18歳で自身初の五輪切符を掴んだネイサン・チェン 高まる期待の中での苦悩と苛立ち
注目の中で高まるプレッシャー
2018年1月の全米選手権で演技するネイサン・チェン。新たな衣装で臨んだ 【写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ】
直近の試合にどんな構成で臨むか話すことも好きではなかった。それなのに、誰もがどの4回転を何回組みこむ予定かをぼくに質問した。ジャンプの話をしたくないというのはラフもぼくとおなじだった。ラフはけっして秘密主義ではないが、ジャンプ構成については事前に明らかにするのを好まなかった。ほかの選手がその情報をもとに対策をとってくると考えていたからだ。
ぼくもしまいには学習して、ただ「わかりません。当日のお楽しみです」と答えることにした。注目が一身に集まることにも、それに付随してメディア対応をしなくてはいけないことにも、不安をおぼえた。リポーターたちはくりかえし五輪に向けての戦略についてたずね、なにかしら情報を引きだそうと、考えたこともないような質問でぼくの頭をいっぱいにした。五輪ではどんな気持ちになると思いますか? 初めての五輪でどのようにプレッシャーと向き合いますか? メディアからの質問で、自分は今たいへんなことに挑んでいるのだという思いがどんどん強くなっていった。
ひとりのときも、それらの質問がふいに頭に浮かんできて、こんどは自分で自分にくりかえし問いかけてしまう。「五輪はどんな感じなんだろう? どんな気持ちになるんだろう?」それがしだいに「どうしたらいいんだろう?」に変わり、チームのみんなをがっかりさせてしまわないかと心配になる。自分に大きな期待が寄せられていることはひしひし感じるのだが、ぼくはまだ世界選手権のメダルすら取っていないのだ。自分はその期待にこたえられるだけの力をもっているのだろうかと、疑問を感じるようにもなった。
ほんとうはそんなふうに心を乱してよけいなエネルギーを使ったりすべきではなかったのだ。練習にいい影響はなにもないし、トレーニングの助けにもならない。当時は、それがきちんと対処すべき問題だとは知らなかったし、もし知っていたとしてもその対処法までは知らなかった。ひたすら、期待の重さはすべてオリンピックのメダル候補とされる自分の責任の一部だと思っていた。不安が増すにつれ、練習でうまくいかないときにはリンクでいらいらすることが多くなった。
シーズンが進むにしたがって、ストレスを感じると感情をコントロールできなくなる悪い癖が出るようになっていた。リンクでは、たいてい数人の選手が同時に自分のプログラムの練習をする。ある選手の音楽がかかっているときは、ほかの選手は進路からはずれて、曲かけ中の選手が優先的にジャンプを跳んだりリンク全体を使ったりできるようにする暗黙の決まりがある。あるとき、曲かけ練習でジャンプの着氷がうまくいかずいらいらしていたところに、ラフのチームでいっしょに練習している友人で、チェコ代表のミハル・ブレジナが近くを通りすぎたのが目に入った。ジャンプがパンクしたぼくは、ミハルに向かって、邪魔されたせいで集中が切れたじゃないかとどなってしまった。実際はそんなことはなかったのに、ただの八つ当たりだ。自分が悪かったことはわかっていたので、ミハルにはあとから謝りに行った。ミハルはぼくの気持ちを理解してくれて、ぼくがシーズンがはじまってからずっとぴりぴりしているのはわかっているといった。
助けられた友人との気分転換
それでもあのシーズンは、試合に向けた準備のありとあらゆる場面に不安が入りこんできたことは否定できない。2017年のグランプリシリーズは、10月にモスクワで開催されるロステレコム杯と、その1か月後にニューヨーク州レイクプラシッドで開催されるスケートアメリカに出場が決まっていた。ロステレコム杯に向けた練習では、ジャンプをミスなく跳ぼうと何度挑んでも、転倒、転倒、転倒のくりかえしだった。
ラフのところに行き、自分でもなにが起きているのかわからないし、なにをどうやって修正すればいいのかもわからないと相談した。ラフからの助言を受けてそのとおりにやったのだが、それでも転倒してしまう。どうにか着氷した数本ですら渾身の力が必要で、ひとつの要素をこなすだけでこんなに力を使ってしまっては、いったいどうやってプログラム全体を力強く滑りきることができるだろうと途方に暮れた。ジャンプをつづけて成功させることで自信を深めていきたいのに、何度やっても不安定なままでそれができない。そしておなじ傾向が、この大事なシーズン中ずっとつづくことになった。