中村俊輔が憧れた2人の“10番” J30周年MVP遠藤に「俺は納得いかない」発言の真意とは
数々のゴールを生み出した、左足でのフリーキック 【(C)J.LEAGUE】
5月15日に行われた、「J30ベストアウォーズ」。
人生の半分以上をプロサッカー選手として過ごし、この30年で唯一、Jリーグ年間MVPを2度獲得する偉業を成し遂げた中村だが、決してその功績に奢ることはない。
日本代表で長い間10番も担った稀代のファンタジスタが、Jリーグで過ごした19年の思い出を振り返る。
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中村俊輔が憧れた“世界のファンタジスタ”
ありがとうございます。
小学生の頃から父親に三ツ沢に連れられて、日本リーグ(JSL)の試合を見に行っていました。読売クラブにはカズさん(三浦知良)、ラモス瑠偉さん、日産自動車には木村和司さん、井原正巳さんがいて、読売と日産のライバル関係がすごく熱かったのを子どもながらに覚えています。
アウォーズ終了直後、受賞の率直な思いを語る中村俊輔氏 【スポーツナビ】
ーー先ほどの受賞セレモニーでは、遠藤保仁選手のMVP受賞に対して「納得してない」とコメントしていましたが。
ヤットのMVPに異論がある? そんなわけないじゃないですか(笑)。ヤットはずっと日本でプレーしていて、今も現役選手としてJリーグを盛り上げてくれていますから。ただ、Jリーグができる前から日本サッカーを支えてくださった方々が、そういう賞にふさわしいんじゃないかと。
30周年のMVPに輝いた遠藤は戦友であり、永遠のライバル 【Photo by SNS Group via Getty Images】
ピクシーさん(ストイコビッチ)です。
ーー即答ですね(笑)
テクニックはもちろん、ボールを持っていなくても、チームを勝つ集団にしていく術を持っているというか。例えば、勝っている時のコーナーキックでも、コーナーまで走って、相手が休む隙を与えない。ゲームの勝ち方を知っていて、ピッチ全体を1人で操れる。自分が求めているものを持っていたのが、ストイコビッチさんです。オールスターでも(EASTとWESTで)逆のチームだったので、一緒のチームでプレーできなかったのは残念でした。
木村和司さんのフリーキックに憧れた
まずは1993年のJリーグ開幕戦ですかね。当時はマリノスのジュニアユースに入ってたので、ヴェルディ川崎と横浜マリノスの開幕戦のチケットをもらえたんです。この試合のチケットは、今でも大事にとってあります。
当時、自分はまだ中学生だったので、プロになるのがどういうことか、しっかりとイメージできていたわけではありません。ただ、サッカーでご飯が食べられるなんて夢のようだなと漠然ととらえていました。
あとは、松さん(松田直樹)が亡くなった直後のアウェイの柏レイソル戦です。ずっと“無”の状態でプレーしていたというか、内容自体はあまり覚えていません。後にも先にも、ああいうメンタリティで臨んだ試合はなかったです。
先日も、横浜FCのコーチとして日立台(三協フロンテア柏スタジアム)に行きましたが、あそこに行くといまだにその試合のことを思い出します。
「“無”の状態でプレーしていた」と振り返る2011年8月6日の柏戦 【hoto by Masterpress/Getty Images】
自主練ですね。午前練習が終わったあと、午後に練習場に行って誰もいないグラウンドで、フリーキックを蹴ったり、ドリブルをしたり、1人だけでサッカーをする時間が好きだったんです。全体練習以外で選手がボールを蹴るのを嫌がる監督もいたんですけれど……、そういう時は監督にバレないようにこっそりやっていました(笑)。
ーージュニアユース時代に「Jリーグ開幕時に横浜マリノス10番だった木村和司さんに憧れている」と話されていましたが。
練習場で和司さんのフリーキックを見た時に、「こんなに曲がって落ちるんだ」と衝撃を受けました。あんなボールが蹴られるようになりたいなと。Jリーグにはジーコさん(元鹿島アントラーズ)とか、エドゥーさん(元横浜フリューゲルス)とか、すごいフリーキッカーがたくさんいて、お手本にしていました。