーロッパにいる選手たちは、ここにいる意義というのを感じたくなって来るんですよね。なんでヨーロッパにいるんだろう、これだったらJリーグに戻った方がいいじゃんってね。しかしそれでも、「それをきっと感じると思うんだけど、そこは踏ん張りどころだよ」って話もできるし、「帰ってきたらもうJリーグ以上はいけないよ」って話もしますね。
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ドイツでは独り身だったんだけど、家族と一緒に来ていたら全然違いましたね。そこも彼らには伝えたいところです。やっぱりそこはでかいですね。昔から伴侶が大事っていいますよね。ホンダケイスケはそれで結婚したって言ってたけど、こっちに帰ってきて家族ができて思うのは、ドイツのときに家族がいたらどれだけよかったんだろうってことですね。それはめちゃくちゃ思います。
家に帰るとストレスフリーになれます。やっぱ一人でいたら一人の時間ですらサッカーのこと考えるし、逃げ場がないって言うか切り替える場面がないって感じでした。まだ当時は日本人選手がまわりに何人かいたのでよかったんですけど、それだけじゃダメなんですよね。もっと家族って深層心理の部分で働きかけてくれるんで、あの時に家族がいてくれたらどうだったんだろうって思う部分で、さっきの彼らには結婚しておいた方がいいよって話はします。
その当時は伴侶がいたほうがいいっていうのは言葉としてはわかっていたつもりだったけど、実際できてみたらこういうことかって思いました。こんだけ心強いんだって思うし、なんならサッカーがなくなったって家族さえいてくれればいいやっておもえるようになって、優先順位が変わったんですよね。ケルンにいたときはもうサッカーだけ。本当にサッカーで成功できないんだったら死んだ方がマシだって思ってたから。でも家族ができたら「もう家族の方がサッカーより大事だし」っていうのに今になって気づいた。だから家族があの時いたらまたよかったですよね。またあのとき、私生活でいろいろあったんですよ。それもまた重なって自分のこの37年間を振り返った中で一番最悪のときがケルン時代でした。ほんとに死にかけてて。だから逆にサッカーの間は楽しかったですけどね。それを忘れられるから。だからもうサッカー以外は引きこもってましたよ。家賃高いなあなんて思いながら。18歳の若手の選手が同じマンションの一番上に住んでて、俺2階に住んでてみたいな。
(2/3に続く)
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