F1王者ハミルトン「僕はもう速くない」発言の衝撃

柴田久仁夫

レースでは粘り強く結果を出しているが……

10番グリッドから2位まで追い上げたラスベガスGPの走りは、全盛期を彷彿とさせるものだった 【(c) MercedesF1】

 今さらいうまでもないが、ハミルトンは現役最高のF1ドライバーの一人だ。2007年に22歳でマクラーレンからF1デビューすると、1年目からいきなりチームメイトのフェルナンド・アロンソとタイトル争いを繰り広げた。翌年初戴冠を果たし、これまでに計七回世界チャンピオンに。これはミハエル・シューマッハと並ぶ最多タイトル記録だ。

 他にもハミルトンは、数えきれないほど多くの記録を塗り替えてきた。最多勝(105回)、最多ポールポジション(104回)、最多表彰台(201回)、そして出走300戦を超えて優勝した唯一のドライバーでもある。

 その意味するところは、ハミルトンはデビュー以来ほぼ毎シーズン優勝争いに絡んできた稀有なドライバーだということだ。実際、これまでの18シーズンで未勝利に終わったのは、去年と一昨年だけだった。

 それだけの成果をあげてきただけになおのこと、今の自分の遅さが許せないということか。一方で決勝レースでは、燃料を多く積むことでマシン挙動がそれほどシャープではないことにも助けられ、ラッセルとほぼ互角の結果を出している(ラッセル235ポイント対ハミルトン211ポイント)。未勝利だった直近2年間も、一昨年は表彰台に9回、去年も6回上がった。

「『どう転んだか』よりも、『どう立ち上がるか』だ」

現在のボス、メルセデスのトト・ウォルフ代表(写真右)と、ハミルトンの育ての親フレデリック・バスール代表 【(c) MercedesF1】

 来年1月には、ハミルトンは40歳の大台に乗る。その年齢からすれば、来季から移籍するフェラーリがF1キャリア最後のチームとなりそうだ。待ち受けるシャルル・ルクレールは、世界チャンピオンを撃破して自らの実力を証明しようとするだろう。ハミルトンにとってラッセルと同じか、それ以上に手強いライバルになりうる。さらなる試練が待っているのではないか。

 しかしF3、F2時代にハミルトンの所属したチームの代表を務め、育ての親ともいうべきフレデリック・バスール代表は、「ルイスの現状をまったく心配していない」という。「ラスベガスでの50周を見てほしい。10番グリッドから素晴らしい追い上げでラッセルの真後ろ、2位表彰台に上がったじゃないか」。

 ハミルトン自身も、カタールGPをノーポイントで終えた後、こう語っていた。

「長いキャリアの中では、素晴らしいレースもあれば、酷いレースもあった。重要なのは、『どう転んだか』よりも、『どう立ち上がるか』だよ」

 数えきれないほど転び、その度に立ち上がってきたハミルトンにしてみれば、今はあくまでほんの短いスランプということか。

(了)

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著者プロフィール

柴田久仁夫(しばたくにお) 1956年静岡県生まれ。共同通信記者を経て、1982年渡仏。パリ政治学院中退後、ひょんなことからTV制作会社に入り、ディレクターとして欧州、アフリカをフィールドに「世界まるごとHOWマッチ」、その他ドキュメンタリー番組を手がける。その傍ら、1987年からF1取材。500戦以上のGPに足を運ぶ。2016年に本帰国。現在はDAZNでのF1解説などを務める。趣味が高じてトレイルランニング雑誌にも寄稿。これまでのベストレースは1987年イギリスGP。ワーストレースは1994年サンマリノGP。

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