18歳で自身初の五輪切符を掴んだネイサン・チェン 高まる期待の中での苦悩と苛立ち
2018年平昌五輪を前にしたネイサン・チェン。当時18歳だった 【写真:松尾/アフロスポーツ】
北京五輪のフリーで5度の4回転ジャンプを決め金メダルを獲得したネイサン・チェン。その栄光の裏には、想像を絶する苦悩の日々、家族やチームとの絆があった。
トップスケーターが舞台裏を語り尽くす貴重な回顧録『ネイサン・チェン自伝 ワンジャンプ』から、一部抜粋して公開します。
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ファッションデザイナー・ベラとの出会い
周囲からメダル争いにからむと見られることをうれしく思っていなかったわけではない。ただ、その重圧とどう向き合えばいいのかがわからなかった。賞賛の声は、五輪というゴールが近づくほど、期待を裏切ってしまうのではないかという不安を増大させていった。自分のなかで、楽しみな気持ちが恐怖に変わりはじめていた。
おなじころ、ブリヂストン、コカ・コーラ、ケロッグ、ナイキ、のちにはユナイテッド航空など、大企業からスポンサーの話をもらえるようになった。こうした貴重な機会に恵まれたときは、2016年からエージェント業務を委託していたIMGのサエグサ・ユキ(三枝裕紀子)が窓口となって対応してくれた。ファッションデザイナーのベラ・ウォンに衣装を依頼するようになったのも、ユキがつないでくれたおかげだ。ベラは、自身も元フィギュアスケーターで、過去にはナンシー・ケリガン、ミシェル・クワン、エヴァン・ライサチェクらの代表作の衣装をデザインしている。
細心の注意を払い丁寧に制作された衣装
ベラがデザインした衣装で臨む初めての試合は、2018年1月開催の全米選手権になった。フリープログラム用の衣装はとてもコンテンポラリーなデザインだった。スタイリッシュな黒い生地に、背中には垂直方向にシルバーのジッパーが施されていた。ベラは経験上、フィギュアスケートの衣装で強度が必要になる箇所や、スピンやジャンプで生地がどういう動きをするかを完全に理解していた。これほどの質の高い衣装は初めてで、ベラとチームスタッフが1着1着に細心の注意を払い丁寧に制作してくれたことがありがたかった。ベラのスタジオにはサイズ測定のためにぼく専用のトルソーが置かれていたので、毎回試着に足を運ぶ必要がなかったことも大きな助けになった。