「スーパーショットを投げるのが大好き」な地元チームの可憐なキーパーソン 中部電力スキップ・北澤育恵インタビュー

奥岡幹浩

わくわくするタイプ、バレエや新体操の経験も

現在28歳の北澤。新体操を辞めた後に「次に何かできそうなスポーツ」として中学2年からカーリングを始めた 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

――北澤選手ご本人についてもたっぷり聞かせてください。まずはプレー面で、ここを見てほしいという部分は?

 スーパーショットを投げるのが大好きで、難しいショットが回ってくると、「このショットを投げれるんだ、うれしいな」とわくわくするタイプです。決まるかどうかは別にして、楽しむ気持ちを持ってそういうショットに挑もうとするところは、自分のいいところかな(笑)。

――難度の高いショットを投げるのが好きなのはいつごろから?

 昔からです。それこそスポーツ少年団にいたころとか。当時からチームメートだった中嶋と2人で、毎日のように難しいショットばかり投げ続けていた時期もありました。

――そういう練習は、自分で難しいところにストーンを配置して、という感じでやるわけですか?

 とりあえず赤い石を全部ハウスの中に入れて、たくさん出せた方が勝ちね、みたいな(笑)。実際に石がたくさん出ていくのを体感すると、やっぱりうれしいし、決まると楽しいし。本当なら、もっと違う練習したほうがよかったと思うんですけど(笑)。でも、ただただ楽しみながら2人で練習していました。

――そもそも、北澤選手がカーリング始めた時期やきっかけは?

 中学2年の冬から始めました。小さい頃から新体操をやっていたのですが、そこが中学3年までのクラブチームで。次に何かできそうなスポーツはないかなと探していたところにカーリング少年団を体験する機会があり、面白いなと。実家の佐久から軽井沢まで片道40分ぐらいかけて、お母さんが運転してくれる車で通っていました。

――カーリング初体験のときの感想は?

 端から見ていると簡単に投げられそうに見えたのですが、やってみるとすごく難しくて。最初はまともに滑れず転んでばかり。なんとかできるようになりたいなと。

――運動神経はもともと良かった?

 どうなんでしょう。3歳からクラシックバレエをやっていて、小学校の中学年あたりから新体操を始めて。もともと体は柔らかかったので、その延長線という感じでカーリングを始めました。

――バレエや新体操の経験はカーリングに生きていますか?

 大きなけがをまだ1度もしたことがないのですが、それは体の柔らかさのおかげかもしれません。あとやっぱり、ストーンを投げるときの姿勢には柔軟性が必要だし。新体操についていえば、大きな体育館の真ん中で1人ぽつんと立ち、みんなの前で演技しなきゃいけない。そういう環境でメンタル面はかなり鍛えられたような気がします。

「べーちゃん」「いくべえ」と呼ばれながら

昨年の軽井沢国際で優勝インタビューに応える北澤。大会連覇から勢いを付けて五輪出場を目指す 【写真:松尾/アフロスポーツ】

――ご自身についてもう少し聞かせてたくざい。北澤選手の趣味や息抜きは?

 旅行好きで、時間ができればどこかに出かけたりとか。あとは(音楽グループの)LDHとかのライブに行ったり、東京ディズニーリゾートなどのテーマパークや遊園地で過ごすことも大好きです。チームメートの中嶋とはプライベートでも仲が良くて、2人でご飯を食べに行く機会もよくあります。食事の好みがめちゃくちゃ同じなんですよ。ラーメン、焼肉、寿司が大好きです(笑)。

――ニックネームの「べーちゃん」「いくべえ」はいつぐらいから?

 中学3年か高校1年のころ、スポーツ少年団で青森遠征に行く機会があって。青森には「いくべぇ」というゆるキャラがいるんですが、大きな看板みたいなのにそのゆるキャラが描いてあって、みんなに「いくべぇって育恵じゃん」と(笑)。それから「いくべぇ」と呼ばれるようになりました。中部電力に入ってからは、その〝原形部分〟がなくなって「べーちゃん」と呼ばれるようにもなり(笑)。どちらのニックネームも気に入っています。ゆるキャラのいくべぇも可愛いですし。

――さて残り時間も少なくなってきました。チームとしての今季の目標を教えてください。

 26年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪に向けてとても大事なシーズン。今季の私たちの目標はWCT(ワールド・カーリング・ツアー)ランキング1位と日本選手権優勝なので、まずはそこにしっかり焦点を置きたいと思っています。日本選手権にはチームとして完成形で挑みたいと思っていて、その意味でも軽井沢国際は大切な実戦機会です。

――五輪という言葉も出ましたが、最後にオリンピックへの意識や思いについてもあらためて聞かせてください。

 ずっと目標にしている舞台です。いつも五輪代表決定戦で負けてしまい、あと1歩のところで出られないことを私たちは繰り返してきた。今年度から来年度にかけて、そこを打破したいという気持ちはあります。チーム全員が強い思いを持ち、オリンピック出場を目標として掲げています。

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著者プロフィール

1975年三重県生まれ、日大芸術学部卒。大学在学中からフリーライターとして約15年間活動したのち、総合週刊誌「サンデー毎日」(毎日新聞社)契約記者に。その後、時事通信社でプロ野球などを取材。19年秋に日刊スポーツ新聞社へ移り、五輪競技などを担当する。プロフィール画像は21年6月、当時幼稚園年長の一人娘が手がける

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