【新旧女王対談:前編】ドラマ出演も話題になった現役世界王者・晝⽥瑞希 アメリカ・デビューに向け、レジェンド・ 藤岡奈穂⼦さんと“再会”
アメリカで実感した藤岡さんの偉大な足跡
自身のアメリカ進出を「ギリギリ間に合った」と藤岡さんは振り返る 【写真:伊藤キコ】
晝田 もちろんです! いつかやるのかなって思ってたし、階級もどこでもやる人なのは分かってたから。
――悔しい記憶もあったし、やっぱり、藤岡さんと試合したかったですか?
晝田 ……いや(笑)。
(一同笑)
藤岡 でも、もうちょっと自分が長かったら、やってたかもしれないですよね。
――晝田選手はプロになってから、どんなふうに藤岡さんを見ていましたか。
晝田 まず、プロの世界のことを私が何も分かってなくて……。私がプロになった頃は、あ、藤岡さん、まだやってるんだ、すごいな、まだチャンピオンなんだ、とか思ってたぐらいで。で、プロになって、少し経ったぐらいにアメリカで試合をされて。
――晝田選手のプロデビュー戦の3ヵ月前ですね。
晝田 そうですよね。だから、まだアメリカでいつかできたらいいな、ぐらいしか思ってなかった頃で。気になって、見てはいたけど、すごいなぐらいしか思ってなかったんですよ。で、マーレン・エスパーザのときは、ポイントがおかしかったじゃないですか。
――ジャッジの2者が意外なフルマーク(90-100)の判定で。
晝田 ああ、やっぱり、大変なんだ、とか思ってたけど。アメリカで試合をすることがどれだけすごいことなのか、実力だけじゃなくて、自分で行動を起こす力もそうだし、いろんな力が必要で。ほんとにほんとに失礼なんですけど、全然、理解できてなかったなって。自分がアメリカに行くようになって、思うように前に進めないときとか、どれだけ踏ん張ってきた人なんだろうと考えたら。今だからこそ、余計にリスペクトさせてもらってます。ほんとに大変だったんだろうなって。
藤岡 いやいや。でも、そうね、コロナもあったしね。自分は2017年に初めてアメリカにトレーニングに行って、そのときにアメリカで試合してみたいなと思ったんですけど、2021年だから、実現まで4年かかりました。その間、渡米できなくなったり、試合を組めなかったりもして、自分が試合したのは、コロナ明けで初めて観客を入れたときなんですよね。
晝田 そっか、そのタイミングだったんですね……。
藤岡 屋外だったからね(ロサンゼルスのサッカー専用スタジアム)。そういうほんとにギリギリ、何とか間に合った、ぐらいのタイミングで。しかも2017年に行ったときはアメリカの女子ボクシングが盛り上がってきて、まだ浅いときだったんですね。
――それまではメキシコが盛り上がっていて。
藤岡 そうですね。で、メキシコが落ちてきて、アメリカが女子を取り上げ出してっていうときだったんで。あと1、2年早くても多分、できてなかったです。
――そういうタイミング的にもギリギリ間に合ったと。
藤岡 はい。まあ、やれるかどうかも分からないのに何回もアメリカにトレーニングに行って、年齢も年齢だし難しいだろって、あっちで言われたこともあったんですけど。プロモーターに売り込みに行ったり、諦めずにコネクションをつくって。でも、もう間に合わないかもと思ったこともあったんで。ほんとにやれてよかったですね。だから、今、いい流れが来てるな、と思います。
「チャンピオンは特別」と海外で実感
藤岡さんは「アメリカで活躍できる選手は晝田しかいない」と期待をかける 【写真:伊藤キコ】
もちろん、円安という事情もあるし、女子ボクシングの盛り上がりが足りないという側面を否定することはできない。が、日本から海外に出て戦う状況を藤岡さんは前向きに捉える。
――引退会見で期待する選手として、藤岡さんが真っ先に名前を出したのが晝田選手でしたね。
藤岡 そうですね。いろんな意味を含めてですけどね。アメリカで戦うとなると、どうしても小っちゃい階級だと難しいところがあるので。通用する階級で、活躍できる選手となったら、彼女しかいないでしょって感じですよ。
――最近は、国内ではなかなか女子の世界戦ができなくて、海外に出て行く状況にありますが。
藤岡 そうですね。円安だったり、物価も高くなったりとか、なかなかね、海外の選手を呼べないんでしょうけど。そこは逆にチャンスと捉えて。日本だけでね、やっててもしょうがないというか。
