今だから告白する 鄭大世 ドイツ・ケルンでの苦悩の日々(2/3)

1.FCケルン
チーム・協会

【©1FCKoeln】

2012年にドイツ・ケルンでプレーした鄭大世(チョン・テセ) こっそりと帰ったチャーター機や観客との衝突... サッカー王国ドイツでのリアルな生活を語る

4.刺激的な本場サッカーの日々

 ホームスタジアムでサッカーするのは緊張しましたよ。あんな雰囲気で試合するのは、ボーフムの入れ替え戦でメンヘングラッドバッハと試合したとき以来でした。ケルンのスタジアムって綺麗だし、ゴール裏も超過激だし。特に今はJリーグで無観客なので忘れがちになりますが、あそこで活躍しなかったときの批判ってものすごいんです。

 思い出深いのはアウグスブルクのアウェイの試合で、帰りが大変だから飛行機をチャーターしてもらおうとスポンサーにお願いしたら、「買ったらチャーター代も出してあげるけど負けたら自分たちで払って」って話で、「1人700ユーロ」って言われて。結構渋ってたんですけど、試合前最後の練習後にポドルスキが「お前らこれでいいよな!」と言ってて、あいつはたくさん貰ってるけど俺はやだなぁって。でもそんなの言えるわけないじゃないですか。

 それで、案の定負けちゃって。そうなるともうサポーターは怒ってるわけですよ。それでチャーター便で帰ってきて、電車なら6時間のところをチャーター便なら2時間ちょっとで帰ってきたんですが、駐車場にサポーターが待ち伏せしてて、駐車場の出口をふさがれて出れなくなったんです。僕は試合出てないのにサポーターにずっと説教をされて「お前らみんな代表選手たちで、アウグスブルクなんて誰も代表入ってないのに何負けてんだ。お前だって北朝鮮代表だろ。もっとしっかりしろよ。」って。僕も、「もっと練習頑張って監督にアピールして試合に出て勝利に貢献できるように頑張るよ」って言ってたら、どんどんエスカレートしてって、「友達に電話するから友達にも言ってくれ!」って。だからオレ、もう一回「友達に電話でもうちょっと頑張るから!」って。

 結局そこで3時間ぐらい足止めくらって家につくのに6時間以上かかっちゃって。なんだよ〜なんて思ってたら、ポドルスキはそれを予測して、最初から違う駐車場に止めて足早に帰ってたんですよ。もうふざけんなよって思って。でもそれも今思えばそれぐらいファンは熱いってことですよね。

チャーター便で帰るも、ファンから逃れることはできない。。 【©1FCKoeln】

5.熱狂的なサポーター

 やっぱブンデスリーガのあの雰囲気を味わったら、他のスタジアムだと正直もう不感症になりますね。怒号が鳴り響くんです。ゴール裏はもともと労働者階級の方でも来れるようにと8ユーロとか安いチケットで観戦できます。VIPたちが収入を支え、その代わりゴール裏の人々はスタジアムを盛り上げるという、ドイツの構図があるじゃないですか。だからその人たちは応援の仕方もえげつないし、あの中でプレイするのはもう胸が高鳴りますよね。

 Jリーグは高い声で歌って応援するので、声の響き方が別次元なんですよね。ドイツはもう声の迫力が全く違って、地鳴りするような低い声で全員が一斉に歌うんで、スタジアム中が響きます。あの雰囲気はケルンのスタジアムが最高でしたね。ボーフムはスタジアムが小さくてコンパクトだったからそれはそれで好きだったんですけど、ケルンはでかくても満員になるし、試合に出ているときはこれがブンデスかって思える雰囲気を味わえたことはすごくいい思い出です。ファンは人生かけて応援してるなって思います。ケルンの勝敗が人生に大きく影響する人達だから、そりゃ怒りますよね。

6.命がけのサッカー人生

 また結構シビアだから、Jリーグなら降格しても資金そのままですぐに1部に上がろうってなるけど、ブンデスリーガってそうはいかないんです。資金が削減されるから2部に落ちたとたん、大概外国人選手いなくなるんですよね。1部のときは各国の代表クラスが揃っていたのに、ケルンが2部に落ちた瞬間、国内の選手に切り替わっていたからそういうところシビアだなって。人数も少なくなってメンバー外が2人とかしかいないのはヨーロッパ方式なんでしょうね。ファンは人生をかけて応援している分批判もでるから、選手にとって周りから見たらJリーグって生ぬるい環境だなってみんな言うじゃないですか。

