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効果的にパスを散らしてリズムを変えた遠藤航 “ラストミニッツ弾”が飛び出た劇的勝利に貢献

森昌利

フォレスト戦でベンチスタートとなった遠藤(中央)は、後半15分から出場。チームのリズムを変え、劇的な勝利を飾った一戦で存在感を見せた 【写真:REX/アフロ】

 3月2日(現地時間、以下同)のノッティンガム・フォレスト戦。過密日程に加え、怪我人続出で苦しい状況のリバプールは若手主体で臨み、なかなかゴールを奪えなかった。しかし、終了間際の劇的弾でついに均衡を破り1-0の勝利。後半15分に投入され、乗り切れないチームのリズムを変えた遠藤航は、価値ある勝ち点3をもたらした立役者の1人だ。

1984年から勝っていない鬼門のスタジアム

 試合が膠着(こうちゃく)して0-0で迎えた後半アディショナルタイム9分だった。表示された「8分」をすでに超過していた。ということはラストミニッツ+1分。そんな土壇場で決勝弾が飛び出した。

 この興奮はとてもじゃないが言葉で表現できない。それまで耐えに耐え、フラストレーションが溜まりに溜まり、それでも試合終了のホイッスルが鳴るまで味方の勝利を信じ続ける。その信心と絶望が交錯する刹那に愛するチームがゴールを奪った。

 体中の血が逆流するようなエクスタシー。目の前で奇跡が起こったかのような、本当に信じられないものを見たという喜び。フットボールの試合で試合終了間際の決勝ゴールほど劇的なものはないとあらためて実感した。

 3月2日にアウェーで行われたノッティンガム・フォレスト戦。リバプールはプレミアリーグが創設されてから、1979年、そして翌年の1980年に欧州チャンピオンズリーグの前身である欧州チャンピオンズカップを2年連続で制覇した古豪の本拠地でリーグ戦では勝ったことがなかった。

 フォレストが1990年代に弱体化して、今季を含めて7シーズンしかプレミアリーグで戦っておらず対戦自体が少ないこともある。しかし1992-93シーズンからこの日まで6回のチャンスがありながら、ザ・シティ・グラウンド(フォレストのホームスタジアム)での戦績は3分3敗。リーグ戦で最後にリバプールが勝ったのは、なんと1984年10月28日まで遡らなければならない。レッズにとってはまさに鬼門と言えるスタジアムだった。

 そんなネガティブな戦績に加え、リバプールは今年に入ってからエースのモハメド・サラーをはじめ、トレント・アレクサンダー=アーノルド、ディオゴ・ジョッタ、ドミニク・ソボスライ、ダルウィン・ヌニェス、カーティス・ジョーンズら主力に怪我人が続出している。さらにはこの相性が悪いスタジアムで戦うアウェー戦がここ11日間で4試合目。そこには6日前に120分の死闘を繰り広げたリーグ杯決勝も含まれていた。

 ユルゲン・クロップ監督はこの過密日程の間、試合と試合の合間は「回復に充てるだけでトレーニングもできなかった」と話していた。

 それどころか、前戦のFA杯5回戦では完全に選手が足りなくなった。クロップ監督はGKクィービーン・ケレハー(62番)をはじめ、右センターバックのジャレル・クアンサー(78番)、右サイドバックのコナー・ブラッドリー(84番)、右MFボビー・クラーク(42番)、左MFジェームズ・マコーネル(53番)、左FWルイス・クーマス(67番)と、40番以上の重い背番号を背負った6人の若手選手を先発メンバーとして送り出した。

 しかも遠藤航はリーグ杯決勝で左足首を捻り完全欠場。アレクシス・マック・アリスターは疲労困憊で後半17分までお休み。中盤中央のアンカーはDFのジョー・ゴメスが務め、スターティングイレブンの中で完全なる先発レギュラーと言える選手は主将のフィルジル・ファン・ダイク1人だけだった。

 しかしそれでもこの試合で18歳のFWクーマスが先制ゴール。後半18分にサブ出場した、これまた18歳FWのジェイデン・ダンズ(無論のこと、この選手の背番号も76と重い)が2点を追加して、今季チャンピオンシップ(英2部リーグ)に降格したとはいえ、最近好調の難敵サウサンプトンを相手に3-0で勝利を飾った。

 けれども、相性の悪いフォレスト・アウェーの直前、リバプールのチーム状況はどん底と言っていいものだったことは変わらない。

遠藤とマック・アリスターのW司令塔が攻撃のリズムを生み出す

なかなかゴールを割れなかったリバプールだが、途中出場のヌニェスが終了間際に値千金弾! 鬼門のスタジアムで貴重な勝ち点3を奪い、首位の座を守った 【写真:ロイター/アフロ】

