野球ヲタ、投手コーチになる。 元プロ監督と元生物部学生コーチの京大野球部革命

京大野球部の歴史を動かすことになった決断 「1番・センター」大川の起用で秋のリーグ戦9試合目にして初勝利

菊地高弘

関西学生野球春季リーグの近大戦で力投する京大の水江日々生投手 【写真は共同】

 最下位が定位置の京大野球部に2人の革命児が現れた。1人は元ソフトバンクホークス投手の鉄道マン・近田怜王。もう1人は灘高校生物研究部出身の野球ヲタ・三原大知。さらには、医学部からプロ入りする規格外の男、公認会計士の資格を持つクセスゴバットマン、捕手とアンダースロー投手の二刀流など……超個性的メンバーが「京大旋風」を巻き起こす!

 甲子園スターも野球推薦もゼロの難関大野球部が贈る青春奮闘記。菊地高弘著『野球ヲタ、投手コーチになる。 元プロ監督と元生物部学生コーチの京大野球部革命』から、一部抜粋して公開します。

にわか仕込みのスイッチ転向

「右で打てるなら、試合に出すよ」

 近田怜王は3回生の外野手・大川琳久にそう告げた。絶対的レギュラーだった山縣薫が引退し、中心打者の期待をかけた2回生の西村洪惇も故障離脱。外野手のコマが足りないなか、近田が目をつけたのは強肩強打の大川だった。

 大川は関西学院大との1回戦で西隼人から2ラン本塁打を放つなど、急成長を見せていた。だが、右投左打の大川は左投手に対して「アウトコースが遠くに見えて、ストライクゾーンがはっきりわからなくなる」と大の苦手にしていた。最終節で対戦する近畿大は久保玲司、大石晨慈、森本昂佑、寺沢孝多と左投手が多かった。ライトとして併用していた3回生の小田雅貴も0割台の低打率に終始しており、近田は大川の潜在能力に賭かけたのだった。

 大川は済々黌高校出身。済々黌は熊本でもっとも歴史の古い高校で、野球部は1958年春のセンバツで優勝した実績がある。2012年夏、2013年春にもエース・大竹耕太郎(阪神)を擁して甲子園に出場しており、文武両道がアイデンティティーになっている。

 高校時代の大川はチーム内で2番手格の投手で、学業面は理系科目を得意としていた。野球部引退後は学習塾に通うことなく、不得意な国語、英語の文系科目を自習して京大農学部に現役合格している。済々黌の野球部員が京大に現役合格したのは初めての快挙で、教員や野球部関係者から手放しで称賛されたという。

 京大でも当初は投手としてプレーしていたが、高校3年時に痛めた右ヒジ痛が癒えず、2回生の6月から外野手に転向した。野手転向後、なかなか結果を残せない大川にとって、憧れの存在だったのが同じ外野手の山縣だった。

「山縣さんと絡みがない人からすると、怖い存在だと思うんです。でも、僕はご飯に誘ってもらったり、2人で何かをすることが多かったりして、よくしてもらっていました。バッティングのことをいろいろと教えてもらって、『山縣さんみたいになりたい』と憧れていました」

 秋のリーグ戦でセンター・山縣、ライト・大川の布陣で出場することもあったが、山縣のモチベーション低下を間近で感じ取り、話しかけづらくなった。優勝への思いが人一倍強いことを知っていただけに理解はできたが、「最後まで頑張ってほしい」というのが本音だった。

 近田からスイッチヒッターの提案を受けた大川は、近大戦までの約2週間を右打席の練習に費やした。左打席では足を上げてタイミングを取るのだが、右打席では「足を上げるとバランスが崩れて強い打球がいかない」とノーステップ打法を採用した。

 事実上の4回生の引退試合となった紅白戦には、右打者として出場した。4回生左腕・木村圭吾と対戦した1打席目に、いきなりセンター左を抜ける三塁打を放った。この瞬間、近田は「大川を次の近大戦で使おう」と決めた。

