イチロー流 球児へ「打撃編」
日米通算4367安打を積み上げ、2025年1月に日米の野球殿堂に選出されました。
走攻守のすべてで日米のファンを魅了したイチローさんは、一流の技術をどのように伝えているのでしょう。
2024年11月にあった大冠(大阪)、岐阜(岐阜)と母校の愛工大名電(愛知)での指導の詳細を紹介します。
1回目は「打撃編」です(全4回)。
「ゆっくりでいいから正しい形で振ること」
まず、素振りでバットの軌道を覚えて。全力でスイングする必要はなくて、ゆっくりでいいから正しい形で振ること。形を保てないと悪い癖がついてしまう。形を崩して千スイングするなら、しない方がいい。それは「頑張った」という支えにはなるかもしれないけど、技術を磨く上ではマイナスになることもあるから気をつけて。
体重移動はするけど、手が残っていることが重要。頭はできるだけ動かないように。体勢が崩されても手が残ればバットが止まったり、ファウルにもできる。そのためのメカニズムを考えて。
「バットが体の近くを通るように」
地面と平行に体を回すと胸が早くピッチャーに見えてしまうよね。左打者なら左肩、右打者なら右肩が下がってもいいから、バットが体の近くを通るように。おそらくこれまでと考え方が違うと思うから、難易度は高いと思うけどトライしてみて。「できるだけ胸をピッチャーに見せない」。これがものにできたらうまくなるよ。
「苦手なところを待つ選択肢もある」
僕はインコースが好き。だから打者有利なカウントでは内を待っていることが多かった。内と外、どっちを待つかは状況にもよるけど、得意なところはなんとかなる感触があるから、苦手なところを待つ選択肢もある。
左打者は左投手の背中から入ってくるカーブ、スライダーはチャンスボール。僕は少々のアウトコースのボール球でも引っ張りにいくことが多かった。でも、得意なところに相手は投げてくれないでしょ?
格上相手だと、難しいボールをどうやってヒットにするか。早い段階で仕留められる感触を得ることが大事になるね。
「足と股関節で我慢する」
左が苦手な左打者は、右肩の開きが早いから外のスライダー、カーブが遠く感じてしまう人が多い。下半身で我慢できるかが重要で、キープできれば怖くない。僕の場合は足と股関節で我慢する。下半身の使い方を覚えて欲しい。
球児の質問 「ファウルで逃れるにはどうしたらいいですか」
打ちにいっているけどとらえられない、でもストライクを取られるという時は左打者なら三塁方向にファウルにできるバットの角度をキープすること。手が残るのは大前提。
「同じバットなら、自分の状態に目を向けられる」
僕は870グラム。バットをころころ変えると、自分の状態がわからなくなるでしょ。
それが嫌で、プロ2年目のころから同じバットを使っている。同じバットを使っていれば自分の状態に目を向けられて、どうアプローチすればいいのかシンプルに考えられる。
「『球をよく見る』。この姿勢はとても危険」
打ちに行って判断。その姿勢がないと、バットが出てこない。ボールは見逃して、ストライクを打つ、というスタンスでは仕留められる球がファウルになってしまう。
イチローさんと高校野球
20年秋に行った講演では、次のように語っています。
「高校野球は『野球』をやっている。大リーグは『コンテスト』なんです。どこまで飛ばせるかとか。野球とは言えない。高校野球にはそれが詰まっているんです。めちゃくちゃ面白い」
「僕はプロ入り前の野球にすごい興味がある。高校野球とか学生野球の指導者には、そんなにプロ経験者はいません。野球人としてこれから(野球界に)何かお返しできたらと思っています」
球児への指導は、20年12月の智弁和歌山を皮切りに、21年は国学院久我山(東京)、千葉明徳、高松商(香川)、22年は新宿(東京)、富士(静岡)、23年は旭川東(北海道)、宮古(沖縄)、24年の大冠(大阪)、岐阜、母校の愛工大名電(愛知)と、これまでに11校を訪れました。
訪問先は学校側の要望や部員からの手紙をきっかけに、決めていました。
22年の新宿と富士については、ともに地域の小学生らを対象に野球の普及にも熱心に取り組んでおり、その活動に関心を持ったイチローさん自ら、訪問を決めました。
イチローさんは「今後もそれぞれのスタンスで野球に取り組んでいる高校生たちと一緒に野球をやってみたい」と話しています。
イチローさんの歩み
1973年10月22日、愛知県生まれ。愛工大名電高(愛知)から91年秋のドラフト4位でオリックスに入団し、94年から7年連続で首位打者を獲得した。
1月に阪神大震災が起きた95年は「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ優勝、翌96年は日本一に大きく貢献した。
2000年オフにポスティングシステムを利用して大リーグのマリナーズに移籍し、01年に首位打者、盗塁王を獲得してア・リーグMVPに。04年に262安打で大リーグのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新。01年から10年連続シーズン200安打。
12年途中からヤンキース、15年からマーリンズでプレーした。16年には大リーグ史上30人目、日本選手では初となる通算3000安打を達成した。18年にマリナーズに復帰し、19年3月に引退。25年、資格初年度での日本の野球殿堂入りに続き、日本人初の米野球殿堂入り。右投げ左打ち。
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