「もしも12日前に4連勝できるかと聞かれたら“不可能だ”と答えていただろう」

 56歳ドイツ人闘将も試合後そう語った。幸い足首の怪我が軽傷だった遠藤が復帰し、長い故障者リストからソボスライとヌニェスの2名が戦列に戻ったが、3人ともベンチスタート。3トップの右サイドは4試合連続で20歳MFのハーヴェイ・エリオットがサラーの代役となり、2試合連続でゴメスがアンカーを務めた。

「前半は良くなかった。良いリズムが生まれなかった。守備に重心がかかり、前に出る力が足りなかった」

 クロップ監督は見せ場が生まれず、逆にカウンターで相手がチャンスを作った前半をそう振り返ったが、それも無理はない。アンカーのゴメスは守備は無難にこなしたが、攻撃の起点となるパスを放つことはなかった。確かに急造のNO.6に対してそこまで注文するのは酷な話ではあるが、本来はDFであるゴメスが中盤の底でボールを捌ききれず、それがチームが乗れなかった要因の一つでもあった。

 さらに左インサイドハーフで先発した19歳MFのクラークが封じ込められ、1トップのコーディー・ガクポが孤立した。

 しかし、控え選手で構成した先発イレブンにはこういう問題はつきものだ。ほんのわずかな差ではあるが、真剣勝負の試合勘――マッチフィットがレギュラー陣との比較で欠け、ギアが切り替わらず、相手を凌駕(りょうが)するようないつものリバプールの速いテンポが生まれなかった。

 そうした展開で後半15分、クロップ監督が早めに動いた。遠藤とヌニェスを送り出した。センターラインの強化を図ったのは明らかだった。

「ダブルボランチ気味にやろうと声をかけました」

 ピッチに入った瞬間、遠藤がマック・アリスターの耳元で何かを囁いた。試合後、日本代表主将は今季からリバプールの10番を背負う25歳MFに「そう伝えた」と明かした。その言葉のとおり、遠藤は中盤の底でアルゼンチン代表MFとコンビを組み、引いた相手に対して今季のリバプールの中盤を新たに支える2人が20~30メートルのスルーパスを効果的に散らせて、前半に足りなかった攻撃のリズムを生み出した。

 この2人の司令塔は見応えがあった。遠藤は左サイドに張り出したディアスに放射線状のいいスルーパスを通した。またマック・アリスターはヌニェスを標的にしてハイボールのスルーパスを送り、さらにダイレクトにゴールを狙った。

 このアルゼンチン代表MFの試みが決勝点に結びついた。

 後半アディショナルタイム9分、マック・アリスターが左足で左前方にいたヌニェス目掛けて放った絶妙なボールに、相手DFに挟まれながらも187センチの長身FWが頭をこすりつけて、リバプールのシュートを阻み続けたフォレスト・ゴールの左隅に流し込んだ。

 試合の終盤、フォレストのサポーターはヌニェスに「お前は劣化したアンディ・キャロル!」とチャントを浴びせ続けていた。

 クロップ監督は言った。「ああ、聞こえていたよ。あのようなチャントを黙らせるには、今日のダルウィンのようにやるのがベストだ。彼があのチャントの意味を理解していたかって? きっと分かっていただろう。私ならあんなふうにダルウィンを怒らせるようなことは決してしない」と。

 アンディ・キャロルといえば、2011年1月、当時の英国人として史上最高額となった移籍金3500万ポンド(現在のレートで約67億9000万円)でリバプールに移籍してきたFW。この2010-11シーズンにプレミアリーグに昇格したばかりのニューカッスルでリーグ戦19試合に出場し、半年で11ゴールを奪取した。この活躍でイングランド代表にも招集された。しかしリバプールでは44試合のリーグ戦で6ゴールしか奪えず、わずか1年半後の2012年夏にウェストハムにレンタル移籍すると、翌2013-14シーズンに完全移籍した。

 つまりヌニェスは、リバプール史上に残る超期待外れの選手より格下と揶揄(やゆ)され、挑発されたのだ。

 確かに24歳FWには、キャロルと同様、高額選手としてリバプールに移籍したが思うようにゴールが決まらないという側面もある。フォレスト・サポーターはそんなヌニェスの事実を突いて気分を腐らせようとした。ところが逆に気性の激しい南米ウルグアイ代表FWの負けん気に火を付け、劇的な決勝ゴールを許してしまったのである。

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著者プロフィール

1962年3月24日福岡県生まれ。1993年に英国人女性と結婚して英国に移住し、1998年からサッカーの取材を開始。2001年、日本代表FW西澤明訓がボルトンに移籍したことを契機にプレミアリーグの取材を始め、2023-24で23シーズン目。サッカーの母国イングランドの「フットボール」の興奮と情熱を在住歴トータル28年の現地感覚で伝える。大のビートルズ・ファンで、1960・70年代の英国ロックにも詳しい。

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