「私はイチローへの投票を見送る」そう宣言した記者の真意と、MLB野球殿堂の満票選出を阻む“慣習”とは?

丹羽政善

満票選出を認めないロジック

試合前の打撃練習中に談笑するイチローとケン・グリフィーJr.(2010年) 【Photo by Jed Jacobsohn/Getty Images】

 かといって、満票を阻む全ての可能性が消えたわけではないようだ。元シアトル・タイムズ紙のボブ・シャーウィン記者が、こんな指摘をした。

「わずか3票で満票を逃したケン・グリフィーJr.(2016年)、1票足りなかったデレク・ジーター(2020年)と比べて、イチローは彼らよりも上なのか? ということで、投票をためらう記者もいる」

 どういうことか? 補足すると、ベーブ・ルース、タイ・カップ、ウィリー・メイズといったレジェンドも、満票での殿堂入りを逃している。事情は様々だが、イチローが満票で殿堂入りを決めた場合、メイズらよりも上であると位置付けられてしまう。それはけしからん――と考える保守的な記者が、少なからずいるのだという。

 それは例えば、採点競技と似たロジック。前半に出場する選手の得点は、後半に好選手が控えている場合、抑えられる傾向にある。

 殿堂入りに異論はないが、満票は認められない。理不尽だが、グリフィーJr.、ジーター、もう少し時代をさかのぼれば、ノーラン・ライアンもカル・リプケンJr.も満票を逃している。むしろ、マリアノ・リベラが満票で2019年に選出されことは、驚きを持って受け止められた。

長年の慣習に終止符を

イチローが米野球殿堂博物館に寄贈したユニホームや用具 【写真は共同】

 もちろん、いまも個人的な感情が働くケースが、ゼロでもないよう。元MLB.COMのバリー・ブルーム記者は、「イチローと過去に何かあって、それを根に持って投票しない記者もいるだろうな」と話した。

「自分もかつて、そういう経験がある。インタビューしているとき、彼は爪を切っていたんだ。それは、敬意を欠く行為だった。逆だったら、彼はキレていただろう」

 ブルーム記者は長い関係性から、その行為を“気を許しているから”と受け止め、今回も1票を投じたが、「そういう記者ばかりではない」とのこと。

「侮辱と捉え、それが冷静な判断力を鈍らせることもある」

 実は、それを聞いて冒頭の記者のことを思い出して久々に連絡を取ったのだが、すでに投票権を失っていた。

 ただ、あれから月日が経ち、あの頑固な記者にも変化があった。まだ、感情的なしこりは残っているようだったが、圧倒的な実績の前では、投票しないことに対するロジックは、あまりにも薄っぺらかった。

 となると、やはり厄介なのは長年の慣習か。もう、かなり薄れてきている印象があるが、グリフィーJr.やジーターの選出でも、その見えない力が働いた。

 ジ・アスレチックのジェイソン・スターク記者などは、「投票しないことに合理的な理由があるなら、それは仕方がない。しかし、古い価値観に縛られているなら、そういうのはもう、我々の時代で終わらせよう」と訴える。

 どうだろう。現役時代、そのプレースタイルで野球の価値観を変えたように、そんなところでも、変化をもたらすのだとしたら、それはそれで、イチローの新たな功績となるのかもしれない。

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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