J2王者・町田が歩んだ知られざる歴史 乗り越えた深刻な危機と、J1につないだバトン

大島和人

市民として町田市に働きかける

12年のJリーグ初年度はメインスタンドが改装中だった 【(C)J.LEAGUE】

 町田市立陸上競技場(現町田GIONスタジアム)をJリーグが認めるレベルに改装するためには、行政を動かす必要があった。そこで石黒は署名活動をスタートさせる。

「署名活動は2010年から11年初めにかけてやって、5万筆を集めました。署名請願を出したのは11年の2月です。単なる陳情でなく(議会の議決に結びつく)請願にして、議会にかけてもらいました。最初は建設常任委員会で採択してもらい、さらに本議会に上げてもらって『ゼルビアを支援します』という採択をもらったわけです」

 この時点で具体的な設計が詰まっていたわけではなく、Jリーグ側との合意も取れていたわけでもない。ただし請願とゼルビア支援に関する採決は「予算化」「本設計」の前段階として、市や議会の動きに弾みをつける民主主義の重要なステップだった。

 辛うじてJリーグの同意、町田市の予算化が間に合い、ゼルビアは2011年のJリーグ入会審査を通過した。公式戦を開催するレベルに達していなかった施設面は、メインスタンドを封鎖し「仮設メディア棟」を一時的に使用する荒業でしのいだ。チームもJFLのリーグ戦を3位で終え、翌年のJ2昇格が認められた。

 練習場も2011年の6月に、小野路グラウンドの人工芝化が完了した。クラブハウスは一般市民との共用で、2階は年配の男女が「俳句教室」をやっているような環境だった。練習用具やウエア、スパイクは持ち帰る必要があり、今の練習環境とは雲泥の差だった。ただともかくシャワー、ロッカー付きの施設が整った。

 小野路の人工芝化は、津田が「固定の場所ができたのはすごく大きくかった。クラブとして少し成長できたなと感じました」と振り返る大切な区切りだった。彼はチームをJリーグまで引き上げ、2012年限りで引退した。町田育ちのベテランが、昇格を手土産に引退する経緯は今季の太田宏介と重なる。

 青山学院大のMBAコースを修了して英語も堪能な彼は、30歳からビジネスの世界に入り、今も化学メーカーJSRに勤務している。彼は引退当時の思いをこう述べる。

「僕の中ではやり切った思いが強かったです。2005年にゼルビアへ入ったときには、僕の中で『地元にJリーグチームを作る』という目的しかなかったんです。J1・J2で4年間やって通用しなくてクビになって、そこから『自分には何ができるんだろう』と色々考えたとき、地元の想いを持ったメンバーに協力しようと決めた。だから町田にJ2のチームが作れて、まったく悔いなく現役を引退しました」

徐々に進化した環境

中島はゼルビアの進化を体感してきた 【(C)FCMZ】

 その後もクラブには様々な困難があった。晴れのJリーグ初年度はJ2最下位で、JFLに後戻りすることになった。2016年のJ2再昇格後も、2018年のJ2は首位争いの快進撃を見せつつ、J1ライセンスを得られなかった。

 在籍8シーズン目の中島裕希はこう振り返る。

「自分たちの結果で、環境を変えていこう。当時はそう言葉にして、そういう思いを持ってプレーしていました」

 ゼルビアの奮闘を見て、その可能性に懸けようという強力なオーナーが現れた。市民クラブは2018年にサイバーエージェントの傘下に入る。2021年にはバックスタンドの改装が完了し、スタジアムがJ1規格となった。2022年には天然芝ピッチ2面とクラブハウスが完備した三輪緑山ベースも完成。そして2023年、黒田剛新監督のもとでJ2を制した。

「環境が変わって、今年は終盤戦にかけてサポーターの数も増えたし、すべてが目に見えて変わってきました」(中島)

 手作りで運営していた時代の良さや、地域密着の姿勢が薄れることに対する危惧を持つ人もいるだろう。これについて守屋は述べる。

「以前は株主が三百何十人といて、皆でお神輿を担ぐような体制でした。だけどその体制でここまで来られるかと言ったら無理でしょう。しっかりとした資本が入ってくれて、私は良かったと思います。『地域のためのクラブだよ』と(オーナーが)分かってくれていればまったく問題ありません」

 町田は1970年代から「少年サッカーの街」として知られていた。ただ、この街のサッカー好きは東京ヴェルディ、横浜F・マリノスといった『オリジナル10』を応援する例が多かった。町田市の有望選手も藤田譲瑠チマ(シント=トロイデンVV)のように、ヴェルディなど他クラブのアカデミーに進む例が多い。

 しかし今年は観客が急増し、29日のツエーゲン金沢戦は11181人の来場者がゼルビアブルーでスタンドを染めていた。野津田の応援エリアを見ると、物心ついたときから町田にJクラブがあったような『ゼルビア・ネイティブ』の世代も増えている。

クラブと町田のこれから

ゼルビアは「バトン」をつなげてJ1にたどり着いた 【(C)FCMZ】

 守屋たちの強い願いは「町田の少年少女に夢を与える」ことだった。ゼルビアは大企業の支援も得て、目的の達成に近づこうとしている。

「少年サッカーの街から、本当のサッカーの街になったなと思う」

 青く染まった賑わいの中で、守屋は満足そうな表情を浮かべながら、そう口にしていた。

 津田は未来への期待をこう述べる。

「まず地元に愛されるクラブ。あとは当初から言っていた『町田から世界へ』ですね。ここからはアジアもあるし、クラブワールドカップもある。今そういう話をしたら笑われるかもしれないけれども、我々も『Jリーグに上がる?笑わせるな』と言われたところからJ1に来ています。やっぱり『想い』だと思います。人々の強い想いが他の人も動かすし、自分たちも奮い立たせる。強い想いを引き継いでくれる人がいる限りは、そこまで行けると思っています」

 監督、選手、フロントスタッフ、そしてサポーターとボランティア……。このクラブは様々な人が想いを捨てず、助け合い、相次ぐ試練を乗り越えてきた。何とかバトンをつないできたからこそ、手作りの小さなクラブがJ1にたどり着いた。ゼルビアはJ1昇格で、より高い吸引力を持つクラブとなる。少年少女に夢を与え、市民の宝となり、街の価値を上げる――。J2制覇はそんな夢を実現するための、大切なステップだった。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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