栗山巧 独占手記「生涯つらぬく志」

栗山巧の武器、球界屈指の選球眼を生んだ“1年左縛り”とは? ともに24年目を戦う盟友へ変わらぬ思いも明かす

栗山巧

歴代16位の通算1051四球と屈指の選球眼を誇る栗山。プロ2年目、恩師と取り組んだ試みがその出発点だった 【撮影:スリーライト】

 今年、プロ24年目のシーズンを迎える埼玉西武ライオンズの栗山巧。2021年、球団史上初の“生え抜き2000安打”を達成し、昨年までに積み上げた安打は2148本。言わずと知れた獅子のレジェンドである。これまで多くを語らず、ひたむきに野球と向き合ってきた栗山巧が今、自分の歩んできた道のりを振り返り、心境をつづってくれた。

 好評連載中の栗山巧 独占手記「生涯つらぬく志」第4回は、「プロ生活スタートの思い出」。“打撃の求道者・栗山巧”を築き上げた礎、そして同期入団・中村剛也との出会いなど、プロ野球人生の原点を回想する。

1年目の入寮…持ち物は「内野手用グラブ」

 1月8日、今年初めて球場に来ました。この時期はちょうど新入団の選手が入寮してくるんですよね。

 もう23年も前になりますが、僕にもそういう時期がありました。

 高校時代も自宅から通っていたので、実家を出て暮らすこと自体が初めてでした。寮で暮らすというのもイメージがわかなくて。「電子レンジは持ち込めますか」と球団の方に聞いて、苦笑いされたのを覚えています。

「部屋には置けないので、食堂にある共用のものを使ってください」と。そりゃそうですよね。各部屋で一斉に電子レンジを使ったりしたら大変、と今ならわかるんですが……。

 当時は本当に、右も左もわからなかった。



 実際に初めて寮に行った時のことはよく覚えています。玄関にドン、と大きく、球団旗が掲げられていた。ああ、本当に入団したんだな、と実感しました。

 そこから食堂や自室などを順番に案内されていったんですが、そのへんはあまり覚えてないです。部屋のカーペットが青くて、こういうところまでライオンズブルーなんやな、と思ったくらいで。

 そのあとに受けたショックが、あまりにも大きかったんですよね。自室の直後にお風呂に案内されたんですが、ロッカールームを通った先にあったんですよ。

 ……このショック、わかりますかね(笑)?

 部屋からお風呂に行くのに、みんなが集まる公共の場であるロッカールームを通らないといけない。これが当時の僕にとっては衝撃でした。
 
 練習が終わって、ようやくひとりでゆっくりできるタイミングがお風呂だろう、と思っていたんですよね。そこすらプライベートではないのか……と。

 自室に電子レンジがあって当然と思い込むくらい、僕は「プライベートは確保されて当たり前」と考えていた。だから一瞬にして、気持ちが沈んだのを覚えています。

 早く寮を出るためにも、活躍しないと。あらためて強く、そう思いました。



 レンジやお風呂のことがなかったとしても、当時の僕は「3年で活躍できなかったら実家に帰ろう」と考えていました。

 大学進学を考えなかったのも「プロになるまで4年」というのが自分には長すぎて、頑張り続けられる自信が持てなかったからでした。社会人の3年間すらキツイな、と当時は思っていた。結局のところ、24年も頑張っているわけですが(笑)。

 いずれにしても、そんな僕の目論見は当然打ち砕かれます。その予兆は、入寮時の「持ち物」の中にありました。

「内野手用のグラブを持ってくるように」。担当のスカウトさんの指示に、僕は深く考えずに従いました。中学、高校と外野手しかやっていなかったので、内野手用を新しく買って持って行った。

 プロ1年目。僕はずっと、そのグラブだけを使い続けることになりました。

1/3ページ

著者プロフィール

1983年9月3日生まれ。兵庫県出身。背番号1。外野手。右投左打。177cm/85kg。プロ24年目。育英高から2001年ドラフト4巡目で西武に入団。2008年に自身初の規定打席に到達し最多安打(167安打)を獲得するなどチームの日本一に貢献。08年から9年連続でシーズン100安打以上を達成、12年から16年まではキャプテンを務めるなどチームの顔として活躍。稀代のヒットメーカーとして安打を積み重ね、21年に生え抜き選手では球団史上初となる通算2000安打を達成した。これまで獲得した主なタイトルは最多安打(08年)、ベストナイン(08、10、11、20年)、ゴールデン・グラブ賞(10年)。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント