通訳がつないだ中日・ブライト健太と“42番”の縁 ジャッキーロビンソンの次男・デービッド氏が実践する父の教えとは?
「それぞれの世代には、その時々の扉を開ける責任がある」
2022年にドジャー・スタジアムを訪問したデービッド氏(右) 【Photo by Rob Leiter/MLB Photos via Getty Images】
日本人の視点では、ドジャースは野球の歴史における3人目のパイオニアと契約したことになる。1947年にジャッキー・ロビンソンが米国社会に先駆けて人種の壁を取り除いた。次いで1995年、野茂英雄が「日本人選手がアメリカで通用するはずがない」という偏見を打ち砕いた。そして来たる2024年、二刀流の開拓者、大谷翔平がドジャーブルーのユニフォームに袖を通す。
「大谷翔平のドジャース入団、おめでとうございます」
デービッド氏の父が活躍した球団に、私の古巣である北海道日本ハムファイターズに所属した大谷が籍を置く。手前勝手な親近感を隠しながら、祝福の言葉を述べた。
「いま君は3人のパイオニアの名前を挙げた。大事なことは、それぞれの世代には、その時々の扉を開ける責任があるということだ」
浮き足だった私の気持ちを咎めるかのように、デービッド氏の発した言葉は簡潔にして、重い。
「(年俸総額は)7億ドルだそうだね? 大変な金額だ。大事なことなので、まずはお金の話しから始めよう。私の父、ジャッキー・ロビンソンが生きた時代のアフリカン・アメリカンは、あらゆる職につく上で、あらかじめ報酬を知らされることはなかったんだよ。当時の黒人が職を得る上で聞かれたことはただひとつ。何ができるかだ。いくらほしいかではない。
そして当時のアフリカン・アメリカンにとって最も大事なことは、社会的地位を得ることだった。お金以上にね。それがあとに続く者に道を開くからだ。そして私の親族からは、カリフォルニアで初めて黒人として郵便局で職を得る者がでた。叔父は大きな酒造会社の卸売業者となった。父、ジャッキー・ロビンソンはその意味合いをよくわかっていた。だからもし仮に彼が社会的インパクトを残すことなく大金をつかむ機会を得られていたとしても、その選択はしなかったはずだ」
公民権運動の指導者、マーティン・ルーサー・キングに「もしジャッキー・ロビンソンが野球界で人種の壁を壊していなかったのなら、我々の運動の目的達成も難しかっただろう」と言わしめたジャッキーだ。息子の言ったように父は行動したことだろう。
「大谷の年俸総額は7億ドルか。それは人々に夢を持たせる。と同時に幻想も生んでしまうかもしれない」
幻想を生むとは、どのような意味だろうか?
「ひとりの人間が7億ドルものお金を得る。その事実自体が幻想のようなものではないかね?
誰もが夢を持つことはできる。でも現時点で何も持たない貧しい人がいきなり億万長者になることがあると思うかい? もしかしたら一攫千金の稀なケースはあるのかもしれない。おめでとう、その人は神に祝福されたのだろう。でも現実は厳しい。それは地に足がついていない幻想と言っていいだろう。
例えばラテンアメリカからやってくる移民を考えてみよう。危険を犯して国境の川を渡り、最初にすることは何だい? 故郷に残した家族や親戚への仕送りだろう。もしかしたら家族の誰かを呼び寄せる手筈かもしれない。彼らはいきなり億万長者になって派手な服や高級車を手にすることを夢見ているかい? そんなことはない」
大半のひとは幻想に惑わされることなく、現実に即した行動をとっているということか。
「問題は富の偏りに尽きる。たくさんの食事が偏ったところに置かれていることだ。もし君がその食べ物を得たいとする。すると他の者には充分な取り分はもう残っていないんだよ。だからこそ、持てる者は持たざる者に対して社会的な奉仕をする責任があるんだ」
ラテンアメリカからやってくる者の中には野球選手も含まれるだろう。私の勤める中日ドラゴンズはドミニカ共和国やキューバをはじめとするラテンアメリカ諸国との縁が深い。
特にキューバからボートで逃れた者たちの話は生々しい。文字通り、彼らは夢を追いかけて危険な旅路へと出た。日本のメディアは安易に「亡命」という単語を使うが、経済難民と呼ぶのが正しいだろう。10代の野球選手が政治的圧迫を受けた結果、アメリカに亡命したわけではない。キューバ革命当時とは事情が違う。母国の経済難から大金を得る夢を追ってアメリカに渡る。デービッド氏の言う富の偏在が、皆をアメリカへと向かわせるわけだ。キューバに限らず、他のカリブ諸国出身の選手たちも総じて貧しい家庭の出身だ。
ひとつ忘れてはならないことがある。日本で活躍するラテンアメリカ出身の外国人選手たちは、夢を実現し富を得た一握りの者たちだということだ。成功者である彼らの影には、夢をつかみそこねた末にアメリカ社会の底辺に押しやられるか、夢破れて自国に帰った者たち、あるいはアメリカ本土にたどり着くことさえ叶わず、道中で命を落とした者が無数にいる。この現象は現在進行形どころか、勢いを増している。
救いがあるとするならば、成功者である選手たちの大半は地元でのチャリティー活動に熱心で、生まれ故郷への社会還元に意欲的なことだろう。彼らがデービッド氏と想いを共有し、行動していることは救いと言っていい。
「私がドジャースと組んでここタンザニアで最初に行ったことは子供たちに向けてコンピューターセンターを建てたことだ。野球用具を送るのではなくね。確かに子供たちは野球を通してパートナーシップやチームスキルを学ぶことができる。ただし野球を楽しむ子供たちのうちプロになれるのはひと握りだ。ここタンザニアにおいてはおそらく皆無と言っていい。ならば我々にできることはこの国の社会発展に寄与することだろう」
支援する側もまた、現実に即した対策を施す必要がある。実現性の乏しい大風呂敷を広げた政策は、魅力的に映るが目を曇らせる。支援者もまた幻想の誘惑に負けてはいけない。
「私の父の人生はいかにして自分の家族、周囲の者たち、そしてそれらの人たちが住むアメリカという国を変えていくかだった。
そして父は息子に世界とはアメリカだけじゃないんだとわからせるために、アメリカの外の世界を少年の私に体験させたんだよ。特に我々黒人の祖先が暮らしていた土地、アフリカ大陸をね」
質問を挟む間もなく、聞き入った。
父の意図のもと、若くしてアフリカの地を踏んだデービッド氏。その彼がいったいどのような経緯でタンザニアに移り住むことになったのか。