三原舞依・単独インタビュー「まだまだトップで戦っていきたい」 世界観を表現できた、5回目の四大陸選手権

沢田聡子

感謝の思いをプログラムで表現したい

フリー『ジュピター』ではジャンプのミスもあったものの、壮大な音楽を表現 【写真は共同】

――来シーズンのプログラムがもし決まっていましたら、お話しできる範囲でお聞かせください

 全然決めていなくて、「まだ考えないかな」という感じです。体も心もしっかり元気になって、ちゃんとした思考ができるようになってから考えていけたらいいんじゃないかな、と思っています。まず今回の四大陸選手権での反省をしっかり頭にたたき込んで、さらに強くなっていけるようにしたいなと。

――三原さんにとって、今回の四大陸選手権で得たのはどんなことでしょうか?

 今回で5度目の四大陸選手権なのですが、やっぱり初出場した7年前とは、本当に全然違う感情や状態で臨むことができました。初めて出た四大陸選手権が何年も前だったということに、すごく驚きが大きいです。7年後も四大陸に出られるとはその当時は全然考えていなかったので、(当時の自分にとっては)けっこうびっくりすることなんじゃないかなと思います。「まだまだトップで戦っていきたい」という思いも強いので、さらにスケート人生を濃くしていけるように過ごしていけたらなと今は思っています。

――これから目指されるスケーター像を教えてください

 今回ジャンプは決まらなかったのですが、他のコレオシークエンスやステップの部分で、気持ちをすごく表に出して世界観を表現できたのかなと思うので。そこにまたジャンプをしっかり戻して、フリーだったら4分間、ショートだったら2分50秒、「あっという間だな」と思ってもらえるような演技をしたいです。やっぱりたくさんの方々からのサポートのおかげでこうしてスケートを続けられているので、その感謝の思いをプログラムで、また全身で表現できるようなスケーターになっていけたらなと思っています。

――上海は初めてということですが、これから何か楽しむ予定はありますか

 どこか行けたらいいんですけど(笑)。試合も終えたので、日本代表として、アイスダンスと男子の応援を全力で、本当に力が残っていないというぐらい、パワーを送り尽くして日本に帰りたいなと思っているので。もし時間があったら、どこかお散歩に行ってみたいなと思っています。まだホテルと会場しか行けていないので「どこか行けたらいいなあ」とは思いつつ、でも応援したいので、今は応援するためのチャージをしているところです。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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