“あのエラー”で知った野球の怖さ 失意のセンバツから報徳学園・岩本は再び立ち上がる

沢井史

あのエラーで「初めて野球が嫌に」

岩本のエラーで追いつかれた報徳学園だが、タイブレークを制してサヨナラ勝ち。この試合、サヨナラ機で三振も喫した岩本は「初めて野球が嫌になった」という 【写真は共同】

 3-1と2点リードで迎えた9回表の守備。2死一塁から代打・永田一心の打った打球がセンター方向へ上がった。

 定位置より後ろに守っていた岩本が、慌てて前へ駆け出す。

「打球が飛んだ瞬間、"これは絶対に取れない"って思って慌てて走りました。ボールが黒くて、空と被ってすごく見づらかったのもありましたが、後で動画を見たら、打球がすごく前に落ちていて……」

 落下点を通り過ぎたセンター前方に、打球が落ちた。記録はセンターのエラーとなり、一塁走者が生還して1点差に迫られた。ライトとレフトからの照明がやや重なり気味であったとも、当時、岩本は話している。グラウンドが他部活との共用の兼ね合いでナイターの外野ノックがあまりできない環境にある報徳学園とはいえ、あまり見たことがないミスだった。

 その後4番・斎藤陽の適時打で同点とされると、9回裏の報徳学園の攻撃が無得点となり、東邦戦に続いてタイブレークの延長戦に突入する。

 普段は強気な岩本のメンタルが、あの場面を機に徐々に崩れていく。

「正直(自分の姿を晒したくなくて)、守備が終わってもベンチから出たくなくて」

 入学時、あれだけ自信を持って挑んできたはずの心が何度も折れそうになった。

 両校1点ずつを取り合い4-4で迎えた10回裏、サヨナラのチャンスに打席が回ってきた。“名誉挽回のチャンス”と岩本のひと振りに期待するスタンドの熱気があった。だが、実際の岩本の心境は違っていた。

「(ネクストバッターズサークルで)二、三塁のチャンスでの田村(琉樹)を見ながら、頼むから田村決めてくれって(苦笑)。それしか考えていなかったです」

 だが、田村は四球を選んだ。1死満塁とチャンスは膨れ上がり、岩本は打席に向かった。

「そもそも調子はあまり良くなかったですし、あの時の自分に満塁って……っていう気持ちがありました。もう、不調から絶不調になってしまった感じです」

 結果は空振り三振。ため息交じりのスタンドをよそに、岩本の心は硬直したままだった。

「小学1年で野球を始めて、初めて野球が嫌になりました」

 直後に2番・山増達也がタイムリーを放ち、劇的な展開でサヨナラ勝ち。勢いのままにチームは準優勝を果たしたが、岩本の心には大きな傷が残った。

最後の夏は自分なりにやる、ひたむきに

 センバツ後に行われた春の県大会は主に1番、2番を任され、マルチ安打を放った試合もあったが、5月末に足を負傷。春の近畿大会ではベンチを外れた。スタンドから試合を見つめるのは1年の春以来。100人を超える部員が所属する報徳学園では、レギュラー争いが夏を前にさらに熾(し)烈になる。自分の代わりに出場する選手を眺めると「どうせ自分なんて……」と、ソッポを向きたくなることもあった。

 6月の練習試合でもベンチから試合を眺める日々が続いた。センバツから、浮上のきっかけをつかめないまま今に至り、指導陣からも厳しい指摘を受けることもある。だが、時間が経ち、センバツの経験を今は冷静に振り返られるようになった。

「今思うと……センバツで本当の甲子園の厳しさを知ることができたと思います」

 自分はできる、自分は大丈夫、と言い聞かせるだけでは結果は残せない。そこに裏付けられる努力、やってきたという自負が必要だ。

「夏は、打つ、走る、守る、全部……自分なりにちゃんとやれるようにしたいです。誰かのために頑張るのも大事ですけれど、自分は誰かのためにやろうとすると、どうしても抱え込んでしまうんです。去年のように、ひたむきにやって(堀)柊那や(石野)蓮授につないでいけたらと思います」

 最後の夏も何が起こるか分からない。それでも、自主練習なども含め、最善の準備を限られた時間の中で入念にこなす。

 3年生の意地は夏に勝ち上がるためには必要不可欠だ。集大成となる舞台で意地を出し尽くし、春夏連続の聖地へ弾みをつける。

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著者プロフィール

大阪市在住。『報知高校野球』をはじめ『ホームラン』『ベースボールマガジン』などに寄稿。西日本、北信越を中心に取材活動を続けている。

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