 やっぱドイツにいたら試合に出て頑張るだけじゃだめなんですよね。絶対に結果がついてこないといけないし、Jリーグとかだったら頑張ったらOKみたいな。拍手してくれるし、監督が悪いんだよという雰囲気にもなるし。2部のときにポーランド系のボランチの選手がサポーターの期待にこたえられなくて放出されたんですよ。それってまじかよって話ですよね。そいつがボール持ったら全員がブーイングするんですよ。それくらいサポーターの影響力って強いから、ただ試合に出て頑張って負けましたじゃ済まされない世界です。試合出てない僕ですらサポーター席から日本を揶揄した批判を受けたりしましたよ。出ていないのに俺に矛先向くの?って感じでした。だからこう言っちゃなんだけど、Jリーグでサッカーするのは平和的でそれはそれで楽しんでます。

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7.苦労は買ってでもしろ

 こうやって話しているといい思い出ですよね。人間って歳を取って上司になったりすると若い人たちに苦労話とかするじゃないですか。なんでその苦労話を若い人たちに伝えるのかって言ったら、苦労は買ってでもしろっていうぐらい、苦労っていうのは時間が経ったらすごいいい思い出になるんですよね。もちろん、楽しい思い出はいい思い出だけど、苦労話の方がすごく深い感情の部分に刻み込まれてるから、やってよかったなって思える。

 それが僕にとってはポジティブに言うとケルンの時代を経験したからこそ自分とどう向き合わなければいけないのかを感じたし、試合に出れないときとか何もかもがうまく行ってないときが人生何回も来る中で、今あるものに感謝し、決してネガティブクライシスに陥ってはいけないなって思える。あのときのケルンで公私共にズタズタで、全てがうまく行かなかったときを経験したからこそ、あの時に比べたらましだなって思うし、重複するけどでもあのときに何でもっと楽しまなかったかなってのも思うし。

 今、家にケルンのユニフォームとかもう持ってないんですよ。もう二度とこんなところに来るかって思ってたんで。大聖堂なんて二度と見たくないって思ってたから。でも時間が経ってみると、あの時のユニフォームなんで残してなかったんだろうって。もう家帰っても何もないんですよ。正直リーボックかっこよかったのに。持っとけばよかったなって。今では未練たらたらですよ。今考えたら欲しいなって思うし、やっぱり苦しい経験したからこそいいですよね。だから当時のケルンの練習着とか持っているサポーターと日本で知り合ったとき、「それオレが欲しい」って言っちゃいましたもん。懐かしいなあって。あのときの暗黒と血と涙が刻まれた練習着。いい思い出です。

8.プライベートとケルンの街

 ボーフム時代に槙野と外出していた頃のケルンの街が印象に残っています。でも、結局和食屋しか行ってないですね。桃太郎です。住んでいた家の近くにも日光っていう和食屋があって、ほぼ毎日そこで食べてました。昼はいつもそこで一人で食べてましたね。めっちゃ思い出深いです。ケルンとかは和食が充実してるんですよ。ボーフムだと和食屋はあってもメインがカリフォルニアロールのように現地の人に合わせたところが多かったけど、ケルンなら本格的な和食がたくさんありますからね。普通の和食、普通のお寿司が食べられますから。

 その頃に、バイオリニストの木嶋真優ちゃんとかと時々みんなでご飯食べに行ってました。最近めっちゃテレビにも出てて、いつも懐かしいなって思いながら観てます。その頃からストラディバリウス(弦楽器)が2億円みたいな話してましたもん。もう8〜9年前ですからね。時間が経ちましたね。

(3/3へ続く)

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著者プロフィール

1.FCケルンは1948年に設立された、ドイツ西部の大都市ケルンに本拠地を置くサッカークラブで、ブンデスリーガに所属しています。1963年に発足したドイツ・ブンデスリーガの初代王者であり、日本人海外移籍の先駆者である奥寺康彦が所属していた頃には2度目のリーグ優勝を成し遂げました。また近年では、槙野智章や鄭大世、大迫勇也も所属していました。

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