中村俊輔が憧れた2人の“10番” J30周年MVP遠藤に「俺は納得いかない」発言の真意とは
MVPをとれた理由は……「運」
MVPは“運”の要素もあります。
チームの結果は悪かったけれど、個人としてのパフォーマンスはよかったというシーズンもあります。MVPは基本的には優勝したチームから選ばれることが多いので、自分のパフォーマンスとチームの結果がガッチリとハマった時にもらえるものだと思っています。
1人じゃサッカーはできないですし、メンバーの巡り合わせ、他のチームとの力関係もある。そういう意味では、2000年と2013年は運がよかったなと。
逆に、ワーストシーズンを挙げるとすれば残留争いをしてしまった2001年です。自分よがりのプレーをしたり、味方に横柄な態度で要求してしまったりして……。苦しかったですね、選手としても人間としても。
ーーベストゴール賞のフリーキック部門では、2016年のガンバ大阪戦のゴールが選ばれました。J1歴代最多のフリーキックからのゴール数を誇る俊輔さんですが、あのゴールを振り返っていただけますか?
僕のフリーキックは、「質より量」って感じなので(笑)。どのゴールが好きかは見る人に決めてもらえばよいのですが、あれは難易度としてはちょっと高かったのは事実です。
あの試合は吹田スタジアム(パナソニックスタジアム吹田)のこけら落としで、ピッチが張ってから時間が経っていなくて、芝生がしっかりと根付いていなかったんです。確か、あのゴールの10分前くらいにもフリーキックがあって、人生で初めてキックしようとして足を滑らせて転んだんです。
本来の蹴り方は軸足をグッと踏み込むんですけれど、それだと足を取られて、うまくいかない。だから2本目の時は芝生の状態を考えて、ボールを蹴った後、軸足をすぐに地面から離して、そのまま通り過ぎるようなイメージで打ったんです。試合中にフォームを臨機応変に変えられたこと、なおかつ、あの距離で決められたのは、よかったなと思います。
ーー横浜F・マリノス、ジュビロ磐田、横浜FCとチームを渡り歩き、40歳を過ぎてもずっとJリーグの第一線でプレーを続けられた要因は?
サッカーの“価値観”が高いのはあるのかなと思います。プロフェッショナルとか、ストイックだと周りからは言われますが、自分からしたら大好きなものだし、どんどんのめり込むのも当たり前です。
Jリーグでは3つのクラブを渡り歩きながらも、常に第一線でプレーを続けてきた 【(C)J.LEAGUE】
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偉大な先輩、三浦知良の背中を追いかけ続けた 【Photo by Masashi Hara/Getty Images】
サッカー選手として成長させてくれた指導者の方がたくさんいて、自分もそういう立場になりたいと35歳くらいから少しずつ考えていました。(Jリーグの監督に必要な最上位資格の)S級ライセンスまで取得する予定ですが、何がなんでも監督になりたいとか、そういう気持ちがあるわけじゃないんです。
今、横浜FCでは序列でいうと一番下のコーチですが、選手との距離も一番近いですし、個々の選手の能力を伸ばすことに関わることができています。練習が終わった後に、GKの居残り練習でシュートを打つのも楽しい(笑)。監督は全体を見る立場ですし、スタッフミーティングをしたり、戦術や分析を考えることがメインになります。
個人的には、ずっとグラウンドに立ちながら、ボールを蹴りながら、大好きなサッカーに関わっていきたい。そんなふうに思っています。
現在も横浜FCのコーチとしてJリーグに携わり続ける、44歳の“サッカー少年” 【©YOKOHAMA FC】