内海哲也『プライド 史上4人目、連続最多勝左腕のマウンド人生』

内海哲也が振り返る「メークレジェンド」と「ニセ侍」 原監督の下でエースを張った男の思い

内海哲也

【写真は共同】

 巨人、西武の投手として19年の現役生活を終え、2022年に引退した内海哲也。「自称・普通の投手」を支え続けたのは「球は遅いけど本格派」だという矜持だった。2003年の入団後、圧倒的努力で巨人のエースに上り詰め、金田正一、鈴木啓示、山本昌……レジェンド左腕に並ぶ連続最多勝の偉業を達成。

 6度のリーグ優勝、2度の日本一、09年のWBCでは世界一も経験するなど順調すぎるキャリアを重ねたが、まさかの人的補償で西武へ移籍。失意の中、ある先輩から掛けられた言葉が内海を奮い立たせていた。内海は何を想い、マウンドに挑み続けたのか。今初めて明かされる。内海哲也著『プライド 史上4人目、連続最多勝左腕のマウンド人生』から、一部抜粋して公開します。

すべてがうまくいった「メークレジェンド」

 2008年のジャイアンツと言えば、「メークレジェンド」です。

 この年は阪神が前半戦から独走し、オールスター前の7月22日に優勝マジック46を点灯させました。
 対して、ジャイアンツはシーズン序盤につまずいたものの6月以降に立て直し、9月には引き分けをはさんで12連勝。やることなすことすべてがうまく行き、後半戦は負ける感じがまったくしなかったです。当時26歳だった僕はチームの中で〝中堅〞にはまだ行っていないくらいの立場で、「めちゃくちゃ強いな」と味方を頼もしく感じていました。
 阪神をものすごい勢いで追い上げて、10月6日時点で81勝56敗3分で同率首位となります。その2日後、直接対決が東京ドームで行われました。

 両チームにとって大事な〝伝統の一戦〞で、僕に先発の機会が回ってきました。本当に緊張して登板を迎えた一方、「今日は勝つだろう」という安心感のようなものがありました。それほどジャイアンツは勢いに乗っていたからです。

 試合は3回裏に李承燁の2点タイムリーで先制。先発した僕は6回途中まで自責点1に抑えて交代。リリーフの山口鉄也、豊田清さん、マーク・クルーンがリードを守り切って勝ちました。
 この日で阪神戦7連勝を飾ったジャイアンツは単独首位に浮上し、マジック2が点灯します。10月10日のヤクルト戦に勝利し、阪神が横浜に敗れたことで、2年連続32回目のリーグ制覇が決まりました。最大13ゲーム差をひっくり返す快進撃で「メークレジェンド」と言われました。

 前年に敗退したCSを突破し、日本シリーズでは埼玉西武ライオンズと対戦しました。CSではものすごいプレッシャーを感じていたと前述しましたが、同じ短期決戦でも日本シリーズは〝お祭り〞という位置づけです。あくまで個人的な感覚ですが、1年間戦ってきた〝ご褒美〞として挑んでいました。

「よし、セ・リーグのチャンピオンになったから、それを盾に勝負しにいこう」

 僕は第3戦に先発し、6回途中まで3失点に抑えて勝利投手になりました。第7戦で再び先発マウンドが回ってきて、同じく6回途中までを1失点に抑えて降板。残念ながらその後に逆転されて日本一は逃しました。

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