晝田 世界チャンピオンなのにって。
藤岡 うん、そうそう。やっぱり、世界で評価されないと。
晝田 私、チャンピオンは特別なんだなって、アメリカに行ったときに特に思うんですよね。日本では、あんまり思わないんですけど(笑)。今回、ロサンゼルスから初めてメキシコのグアダラハラに行ったんですけど、自分でも「えっ!?」ってなるぐらい、周りの反応がすごかったんですよ。そのときも、あ、すごいなって思うんだけど、時間が経ってから、めちゃくちゃ幸せなことだな、と思って噛みしめてます。
――藤岡さんがよくおっしゃってましたよね。海外ではお客さんが純粋に試合を楽しんでくれる、ちゃんと戦いを見てくれる、と。
藤岡 リスペクトが違いますね。海外と日本だと。ほんとにボクシングが好きな人たちが観に来てくれるので、チャンピオンはすごい、と分かってるというか、女子だろうが、男子だろうが、純粋にチャンピオンはカッコいい、強い人はすごいって見られるんですよね。
――藤岡さんは日本の女子選手として初めてアメリカでの世界戦で勝った人ですけど、そういう場所で勝つと、また違うんでしょうね。
藤岡 いや、すごいことなんですけど、そのときは勝ったっていうことだけが嬉しい、というか。あ、もっとボクシングを続けられるんだ、みたいなのが大きくて。やっぱり海外でやるって、チャンピオンだから呼ばれるけど、チャレンジャーとして、いつでも呼ばれるか、と言ったら、なかなかチャンスがあるわけじゃないですからね。勝って、いろんな経験をしてもらいたいです。
――以前、晝田選手がベルトは世界への切符と言っていたんですけど、まさにその通りということなんですね。
藤岡 そうですね。やっぱりアメリカでアメリカ国内の選手が試合するのも大変ぐらいなので。そこにアジア人が食い込むのはほんとに大変なことで。いかにチャンピオンでい続けられるか。海外で勝つって、ほんとに厳しいけど、結果がすべてだから、そこは頑張ってほしいな、と。
晝田 はい。私も結果がすべてだと思ってます。負け方なんか、どうでもいいというか、ずっとチャンピオンでい続けることしか、ほんとに考えてないから。もちろん怖いですけど、やるしかないと思って(笑)。
藤岡 ここまで来て、逃げられない、引けないから。ステップを踏んで、上に向かっている以上はやるしかない。
晝田 はい。緊張とか、不安とか、恐怖さえも、チャンピオンだから味わえることだと思って。ベルトは絶対に守り抜きます。
(新旧女王対談:後編に続く)
女子ボクシングを代表する新旧女王はすぐに打ち解けた 【写真:伊藤キコ】
1996年4月12日生まれ、岡山県岡山市出身。県立岡山工業高校ボクシング部で競技を始め、卒業後に進んだ自衛隊体育学校までアマチュア45戦29勝(13KO・RSC)16敗の戦績を残した。2018年はフライ級、2019年はフェザー級で全日本選手権優勝。東京五輪を目指したが、本大会で金メダルを獲る入江聖奈の前に日本代表選考のボックスオフで惜敗した。2021年10月15日にプロデビュー。2022年12月、4戦目で谷山佳菜子(ワタナベ)との王座決定戦を制し、WBO女子世界スーパーフライ級王者に。現在2連続KO防衛中。2022年、2023年と女子年間MVP。プロ6戦全勝2KO。左ボクサーファイター。
■藤岡奈穂子(ふじおか・なおこ)・プロフィール
1975年8月18日生まれ、宮城県大崎市出身。24歳で地元のアマチュアジムでボクシングを始める。2003年のアジア選手権3位など、アマチュア23戦20勝(12KO・RSC)3敗の戦績を残した。2009年9月15日にプロデビュー。東日本大震災発生による世界初挑戦の中止を経て、2011年5月、王者のアナベル・オルティス(メキシコ)を下し、WBC女子世界ミニマム級王者となる。2013年11月、3階級上のWBA女子世界スーパーフライ級王座奪取を皮切りに5階級制覇を達成。現在はパーソナルトレーナーとしてボクサー、格闘家、健康目的など、幅広くボクシング指導。現役中から「ボクシング女子会」を立ち上げるなど、女子ボクシングの盛り上げに精力的だったが、新たな形を計画中。プロ23戦19勝(7KO)3敗1分。右ファイター。