栗山巧の武器、球界屈指の選球眼を生んだ“1年左縛り”とは? ともに24年目を戦う盟友へ変わらぬ思いも明かす
歴代16位の通算1051四球と屈指の選球眼を誇る栗山。プロ2年目、恩師と取り組んだ試みがその出発点だった 【撮影:スリーライト】
好評連載中の栗山巧 独占手記「生涯つらぬく志」第4回は、「プロ生活スタートの思い出」。“打撃の求道者・栗山巧”を築き上げた礎、そして同期入団・中村剛也との出会いなど、プロ野球人生の原点を回想する。
1年目の入寮…持ち物は「内野手用グラブ」
もう23年も前になりますが、僕にもそういう時期がありました。
高校時代も自宅から通っていたので、実家を出て暮らすこと自体が初めてでした。寮で暮らすというのもイメージがわかなくて。「電子レンジは持ち込めますか」と球団の方に聞いて、苦笑いされたのを覚えています。
「部屋には置けないので、食堂にある共用のものを使ってください」と。そりゃそうですよね。各部屋で一斉に電子レンジを使ったりしたら大変、と今ならわかるんですが……。
当時は本当に、右も左もわからなかった。
◇
実際に初めて寮に行った時のことはよく覚えています。玄関にドン、と大きく、球団旗が掲げられていた。ああ、本当に入団したんだな、と実感しました。
そこから食堂や自室などを順番に案内されていったんですが、そのへんはあまり覚えてないです。部屋のカーペットが青くて、こういうところまでライオンズブルーなんやな、と思ったくらいで。
そのあとに受けたショックが、あまりにも大きかったんですよね。自室の直後にお風呂に案内されたんですが、ロッカールームを通った先にあったんですよ。
……このショック、わかりますかね(笑)?
部屋からお風呂に行くのに、みんなが集まる公共の場であるロッカールームを通らないといけない。これが当時の僕にとっては衝撃でした。
練習が終わって、ようやくひとりでゆっくりできるタイミングがお風呂だろう、と思っていたんですよね。そこすらプライベートではないのか……と。
自室に電子レンジがあって当然と思い込むくらい、僕は「プライベートは確保されて当たり前」と考えていた。だから一瞬にして、気持ちが沈んだのを覚えています。
早く寮を出るためにも、活躍しないと。あらためて強く、そう思いました。
◇
レンジやお風呂のことがなかったとしても、当時の僕は「3年で活躍できなかったら実家に帰ろう」と考えていました。
大学進学を考えなかったのも「プロになるまで4年」というのが自分には長すぎて、頑張り続けられる自信が持てなかったからでした。社会人の3年間すらキツイな、と当時は思っていた。結局のところ、24年も頑張っているわけですが(笑)。
いずれにしても、そんな僕の目論見は当然打ち砕かれます。その予兆は、入寮時の「持ち物」の中にありました。
「内野手用のグラブを持ってくるように」。担当のスカウトさんの指示に、僕は深く考えずに従いました。中学、高校と外野手しかやっていなかったので、内野手用を新しく買って持って行った。
プロ1年目。僕はずっと、そのグラブだけを使い続けることになりました。