強豪ENEOSを率いる名将・大久保秀昭が語る 野球に求められる賢さと“野球脳”の鍛え方
ENEOSの大久保監督がイメージする賢い選手とは──。現役時代は巨人、DeNAなどで活躍し、引退後は侍ジャパンのコーチも務めた仁志敏久氏(中央右)の名前も 【写真は共同】
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「2」を導く計算式は1+1以外にも
ENEOSでは監督として史上最多となる4度の都市対抗野球優勝を飾り、また大学野球では母校・慶応大を率いてリーグ優勝3回、明治神宮大会優勝1回という実績も残した。
誰もが認めるアマチュア球界きっての名将である。
そんな華々しい経歴を持つ大久保秀昭監督は、データの導入にも積極的だった。慶応大の監督時代には、当時の林卓史助監督の進言もあって、いち早くボールの回転数などの数値を計測し、パフォーマンスの向上につなげている。
「助監督の林が、こういうものがありますよと言ってきたんですが、自分もすごく興味があったので、すんなり受け入れられましたね。おかげでスピードガンの数字が同じでも回転数は全然違うことが分かりましたし、リーグ戦で相手打者を抑えるにはこれくらいの回転数が必要なんだと、明確な目標を設定することもできました。東京六大学野球ではリーグとして早くから回転数の計測機器を導入し、そのデータを共有していたので、他大学のピッチャーとの比較も可能でした。
そういうものが出てきたら、活用しない手はないですよ。打球速度などのデータも同様です。以前はああでもない、こうでもないと悩みながら感覚に頼っていたものが、今は数字で見られるようになった。効率良くパフォーマンスを上げやすい時代になったのは確かだと思います」
こうしたデータの活用に加え、最近では山本由伸(ドジャース)がやり投げの動きをピッチングに取り入れたり、バッティングでも以前とは異なるアプローチで長打を狙うようになったりと、これまでにない新たな方法論を取り入れている選手、球団も増えている。そうした取り組みに消極的、あるいは否定的な指導者もいるが、大久保監督自身はどう感じているのだろうか。
「ピッチャーもバッターも結果としてパフォーマンスが上がればいいわけですから、新しいやり方が出てきたなら、どんどん試してみればいいと思います。そういったことに対する抵抗感はまったくないですね。極論、特殊に見える打ち方をしていても塁に出てくれればいい。それに、これまで埋もれていた選手が、自分に合った確かな方法論を見つけて成功を収めるケースもあるわけですし。
もちろん、今までのやり方で超一流になる選手もいます。だから指導者として一番いけないのは、1つの形がすべてだと信じ込み、状況に応じて変化ができないことじゃないですかね。“2”という答えを出すのに“1+1”しか計算式がないと思ってしまう。でも結果が2になればいいんだから、“3-1”でも“2×1”でもいいわけです。そういう考え方の柔軟性は必要だと思いますね」
ベストボールを投げることにこだわらない
ENEOSや慶応大を率いて輝かしい実績を築いてきた大久保監督は、データの導入にも積極的だった。「効率よくパフォーマンスを上げやすい時代になった」という 【写真:西尾典文】
しかしその一方で、そういった目に見える数字を伸ばすことだけが、野球のすべてではない。大久保監督が強調するのは、状況における“考える力”の重要性だ。
「データを活用してより良いボールを投げる、ホームランやヒットを打つ確率を上げるというのも当然重要です。ただ、それだけを追い求めていても試合に勝てるわけではありません。例えば足の速いランナーが一塁にいて、ここからいろんな仕掛けができるのに初球を簡単に振ってアウトになってしまうとか、ランナー三塁の場面で、転がせば1点入るのに打ち上げてしまうとか、そういうことではベンチも困るんです。
ピッチャーも同じで、相手打者の特徴や置かれた状況を考えず、自分のベストボールを投げることだけにこだわっていては、抑えられるものも抑えられない。簡単に言えば状況判断になると思いますが、試合の中で今、自分が何をするべきかということをちゃんと理解し、実行できる力も必要です。打球速度の速いバッターばかりを並べても勝てないのが野球ですし、そこがこのスポーツの面白いところでもありますよね」
冒頭でも述べたが、大久保監督はアマチュア時代から名門と言われるチームでプレーし、プロの世界も経験している。そうしたキャリアの中で、いかにして現在のような柔軟な思考は養われたのだろうか。
「高校時代は土屋(恵三郎)監督にたくさんのことを叩き込まれましたし、すごく細かい野球をやっていたと思います。ところが大学に進むと、当時の前田(祐吉)監督は簡単に送りバントはしない、どんどんホームランを狙えという方だったんです。最近はだいぶ変わってきましたけど、あの時代(1990年代初頭)の大学野球でそういうスタイルだったのは慶応と高橋(昭雄)監督の東洋大くらいでしたね。
それに前田監督は、当時からピッチャーにはツーシームとか動くボールを投げろとよく言っていました。あの頃はいかにきれいな回転のボールを投げるかということばかり言われていましたけど、要は打ち取ればいいという考え方なんですね。特にスピードがあまりないピッチャーには、とにかくボールを動かせと。アメリカに遠征も行きましたし、そういうところでいろんな方法論を学び、実践していたんだと思います」
試合に勝つこと、良い結果を残すことが何よりも重要であり、そのために何をすべきかを考える。そうした思考は、学生時代にタイプの異なる2人の指導者に出会ったことで磨かれたと言えそうだ。