選手権0勝も、多くのJリーガーを輩出 興國・内野智章前監督が目指した指導法とは?
従来の高校年代の指導者像を覆すスタイル
独特のスタイル、指導法で古橋ら多くのプロ選手を育ててきた 【内野氏提供】
「YouTubeに出ていたのは、自分が有名になりたいわけではなく、少しでも僕らのやっていることを理解してもらい、一緒にやってくれる生徒(選手)を増やしたかったからです。それに僕は26歳で興國高の監督になりましたが、一般的に高校サッカーの監督ってなんか偉そうに見えません?(笑) そうしたことは強豪校になればなるほど顕著で、生徒や親御さん、学校からも尊ばれて、絶対的な存在になってしまっているというか。そうしたイメージは崩したいと思っていました。一方で、最近は“パワハラ”という言葉が1人歩きしていて問題があっても指摘できないような風潮もありますが、それは違うような気もしていて、ピッチ内では厳しいこともバンバン言っていましたけどね」
興國高が他の高校と異なるという点では、09年以降は修学旅行をかねて毎年スペインなどへの欧州遠征を実施したこと。現地での試合観戦のほか、育成現場の視察を重ねてきた(新型コロナウイルス流行時は実施できない年もあった)。そんな経験は、内野氏の指導法にも影響を与えた。
「海外の育成現場を見られたのはいい勉強になりましたし、一番の衝撃はバルセロナのユース世代の試合を見たときでした。試合が劣勢な状況下、中心選手と監督が口論になりお互いにヒートアップして、その声はスタンドまで響いていました。ただ、その後逆転勝ちすると、何事もなかったかのように2人は肩を組んでロッカールームに帰っていきました。日本の高校年代では考えられないような風景ですが、お互いにリスペクトがあるからこそ成立するものだとも思いました。
日本の高校生は監督にきちんと挨拶するし、敬語も使う。でも、それは表面的で形式的なようにも思います。スペインでの選手と監督のやり取りを目の当たりにしたことで、選手(生徒)との関係やコミュニケーションの取り方をより深く考えるようになりました。もちろん監督として言わなければいけないことはトップダウン的に言いますが、ピッチを離れたら(上から目線ではなく)普通にコミュニケーションを取ればいい。さじ加減は難しいですが、チームを率いるうえでトップダウンとボトムアップのミックスの重要性は意識するようになりました」
勝つこと以上にこだわった、戦い方や勝ち方
内野氏は23年6月で監督職からは退いたが、約19年の指導者生活をどう振り返るのか。
「育成の部分では、これほど多くのJリーガーが出るとは思っていませんでした。ただ、継続的に選手を獲得することや結果については想像以上に難しかったですね。古橋が日本代表になって、2020年度卒業の樺山諒乃介(現サガン鳥栖)が高卒1年目に横浜F・マリノスでJ1のリーグ開幕のスタメンに抜擢されるなどインパクトのある成果があっても、やっぱりいい選手の多くはJクラブに行ってしまいましたから。(苦笑) まだ、青森山田高に行って選手権優勝を目指すというならわかりますが……。もちろん、最近はJクラブの誘いを断って、興國高に来てくれる選手も増えてはいたんですけどね。
結果については勝つことだけを考えたら、もう少し勝率を上げる方法はあったと思います。ただ、戦い方としてボールを大事にし、リスクを恐れないサッカーを目指していたので仕方ありません」
サッカー選手としてのゴールが高校選手権ではないからこそ、その先を見据えての指導法だったのだろう。では、高校年代の指導者だった内野氏にとって選手権とはどんなものだったのか。
「高校3年間の通過点での目標であることに変わりません。チーム作りとしての1年は、やはりそこで完結しますから。決して負けていいとは思っていませんでしたし、自分たちの理想を追求しながらも、結果にはこだわってきました。負けてもいいという状態では、選手はうまくならない。ただ、全力で勝ちにいきながら、何が何でも勝利ではなく、その勝ち方にはこだわってきたということです」
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