 10月15日、ほっともっとフィールド神戸での近大との1回戦、近田は大川を1番・センターで起用する。その決断が、京大野球部の歴史を動かすことになる。

エース・水江日々生の捲土重来

 秋の関西学生リーグは、三つ巴の優勝争いが繰り広げられていた。

 近畿大(7勝3敗)、関西大(7勝3敗)、同志社大(7勝4敗)の3チームが、残り1節を残して勝ち点3で並んでいた。近大は関大との3回戦に及ぶ死闘の末に勝ち点を奪っており、監督の田中秀昌は春夏連覇に向けて「京大に連勝して、関大にプレッシャーをかけたい」と意気込んでいた。逆に京大に1敗でもすれば、優勝が遠のくことを意味した。

 試合が始まって間もなく、近大ベンチはにわかにざわついた。

「大川ってスイッチなん?」

 関学大のエース右腕・西から左打席で本塁打を放ったシーンは、近大の選手たちにとっても印象的だった。だが、この日は近大先発の久保に対して、大川は右打席に入っている。大川は久保のボールをとらえ、レフトにフライを上げてアウトになった。

「左打席に立った時と全然違って、ボールがよく見えるな」

 アウトにはなったものの、大川は今までにない好感触を抱いた。何よりも、三振以外の結果が出たことが大川には「やっていけるな」と自信になった。

 京大の先発マウンドに上がったのは、エースの水江日々生である。秋のリーグ戦は0勝3敗と苦しんだ水江だったが、「立命くらいからマシになってきた」と復調気配があった。

 ブルペンでの水江の投球練習を見た三原大知は、「今シーズンで圧倒的に一番いいな」と評価した。球速は140キロ程度でもボールに強さがあり、制球も安定していた。

 シーズン最終節ということもあり、水江は「初回から全部三振を取ろうかな、というくらい飛ばした」とフルスロットルの投球を見せる。1番の梶田蓮、2番の勝田成と打撃力のある左打者を2者連続空振り三振に仕留めた。セカンドゴロに打ち取られた3番・坂下翔馬は「慎重にいかなアカンな」と危機感を強めた。

「絶対に三振しない梶田さんやバットに当てるのがうまい勝田が三振したので、『ちょっとヤバイな』という空気はありました。みんな『今日の水江はいいな』と感じたはずです」

 水江は近大の強打線を相手に、3回まで打者9人パーフェクトに抑えた。捕手の愛澤祐亮は、しみじみと水江という存在の大きさを実感していた。

「水江がマウンドにいる時はバッターを中心にリードできる。バッターの反応を見ながら、取りこぼしがないよう苦手なところを突いて、テンポよくピッチングが組み立てられる。テンポが単調にならないように、逆に間合いを空けて打ち気をそらしたり、少ない球数で簡単に2アウトを取ってからど真ん中でストライクを取って挑発したり。これが水江だよな」

 そんな水江をサポートするため、愛澤は「自分の役目はバッターと水江を勝負させないこと」と考えていた。強打者に対してあえて3~4球連続してストレートを要求し、水江に対する技巧派のイメージを逆手に取ることもあった。相手打者の脳内に、常に捕手である自分が介在するよう愛澤はリードを考え尽くしていた。

 京大は3回裏に最初のチャンスを迎える。先頭の7番・庄倫太郎、8番・愛澤が連打で出塁し、9番の水江が送りバントを決める。そして、右打席に大川が入った。

 大川はカウント1ボール、2ストライクと追い込まれたものの、前の打席で得た好感触はいまだに残っていた。「完全に当てにいった」という打球は、ファースト横へと飛んだ。この打球が強襲内野安打となり、三塁走者の庄だけでなく、二塁から愛澤までもが生還。京大が2点を先取し、今までにない滑り出しになった。

 水江の快投は続く。4回表に坂下に初ヒットを許すなどピンチは迎えるものの、要所を抑えて持ち味を発揮する。6回まで近大打線を被安打4、無失点に封じた。

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著者プロフィール

1982年生まれ、東京都育ち。野球専門誌『野球太郎』編集部員を経て、フリーの編集兼ライターに。元高校球児で、「野球部研究家」を自称。著書『野球部あるある』シリーズが好評発売中。アニメ『野球部あるある』(北陸朝日放送)もYouTubeで公開中。2018年春、『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)を上梓。

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