ネイサン・チェンが初めて明かす 金メダル獲得までの苦悩と栄光

18歳で自身初の五輪切符を掴んだネイサン・チェン 高まる期待の中での苦悩と苛立ち

ネイサン・チェン

2018年平昌五輪を前にしたネイサン・チェン。当時18歳だった 【写真:松尾/アフロスポーツ】

 ネイサン・チェンが初めて明かす 金メダル獲得までの苦悩と栄光――。

 北京五輪のフリーで5度の4回転ジャンプを決め金メダルを獲得したネイサン・チェン。その栄光の裏には、想像を絶する苦悩の日々、家族やチームとの絆があった。

 トップスケーターが舞台裏を語り尽くす貴重な回顧録『ネイサン・チェン自伝 ワンジャンプ』から、一部抜粋して公開します。

ファッションデザイナー・ベラとの出会い

 平昌オリンピックという大舞台をひかえた2017~18シーズンがはじまると、これまで経験のないプレッシャーを感じるようになった。前年の好成績から、ぼくはにわかにオリンピックのメダル候補、しかもときには金メダル候補として名前をあげられることが多くなっていた。ぼく自身は、自分は金メダルのチャンスがある多くの選手のひとりにすぎないと思っていた。ラフは平昌でのメダルは現実的だろうし、ひょっとしたら金メダルもあり得ると考えていた。ぼくのプログラムは、これまで誰も挑戦したことがないようなジャンプ構成だった。4回転の数だけではなく複数種類の4回転を組みこんでいたからだ。正確にいつかはわからないけれど、ぼくが「クワドキング」と呼ばれるようになったのは、このころからだと思う。ぼく自身は、おもしろいけど少し仰々しいような気もしていた。

 周囲からメダル争いにからむと見られることをうれしく思っていなかったわけではない。ただ、その重圧とどう向き合えばいいのかがわからなかった。賞賛の声は、五輪というゴールが近づくほど、期待を裏切ってしまうのではないかという不安を増大させていった。自分のなかで、楽しみな気持ちが恐怖に変わりはじめていた。

 おなじころ、ブリヂストン、コカ・コーラ、ケロッグ、ナイキ、のちにはユナイテッド航空など、大企業からスポンサーの話をもらえるようになった。こうした貴重な機会に恵まれたときは、2016年からエージェント業務を委託していたIMGのサエグサ・ユキ(三枝裕紀子)が窓口となって対応してくれた。ファッションデザイナーのベラ・ウォンに衣装を依頼するようになったのも、ユキがつないでくれたおかげだ。ベラは、自身も元フィギュアスケーターで、過去にはナンシー・ケリガン、ミシェル・クワン、エヴァン・ライサチェクらの代表作の衣装をデザインしている。

細心の注意を払い丁寧に制作された衣装

 ベラとは、ニューヨークで初めて会ってすぐに意気投合した。ベラが手掛けた衣装には以前から感嘆していたし、フィギュアスケートの衣装がどういうものかを熟知している人だと思っていた。耐久性があり、演技に必要な身体の動きを妨げないが、独創性があってプログラムの個性を象徴するデザイン。エヴァンにつくった衣装を数点見せてもらったが、どれもただただすばらしかった。ぼくのジュニア時代の衣装はほとんどが母の手製で、それ以後も何人かの衣装デザイナーに依頼したことがあったが、このレベルのデザインチームとの仕事は初めての経験だった。衣装の制作についてはベラに一任することにした。ぼくからの要望は着心地の良さだけ。ベラはぼくの考えを最優先すると請けあってくれた。

 ベラがデザインした衣装で臨む初めての試合は、2018年1月開催の全米選手権になった。フリープログラム用の衣装はとてもコンテンポラリーなデザインだった。スタイリッシュな黒い生地に、背中には垂直方向にシルバーのジッパーが施されていた。ベラは経験上、フィギュアスケートの衣装で強度が必要になる箇所や、スピンやジャンプで生地がどういう動きをするかを完全に理解していた。これほどの質の高い衣装は初めてで、ベラとチームスタッフが1着1着に細心の注意を払い丁寧に制作してくれたことがありがたかった。ベラのスタジオにはサイズ測定のためにぼく専用のトルソーが置かれていたので、毎回試着に足を運ぶ必要がなかったことも大きな助けになった。

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